2026/04/22

『月の片翅をよむ』朗読教室 4月19日






 大勢待なつみさんの朗読教室。


 ちいさな緑の王国であるholy garden、草舟あんとす号さんの書物に囲まれ輪となって座り、巡る番を待ちながら声を解き、聴く。


 言葉のうえにそっと音をのせ、ながれるままに。


 それぞれの声の色や温度、質感。それに“澄ます”ことは、みずからの内側に“澄ます”ことでもあった。


 



 満月が象られ、雪と桜の色の糸で綴じられたちいさな本。開けば空の色で水の色をした翅の蝶。


 きっとholy gardenの目には視えないけれど“ある”、泉のなかからこうして現れてくれたのだろうと思い、嬉しかった。


 またひとつ、その日の記憶ごと内包してやってきてくれた、特別な意味をもつもの。





 コトリ花店さんの双子の薔薇。心満ちる日の帰り道。


 『月の片翅』をテキストに使っていただいている大勢待なつみさんの朗読教室、次回は7月12日を予定されているそうです。


 ひきつづきholy gardenの草舟あんとす号さんで。単発のお教室、そしてとてもやさしいかたたちばかりの場所なので、最初は緊張があっても、次第に声もからだも解けてゆくのではないかと思います。


 わたしも自分の“声”というものが長年好きになれずにいましたが、それは“声”には自分のすべてがある、そのひとのすべての情報があるからだったのだ、というのがここ数年の気づきでした。


 自分を受けいれてゆくごとに、自分の声もまた、受けいれてきました。そして、声は変わってゆく、自分が変わってゆくごとに。ほんとうに。


 “声”をほどくというのは、思っている以上に大切なことだと感じます。


 わたしも次回も参加する予定です。よろしければぜひご一緒に*





 そしてここのところのさまざまがひと息ついたお疲れさまもかねて、朗読教室に参加された友人と、その日の午後は甘いものを。


 白い月のパンケーキ。


 やさしく解けた一日。








2026/04/18

菫を手渡す









 昨日、菫の花の夢をみた。


 紫、黄色、白。


 自分の手のなかにあるみっつの菫を、それぞれ誰かに手渡す。


 相手の顔は見えず、手だけが見える。


 白鹿みたいな乙女の手、満月みたいな成熟を迎える手、大樹みたいに年月を重ねた手。


 おそらくすべて女性の手。


 どの手に何色の菫を渡したのかは忘れてしまった。


 ***


 写真はアンドルー・ラング(Andrew Lang)の『The Violet Fairy Book』の初版の装丁を模した手持ちのノートから。


 新月の日に見た夢と菫。


 この絵のことを想いだした。




女性であること①









 文楽や歌舞伎の『本朝廿四孝』という演目に登場する八重垣姫という人物をとおして、文楽の、とりわけ歌舞伎の世界を知るようになりました。


 この八重垣姫のことは、これまで書いてきたことの繰り返しになるのでここでは割愛しておくにしても、古くから受け継がれてきた“劇”のなかには、その時代の風俗や価値観が染みこまれていて、“いま”を生きるわたしたちの目からすれば、驚きという言葉では片づけられないような、不条理さを感じるものも多々あります。


 現代の健全な価値観というものに基づけば、そこであらわされる「女性の扱い」に疑問を覚える場面があることもひとつの事実。


 風俗や価値観というものが時代によって異なるものであるように、「ただしさ」も「あたりまえ」もいまとは前提が違う。そしていま「ただしくてあたりまえ」のことも、それは“いま”という前提をもとになされるものだからでしょう。


 「前提」は変わってゆくものです。


 その「前提」に惑わされず、自分自身のなかにいかに核を育めるか、ということは、いまあらためてとても大切なことであるのだとも。


 歌舞伎に『桜姫東文章』という演目がありますが、この筋書きをはじめて知ったとき、わたしは女主人公である桜姫の人生のあまりといえばあまりな境遇に痛ましい気持ちでいっぱいになりました。


 筋書きについてはここではあえて綴りませんので、ご興味ありましたらおのおので調べていただければと思いますが、「このひとはどのような因果のもと、この運命にいるのだろう」と思わず考えずにはいられないような――わたしは考えてしまった――そういう話だと思います。


 “運命”というものが、ある程度その人間の性格が加算されてつくられてゆくものであるならば、桜姫はたしかに、「自分から転落していく」と見ることもできる。


 それと同時に、彼女には「どうしようもなかった」のだと、わたしは無性に庇いたくもなってしまう。


 「女性であること」が家父長制的な支配を受けることとイコールである時代がありました。そしていまもそれは過去のものであるとはいえないでしょう。


 歌舞伎の歴史のはじまりである江戸時代(正確には安土桃山時代というべきかもしれませんが)よりずっと遡って平安時代の終わり、平家物語にも登場する建春門院が


 「女はただ心から、ともかくもなるべき物なり。親の思ひ掟て、人のもてなすにもよらじ。我心をつつしみて、身を思ひくたさねば、おのづから身に過ぐる幸ひもある物ぞ


 (女は心がけしだいでどうにでもなるもの。親や周囲のせいではない。自分の心をしっかりもって我が身を粗末にしなければ、自然と身にあまる幸運もある)」


 といっていたといい、これはわたしの心に印象深く残っている話でもあって、そして建春門院のいわれることも、たしかにそのとおりであるとも感じます。


 けれどもそれは、「自分の心をしっかりもって我が身を粗末にしな」くていい環境にいることが「前提」であるようにも思うのです。


 桜姫がその「前提」を行使するには、あまりにも彼女の意志とは無関係なところで、“運命”は彼女に非情だった。


 『桜姫東文章』の最後に無理やりにまとめられた大団円も、「ほんとうにそれでいいのか」「彼女が負った傷を、まずは浄め、癒さなければいけない。精神的にも、肉体的にも」と感じないではいられませんでした。


 そして桜姫について想いを馳せているうちに、歌舞伎のなかにあらわされることがある女性の「痛ましさ」というのは、名もなき女性たちの(ここでは「女性」と書きますが、わたしがいいたいのは「弱い立場」にあったひとたち、自分という存在以外のものに「掟」をもたざるをえなかったひとたち)「痛み」が可視化されたもの、その象徴みたいなものであるのかもしれない、と気づきました。


 今日はひとまずここまで。このことはいくつかに区切って綴りたいと思います。