2026/02/16

翡翠原石館







 翡翠原石館へ。


 年末からの目まぐるしさがすこし落ち着いてきたので、去年のいまごろからずっとうかがいたかった場所に、1年越しにようやく。


 「月光浴」とは、月のきよらかな光を浴びることで心身もまた鎮静される、安らぎを自身のなかに迎え入れるひとときのことを示すけれど、石と月には根源をおなじにするような静けさがあり、石を眺めることで自分のなかに訪れる沈黙の束の間を、いつからか「水晶浴」と呼んでいる。


 だから水晶浴ならぬ、翡翠浴の日だった。


 翡翠の女神ヌナカワヒメと使わしめであるカワセミのモザイク壁画は、すべてその石からつくられたもの。


 「ひとりの女性が美しくありながら賢くもあるということを、ひと目見てわかるように顕すのはむつかしい」というようなことを館長がおっしゃっていた。


 賢し女(さかしめ)麗し女(くわしめ)の女神。




 この場所はもともと、父が縁のある場所であり、教えてもらった。


 神話に興味のないかれはヌナカワヒメという女神のことも知らないので、この壁画を日本の聖母マリアかなにかだと思ったらしい。


 けれどもそれも完全な的外れとはいえなくて、“聖なる母”というところが通じているし、ヌナカワヒメは日本の“聖母”ともいえるおひとりではあるから、むしろ鋭いのかもしれない。


 そしてなぜ父が“聖母”を感じたのかといえば、そこに美しさと賢さを同時に内在するものを視たからなのではないだろうかと。


 “慈愛”というのは、そのふたつが共存してはじめて外にもあらわれるものであるように感じる。



 「見てください、石の上に黒豹がいるでしょう」と教えてもらい足もとの翡翠に目をやれば、たしかにそこには黒き獣の気高きかたち。女神がカワセミにむける慈愛の眼差しのごとき視線のありかたを、数々のエピソードからも教えていただき、石のかたちをいかすことにまつわるお話も印象に残った。


 翡翠からつくられた不動明王尊。火を背負いながら下には水があるのだと、館長の言葉。



 展示室に飾られてあった万葉集から。


 「渟名河の 底なる玉 求めて 得まし玉かも 拾ひて 得まし玉かも 惜しき君が 老ゆらく惜しも」

 「天橋も 長くもがも 高山も 高くもがも 月夜見の 持てるをち水 い取り来て 君に奉りて をち得てしかも」


 ヌナカワヒメを歌ったといわれる“底なる玉”と、ツクヨミの“変若水”の歌、それぞれは知っていたけれど、ふたつの歌がつながりをもつ反歌であると考えたことがなかった。いわれてみれば「“あなた”の在りし日の美しさ」を偲ぶという共通のテーマがある。


 美しさとはなにかと思うとき、“あなた”の色が衰えることの侘しさを歌い、それを狭める姿勢に疑問は残るけど(古今で小町が自分自身の“色”を歌ったのとはまた話が違う)、あの歌とこの歌がつながっていることを知れたのは嬉しいこと。石をとおしてたくさんの示唆をいただいたひとときだった。


 翡翠の浴槽。ここで水浴びをすれば、ほんとうに“翡翠浴”かもしれない、などと思いつつ。



 2号館はいまおやすみ中とのことだけど、壁にカワセミの姿が見られる瀟洒な建物にとてもときめいた。今回滞在した1号館はもともと敷地内の桜の樹が切られてしまうことを館長が知り、保護する目的で購われた場所だとか。


 その桜の花が咲くころに、できればまた訪いたい。







2026/02/13







 数日まえに降った雪。


 銀の世界。


 先日の富士の泉の旅で幾度も眺めた富士山の頂の白、あの富士のまわりの水辺は雪解け水であふれていたこと、去年の諏訪で「雪は祝福なの」といいながら、天から降ってくる白いものに手をかざしてくるくると踊ったこと、“雪”という字が名に入った松と関わりのある、わたしの家系の縁深い女性。


 雪の降る日に生まれたのだとわたしがいうと、ヌナカワヒメもおそらくはそうだったみたい、と返ってきた言葉。


 雪は浄め。


 “道埋まるまで雪は降りつむ”と思えたとしても、


 それは祝福。








2026/02/12

富士の泉







 2月も中旬にさしかかろうとするなんて信じがたいほどで、あの富士の泉で過ごした濃密な束の間が、すごく遠く感じられます。


 それは時間が経ったから“遠く”感じられるというよりも、帰ってきてからすぐ、3日と経たないころにすでにそのように感じられました。


 「まるで竜宮城から帰ってきたような」と去年の11月のふたつの旅に対して思ったものですが、今回もそのような感想が自分のなかに深くあります。


 “竜宮城”という場所は、この現の境目と次元を超えた場所にあり、旅というものは、とくに今回のような目的、旅の仲間となるひとたち、おなじ星座のそれぞれが独立したひとつの星になりうるひとたち、繋がり集えば空におおきな絵を浮かびあがらせ、顕すことができるひとたちとする旅というのは、そのような色を濃く帯びるのだと思います。


 つまりは境目と次元を超える旅。


 ずっとずっとわたしのテーマである、イワナガヒメ、コノハナノサクヤヒメ、そしてかぐや姫。


 長い間惹かれつづけてきたことやものには意味があるのだと、ここ数年答えあわせをしているみたいで、これもそのような“答えあわせ”の旅でした。


 火と水。対となるもの。

 鏡のごとき泉に映るものは。

 人魚と龍神。

 富士山、不死山。かぐや姫はここから月に還ったのだという、天にもっとも近い山。




 写真 坂本憲司『富士山とお月様』