2026/10/17

甘さと健やかさ










 相手がどうであれ、「このひとはこのひと」という視点のもと、どのような物事でも、「そういうこともあるのだろう」と考慮するフラットな姿勢を、いつも彼女から感じる。


 その彼女が先日案内してくれたカフェでいただいた、チョコレートのレアチーズケーキと、あたたかなお茶。


 甘さと健やかさ。


 とても元気をもらった。








2026/10/16

月の片翅』をよむ(秋の回)受付開始







 大勢待なつみさんの朗読教室


 『月の片翅』をよむ

 at 草舟あんとす号


 🌑秋の回、募集開始しています🌕


 10/25(日) 10:30-12:00

 プリント、お茶・お菓子つき

 4,500円


  ▷ 受付 



 草舟あんとす号access


 東京都小平市小川町2-2051

 tel 08013305452


 JR武蔵野線「新小平駅」より 徒歩8分

 西武国分寺線・拝島線「小川駅」より 徒歩10分


 *


 小平にある植物の本屋さん、草舟あんとす号で季節の巡りとともに開催される、


 朗読家・書籍修復家の大勢待なつみさんの朗読教室で、


 津木野由芽の『月の片翅』をテキストとして使っていただいています。


 目で捉えた言葉を声にする、それを繋げ、連ねてゆくことは、わたしにとって、


 渦のはじまりの波紋を自分のなかに見つけること、


 みずからの“森”に隠されていた泉を探すこと、


 その水鏡を覗きこんで映しだされたものを見つめること、でもありました。


 草舟あんとす号という空間で、そのとき集ったひとたちの声を聴き、さだめられた言葉を読んでいるとき、


 それぞれの声から言葉以上の輪郭が浮かびあがり、そのひとの“水鏡”がそこに映しだされる。


 その瞬間、わたし自身の“水鏡”もそこに現れている。


 おなじ“舟”のなかから、それを見つめる時間。








2026/10/15

海渡りで“さかのぼる”










 秋に旅すると受けとっていたみっつの場所。


 熊野、出雲、宮島。


 ほんとうは、出雲宮島は今年の春ごろに旅することを予定していたのだけど、去年の終わりに生じ、必要でもあったアクシデントのため中止となり、


 そういうときはストップがかかっている、「いまではない」と知らせてくれているだけだから、来るべきときが来たらそうとわかるように教えてくれるのだろうと納め、そのことは忘れていた。


 すると今年の初夏、また突如として計画が持ちあがり、秋に出雲宮島へ旅することとなった。


 そう決まったあとで、それからすぐに、出雲宮島よりさきに熊野にむかうことになり、「だから一度中止になったのだな」という答えを受けとった。


 出雲宮島のまえに熊野にむかう必要があり、熊野に旅するためには秋まで待たなければいけなかったのだろうと。


 その期間に熊野という土地に入るための“器”の準備が、自分自身からもとめられていたのだろうことを理解した。


 このみっつの土地への旅は、去年の諏訪からの流れを汲むもので、「再生」「生まれ変わり」をテーマとしているとのことだった。


 それぞれの場所が、それぞれの方向、角度、エネルギーによって、わたしの細胞、DNA、記憶に働きかけ、「生きながら生まれ変わる」ために、纏っていた“殻”を、たまごみたいにこつんと割ってみせてくれた。


 このような“殻”をこれまで幾度も割りながら、この“現在”に到達しているわけだけれど、


 宮島は島全体が冥王星のエネルギーに満ちた場所で、まさに破壊と再生、「生まれ変わり」を暗示する場所だった。


 この秋、熊野、出雲、とつづいた旅の最後だった宮島。


 熊野で“よみがえり”
 出雲で“おもいだし”
 宮島で“うまれかわる”


 破壊と再生というと怖いことのように感じられるかもしれないけれど、それは自分を重たくさせている、古くなっているものを手放す、ということ。


 きちんと閉じて、終わらせてあげるから、あらたな始まり(再生)を迎えられる。


 そして古くなったから脱いだ“殻”は水で清め、火で浄め、昇華させて、あとに残った知恵をエッセンスとすること。


 宮島で最後に訪れた大聖院で鐘をついたとき、ふと去年の冬と春の2度に渡った諏訪の旅の、雪と桜のはざまで足を運んだ片瀬諏訪神社で引いたおみくじに、


 「響きわたる 幸運の鐘の音」と記されてあったことを想いだした。


 鈴ではなく鐘なのねと、そのときおみくじを眺めながら思い、それからなんとなくで鐘を意識してきたけれど、その音を聴く機会はなかった(あったとしても、わたしの意識に入ってこなければ、それは“ない”ということ)


 そして、つぎに「鐘の音」を聴くとき、それは特別な前触れだろうと、直感としかいいようのない気持ちで思っていた。


 出雲のまえに立ち寄った倉敷で、観龍寺というお寺に迷い込んだとき、鐘楼から響く鐘の音を聴いた。


 3回つづけてうたれたその音を耳にしたときも、わたしは「響きわたる 幸運の鐘の音」というあの言葉を想いだしていた。


 おそらくあれが、おみくじを引いて“鐘”というものを意識するようになってから、はじめて聴いた鐘の音だった。


 そこにわたしが宮島でついた鐘を加えて、よっつ。


 この旅で4回ひびいた音。それは諏訪、熊野、出雲、そして宮島というよっつの場所にむかって放たれた音だと思った。


 数霊4、
 蝶の器の翅の数。
 よっつの巡り。
 その締めくくり。


 この秋、前編と後編にわけた旅は、どちらも最後を船上で迎えた。


 沖を眺めながら感じた気持ちをすぐに言葉であらわすことはできないけれど、わたしにとってそれは示唆的なことだった。


 海渡りの儀式。

 無事に越えたさきのお祝い。


 折しも明日から、約5か月に渡って逆行していた冥王星が順行に戻るとのこと。


 わたしの秋のこの一連の旅も、そんな“さかのぼり”の旅だった。