2026/05/15

桜貝の蝶








 清らかな心でいつも世界を見つめたいと祈るかたから、海辺でご自身が拾われた桜貝を贈っていただいたのは、もう何年もまえのこと。


 そこにこめられた想いとともに大切にするあまり、おさめられた箱と一緒にしまいこんで行方がわからなくなってしまっていた貝殻たちが、さきの新月の翌日に還ってきた。


 このタイミングで。


 いつからか自分が物語より物語らしい現実を生きているなと感じているけれど、世界に散らばるうつくしくてやさしいものをとおして、あらためてわたしに幾度もそのことを囁きかけてくれる。


 ***



桜のはなびらは
風とともに
天と地のあわいを
舞いながら
のびやかに流れてゆく

そしてときに
水に沈んだはなびらは
桜貝となって砂浜に流れ
土に姿をあらわし
はなびらと貝の名残を
その断片に宿した
翅を手にいれ蝶となり
やわらかな火のごとく
空へと羽ばたいてゆく


“そんなことがあるわけがない”
そう思うことでも起こりうる
“流される”ではなく“流れる”

どんなことでも起こりうると
みずからに ゆるすということ

そしてそれも
自分自身のなかに揺るぎない
おおきな樹が育まれたからこそ
できること



 (――『片翅の泉』に寄せた、まぼろしの28の翅のひとつから。)


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2026/05/14

『福田尚代 あわいのほとり』展 at 神奈川県立近代美術館











 記録として残せないでいるうちに、遠い記憶になりつつある、けれどもそれでいて深く自分のなかに沁み込んでいる『あわいのほとり』のこと。


 はじまりから読んでもおわりから読んでも、おなじ言葉の路を辿る回文は、入口と出口がおなじ場所にあることを教えてくれる迷宮の往還のよう。


 一行だけが抜きとられた書物は翼のかたちに表紙の羽をひろげていた。


 とどまらぬ形を捉える視線、そそがれた時間の果てしなさ。


 「すくい」は掬いであり救い、と『ひとすくい』という題の作品にあらわされた泉を眺めながら、かわした会話を印象深く覚えている。


 そのときわたしは「水をすくう」ということについて想いを馳せつつ、北斗七星がひしゃくの形をしていることに発想を飛ばしていた。


 空のうえの“ひしゃく”から、あまねくものが受けとるために、降ってくるもの。


 そのおおきなひとつは水であり、でもほとんどは目では捉えられず、それに触れても気づかなければ「なかった」ことになるもの。


“泉”もそのひしゃくによってあらわれる神秘であるのかもしれないと思ったり。


 展示にご一緒した友人と後日あらためて展示作品の話になり、本展の『袖の泉』という作品をとおしても感じたことだけれど、全体的におおきな“喪失”というのも福田尚代というひとのテーマなのではないか、と友人の彼女との対話のなかで感じたことも追記のように綴っておく。


 『袖の泉』は刺繍作品で、いつか刺繍の作品をつくられるかたが、「刺繍などの縫う行為を用いた作品には傷を縫合する意味を含んで解釈されることがある」と記していた文章を見かけたことも連想的に想いだされた。


 「縫合すること」によって回復するもの。


 福田さんの言葉は読経や真言みたいなところも感じ、彼女の回文は「あちら側」に投げかけたものが「こちら側」にこだまとなってかえってくる「往きて還ってくる」――往還を感じるのだと、そういう話に。


 展示の余韻としてゆたかな対話ができたことも、嬉しかったこと。









2026/05/12

キッズ価格改定のお知らせ











 Luna Somniumでは、これまで15歳以下のお子さまには、メニュー価格の半額でセッションを提供してまいりました。


 このたび、それを改定し、来月から年齢にかかわらず現行のメニュー価格で施術ですることに決めました。


 理由としてはいくつかあり、


 ひとつは対象者の年齢が下がるごと、とくに小学生以下のお子さまに施術いたしますさいは、通常のセッションの何倍も神経と体力気力を要しますこと。


 ひとつはわたし自身のエネルギーも施術をはじめた当初からおおきく変わり、それに比例しておなじメニューでありましてもお流しするエネルギーも日々刷新され、より深部に届くものになっておりますこと。


 ――ほんとうに日々、自分のエネルギーが変わってゆくのを感じていて、たとえばひと月経つと、また変わっている自分を感じることができます。そしてそれはエネルギーがさきに変化しているからこそ、あとから自分の現実も変わっていくのだ、ということを、わたしはすでに知っています。


