Record
境目の宙を踏む足袋鉾の稚児
2026/10/14
安芸の宮島
安芸の宮島、朱色の回廊。
宮島の奥地で出逢ったクスノキは、たしかな根を張り巡らせ、大地との豊かな循環をなしてきたことがひと目でわかる立派な巨樹で、
窪みに腰かけ背を預けて、全身の力を抜いて委ねても受けとめてくれる揺るがなさに、安心して目を閉じると、そのまま眠ってしまいそうだった。
ずっとそうしていたかった。
そして、宮島でもまた鹿たちと。
鹿とは縁があって、気がつけば節目ごとにその姿を見ている。
神聖な生き物。
写真の一枚には虹のクロスが映りこんでいた。
“鹿の国”
2026/10/12
出雲(3)縁
出雲大社にむかうまえに、稲佐の浜から。
「神々の玄関口」といわれている場所とのことで、この砂浜でいただいた砂を出雲大社の素鵞社に奉納し、社殿下の清めの砂と交換していただいてくる「お砂とり」をすること、
出雲大社の近くにある真名井の清水にむかうこと、
以外はほとんどなにも決めず、調べないでむかったけれど、
思いがけず御祈祷を受けることになり、巫女舞を鑑賞し、拝殿の裏側にある八足門のなかに入る、という当日の流れ。
真名井の清水はミズハノメによって守られている場所だった。
そこからふたたび出雲大社へ引き返すとき、ふと右の細い脇道に逸れたさきに神社があることに気づき、意識するよりまえに足はそちらに踏みだしていて、
それが命主社だった。
わたしが辿りついたとき、まばらに見えた人影も、すぐに姿が消え、あとには静寂が満ちていた。
境内にある巨樹から、巨岩から、その空間全体から、すごくおおきな力の源があふれているのを感じた。
その巨樹はムクノキで樹齢も1000年を越えているとのこと。
樹が、岩が、空間が、その意志を風に宿らせて語りかけてくる。
それを「受けとった」と感じたとき、ずっとこのままそこにいたいような、ずっとまえからそこにいたような、不思議な交信がわたしの“外”にあるものと、わたし自身の“内”で生まれ、
その“回路”が充分に深くつながったとき、外からの喧騒が戻ってくる、現実に帰ってくる。
静寂に波紋がひろがる。
そして、「ずっとこのままここにいたい」という気持ちから覚め、けれどもわたしの一部を夢の名残みたいにそこに置いてくる。
そのようにして“つながる”ことのできるものや場所や人が、“縁”でつながっている、深い“つながり”をもっているということ。
出雲大社をあとにして、ふたたび稲佐の浜のほうへとむかい、海辺に出たとき、空と海は美しい神秘的な光とともに迎えてくれた。
その景色に車窓から出逢ったこと。
出雲はとても懐かしい場所だった。はじめて訪れるのに、いつも心のどこかにはその場所のための空白があったような。
おそらくまた訪れるのではないかと思う。
「行かなければいけない」とずっと感じてきた場所が出雲にはあり、そしてその「行かなければいけない」は今回ではなかった。
今回は顔見せ、ご挨拶、その土地との“つながり”を“想いだす”ためにうかがったのだろうと。
自分が意識しているもの、意識できるもの、していないもの、できないもの、すべてふくめて。
自身にとってとても大切な場所のひとつなのだろうことは、あらためて理解した。
2026/10/11
登録:
投稿 (Atom)







