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境目の宙を踏む足袋鉾の稚児
2026/04/12
うつくしさ
花は目で色やかたちを捉え、香りでその存在のありかを教えてくれる。
目に見えるものと、目には見えないもの、どちらの領域においてもうつくしさを宿していて、そもそも「うつくしさ」というものは人によって感じかたが異なるものだし、それでいいものでもある。
儚さに心触れるひともいれば、強くしなやかなさまに心打たれるひともいて、場合によって心の機微もどちらにも傾く。
そういうもののすべてを託すことをゆるしてくれる懐の深さが花にはある。
花を見ながら(視ながら)、なにも感じていないと自分では思っても、なにかを受けとっている。
目に見えるものも、見えないものも。
「いつか桜も薔薇になるのでしょう」
薔薇は桜の未来形、という言葉を『月の片翅』という本のなかで綴っているのですが、読んでくださったかたから「いつか桜も薔薇になるのでしょう」といって、桜の花びらみたいな色とおおきさの薔薇を贈っていただいた。
その花びらが蝶の翅みたいにも、わたしには感じられた。
とても嬉しかったこと。
このちいさな薔薇は、日毎すこしずつ色が淡くなってゆくのだということで、花が開いたばかりのときはピンクの輪郭がはっきりしている色あいのようだけれど、わたしのもとにやってきてくれたとき、この国に生まれて「桜」といえばこの色だという色、そのものの色をしていた。
一夜明け、それがもとの姿に戻ってゆくみたいに、またわずかに白に近づいている。それは「雪に還る」ということであるのかもしれないな、と。
硝子でできた花々を鑑賞してきたばかりなので、そこから一輪いただいてきたのでは、と錯覚してしまいそうなほど、あわく、しなやかで、うつくしい。
2026/04/11
atelier utopiano企画展『Violette et œuf』
たまごのなかには夢が、すみれの蕾にはまだ見ぬ懐かしさが。
つくりてごとにわずかに異なる菫の花の色あいに、その花に託された想いを教えていただくみたいに感じられて、菫色のグラデーションを飽くことなくつぶさに見つめてしまう、心華やぐ展示でした。
いただいてきた菫のお菓子も甘くほろほろと口のなかで溶け、夢の名残のようで…
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