 自分のそのようなエネルギーの変化にさいし、循環という意味でこれまでセッション価格も適切にあげてまいりましたが、「キッズ価格」という枠組みはずっとそのまま残してきました。


 しかし現在のわたしにとって、年齢で区分するのではなく、すべての対面メニューの価格を統一することが望ましくなっていることに気づいたこと。


 そして最後にもっともおおきな理由となることとして。


 「キッズ価格」で提供しておりました施術にクライアント、15歳以下のお子さまをお連れくださり、お代をお支払いくださるのは多くの場合、クライアントとなるかたのご両親、とくにお母さまとなります。


 けれどもわたしの目から見て、お子さまよりもまずはお母さまのクリアリング、ヒーリングを優先したほうがいいのではないかと感じることがよくあります。


 子どもと両親、とくに母というものは深くつながっており、それはエネルギー的にもおなじことがいえます。


 お母さまが軽くなる、軽くなってゆくことで確実にお子さまにもご家庭にもよい影響があり、逆にいえば、お母さまのなかにある“重さ”を、それこそおなかのなかにいたときから一緒だったお子さまは貰い、引き受けてもくれています。


 これはもちろん、お母さまのクリアリング、ヒーリングがなされていないからお子さまのほうに“問題”としてあらわれているのだ、ということをいいたいがためのものではありません。


 お母さまであるそのひとも、またその両親のなかにあったものを貰い、引き受けてもいるからです。そして辿ってゆけば、祖父母、またその両親と脈々とつづく血の系譜があります。


 わたし自身も自分の両親がエネルギー的に軽くなってゆくごとに、確実に自分にも影響があることを感じていますし、その逆もまたしかりなのでしょう。


 「家」というものに引き継がれる“血”のなかに、自分に影響をあたえるものが多大にあり、自分が軽くなってゆくと、現実的に“血”自体も変わってゆきます。


 「自分」が軽くなるから、「自分」が変容してゆくから、まわりも変わってゆく。


 さきに「自分」があり、あとからそれが「外」にも波及してゆく。


 「キッズ価格」というものを設けたのは、その当時のわたしの完全なる善意と配慮からでしたが、かえって「母」という立場にあるかたを「母親」という役割に縛り、ご自身よりもお子さまを優先させてしまう制度だったかもしれないと思うようになりました。


 自分よりさきに愛をむけたい相手、幸せになってほしい相手がいることそのものは、とても尊いことだと感じます。


 けれどもセッションをとおしてのわたしの祈りは「あなたがあなたであること」であり、そのときだけは、自分の役割、母、妻、あるいは娘という役割の外で「あなた」を感じる時間にしてほしいと最近、明確に思うようになったのです。


 もちろんセッションのなかでどのようなお話をしてくださっても大丈夫ですし、それが「役割」についてのことだったとしても、わたしにはどのようなお話であってもそこにクライアントのなかにある“光”を感じ、いらしてくださるかたはほんとうに聡明でやさしいかたたちばかりだなと日々感じている次第です。


 ただ、ご依頼にさいして「キッズ価格」というものが弊害になり、かえってご自身の施術を遠ざけられることがある、ということを去年、おととしくらいから感じてきました。


 そこにわたし自身もより成長したことも相まって、今回の改定を決めました。


 なお、現行のセッションメニュー価格に変更はありません。そのうちあるいは遠隔の価格を対面とおなじにしてゆく流れがあるかもしれませんが、まだわたしのほうの準備もできておらず、しばらくはそのタイミングではないので、いまのままとなるかと思われます。


 そしてここまでの記述と矛盾すると思われるかもしれませんが、自分のなかに“問題”があるからエネルギーワークを受ける、というありかたから、エネルギーが変化してゆくごとに軽くなり、活力が出て元気になってゆく、自分ができることが増えてゆく、自分のなかに眠っていたものに気づいてゆく、だから現実が変わってゆく、というありかたに変わるタイミングというものがあります。


 だからエネルギーワークを受ける、という「ありかた」に変わるときが。


 わたし自身もメンテナンスというものをとても大切にしており、それを「維持すること」の重要性、維持したものを安定させることによって自分自身の軸は深く強くなってゆくのだと感じています。


 「外」の混沌に「巻き込まれる」のではなく、

 「内」なる愛を「波及して」ゆく。


 どうかそのような「ありかた」を。


 記録として書いておきたいことはたくさん溜まっているのですが、取り急ぎ優先的にお知らせする必要があることをさきにと思い、これを綴りました。


 繰り返しになりますが、改定は来月からとなります。


 どうぞよろしくお願いいたします。