2024/12/22

研ぎ澄ますためには





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 去年のあのとき、ほんとうにとても苦しくて、その苦しみを詳細に語ることはできないし、また聞いて楽しい話でもないでしょうから省略するけど、こんなに苦しかったのはいつ以来だろうというくらいに、長期間、物理的にも精神的にも苦しかった。


 そして、自分のなかにこんなにもまだクリアリングしなければいけないものがあるのだということを、現実をとおして教えてくれているのだと感じた。


 だから今年は年のはじまりから覚悟を決めて、一年をとおして寝ても覚めても自分のなかを削ぎ落してゆく、研ぎ澄ましてゆく、ということをやっていた。


 自分のなかにあった重いエネルギーが出てゆくたびに、まだこんなにも…と愕然とするほどだった。


 でも起きた事象そのものに対しては、ほんとうはなにも思っていないの。


 現実に起きた出来事を話していると自分のなかの“反応”が引き出されて、自分の“外”にむけて思っていることがあるように見えても、本心ではそうではなくて、ただ、あらゆるネガティヴな出来事というか、自分にとって“苦しみ”をもたらす事象は、それをとおして自分のなかを見つめるため、そしてクリアリングするために生じているのだということを、すでに知っている。


 その事象に他者としての対象があらわれるとき、相手はそのための“役割”を演じてくれているだけだと。


 相手がそれを意識してそうしているわけではないけど、わたしのなかにあるものが、それを引き出していた、ということを。


 去年の一連の流れも言葉にできないほど苦しかったけど、だからこそそれをとおして自分を徹底的に大掃除しなくてはいけないと決め、そのために今年は体感としては一年が一瞬だったと思うほどにあっという間に過ぎていって、おかげさまでこれまで生きてきたなかでいまがいちばん元気だと感じるくらい(ほんとうに年々元気になってゆく。不要なエネルギー、重たいエネルギーを削ぎ落すたびにそうなるのだということを、もう身をもって知っている。そして、それなら過去のわたしはどれだけ自分のなかに重たいエネルギーを握りしめ、抱き込んでいたのかもいまだからこそわかり、労わりたいような気持ちになる。)でありがたいことだと思ってる。


 ネガティヴな事柄も、「それがなぜ起きたのか」ということがわかれば、そういう視点をもてれば、のちのちになってありがたいことに変わる、というのはこれまでにも何度も経験してきたことで。


 さまざまな出来事や他者のネガティヴな側面が立ちあがるとき、それは自身のなかにある傷が招いている、引きあわせている、ということはたしかにある。


 個人的には今年は自分のなかにあるものを深く深く炙りだすことを意図して、エネルギーを徹底的にデトックスして、それが自分のためにとてもよかったという意味でいい年だった。


 来年もまた“外”側で起きる現象というか、世界的にというか、おのおのにおおきな変容をもとめてくる年になるのでしょうから、あるひとたちにとっては試練の年だったり浄化の年だったりするのだろうし、そしてそれに真に気づかないかぎりそれはつづくのでしょうから、だから主題は愛になるんでしょうね。


 愛。――言葉にすると嘘っぽく空虚に感じるひともいるようだけど、それはつまり自分とつながるということよね。


 “愛”って自分といかにつながれるか、親密になれるかということなのだと思うの。



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 誰かに宛てた手紙の断片から、固有名詞やこの手紙を宛てた対象のことは省略し、加筆修正を加えて。