Record
境目の宙を踏む足袋鉾の稚児
2026/02/07
プロフィール
3月に小平の草舟あんとす号さんで開催する展示、『片翅の泉』にさいしてプロフィールを出すことになり、
「自分のこと」を“外”にむけて語ることに対するごく幼いころからの苦手意識から「プロフィール」「自己紹介」というものをなるべく避けられるなら避けてきたいままでだったけれど、
けれども今回、「プロフィール」について真剣に考えてみて、「なにを書きたい?」と自分に問いかけてみた。すると。
*
指先から浮かびあがる言葉を文字に記してあらわすことで、この目で見てきたことやものを再構築し、自分と世界との関係を幾度も結びなおしてきました。
「書く」ことによって、そして「読む」ことによって密やかに解かれ、奥深くに語りかけてくる言葉には、そのような結びなおしがあると思っていますし、普遍的な原風景を宿しています。
その原風景と、自身の言葉とのつながりを深めてゆくことを願っています。
*
と出てきて、「それにしよう」と思った。
むかし、「あなたの言葉は原風景で幻風景なの」といってくれたひとがいて、このようにプロフィールを書いたあとでそのことを想いだしていた。
ときに言葉は放たれた角度や温度のままで相手にはつたわらず、いま思うとどこかで、その力を「怖い」と思ってきた。
その力における影響をもちたくないと。
それを引き受けることは、そこに責任がともなうからだ。
すべてのひとに放ったままの角度や温度でつたわる言葉はない。でも、そこにどのようなエネルギーをこめるかは、自分だけが選択できる。
それとおなじように、放たれたものを相手がどのような角度や温度で受けとるのかも、相手の選んだものであるのだということ。
わたしは“原風景”にむかって言葉を紡いでいきたい。
自分の意志でそう思えるようになった。ようやく、といってもいいのかもしれない。
(2026.1.30記)
2026/02/05
Record
DICAM QUAE CELAVI.
――“わたしが秘めてきたことを話そう。”
先月の富士の泉の旅のさいに
雪、桜、泉、蝶、翡翠、諏訪、花菱というキイワードより数年まえから形成されていた一連の流れが、最後の“鏡開き”をもって、きれいに、完全に終わりました。
樹にたとえるなら、大樹の幹のひとつが花を咲かせたので、つぎはべつの幹に栄養をあたえるために移動する、そのような感じでしょうか。
この一連の流れは「きれいにおわった」のですが、『片翅の泉』という3月に控えた展示が、わたしにとってはいわば最後の“花”の部分にあたるようで、いまは“おわり”と“はじまり”の狭間の準備のしたくをする期間にあたります。
ということで、以前からなぜつくったのか自分でもわからず、energyやsessionのことをすこしだけ綴っていたこちらのアカウント(@luna__somnium )は、わたしのなかの新月、陰の部分からあらわれる言葉、いままで開示してこなかったものを、BLOG「Record」――余談ですがこの“Record”には、“記録”と“想いだす”という二重の意味をこめています――にも記していくつもりなのですけれども、そこからの抜粋とともに載せていこうと思います。
BLOGは陰と陽の区切りをつけずにそのまま公開していますが、Instagramはわけたほうがいいとわたしが感じたので、そのように。
このアカウント( @fleurs_fruit )はこれまでどおりです。
うつくしいと感じたもの、ことを紡いでいけたらと思っておりますので、ひきつづきどうぞ、よろしくお願いします*
🦋🌑∞🌕🦋
(Instagramに投稿したものですが、こちらにもおなじ文章を載せておきます。)
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