2026/03/08
『片翅の泉』 Q&A④ 物語を書き始める前、書いている途中、書き上げた後の心境の変化や制作過程について
草舟あんとす号で開催されます『片翅の泉』展の開催まえにご店主からの問いにお答えしている企画、今回は4回目です。
①今回の展示のテーマ
②展示作品への思い
③物語を書こうと思った理由
もよろしければあわせてお読みください。
ご一緒させていただく画家のyukaneさんもご自身のBLOGで展示やこの企画のことを綴られていらっしゃいます*
Q4. 物語を書き始める前、書いている途中、書き上げた後の心境の変化や制作過程について教えてください。
なぜ物語を書こうと思ったのか、ということは前回の問いで触れましたが、草舟あんとす号、holy gardenという場、yukaneさんの絵の世界観を融合させながら、わたしの言葉を紡ぐには、それはどのような物語だろうと思ったとき、おそらく誰かと誰かの「ふたり」の話なのだろうというのは、はじめからありました。
展示名もほぼ最初の段階で『片翅の泉(katahane no izumi)』に決まっていました。
――「決まっていた」という強い意志をもって「こうしよう」となったというよりも、yukaneさんとのあいだで「なんとなくこういう題名なんじゃないか」と、その「なんとなく」がつづいて、最終的に「いま思うと最初から決まっていた」という流れでした。
この展示名についてのご質問を受けることもあるので、なるべく展示まえにそのことに触れた文章も別の機会を設けて書ければと思っていますが、今回の展示は振り返ってみれば「陰陽」がテーマのひとつで、DMの黒い蝶と白い蝶のように、「ふたつのものをひとつに」という流れが、そのはじまりからあったと思います。
だから「ふたり」の話であり、「片翅」の蝶と泉の話でもあるのだろうと。
作中で一角獣も重要な存在なのですが、その銀と漆黒の二頭の一角獣の名は、yukaneさんが名づけられているものをそのまま物語のほうでも使わせていただきました。
もしかするとyukaneさんはその名を公開するおつもりではなかったのでは、とも思ったりします。
その絵を目に映したかたのそれぞれに感じられたもの、そのひとだけの名が浮かんできたならば、それがその名だとおっしゃるかもしれないと。
実際わたしものちになるまで二頭の一角獣の名を知らず、どのような名なのだろうと言葉を紡ぐうえで想いを馳せ、ふとyukaneさんにお聞きしたときに教えていただいたのです。
そこには「自由に書いてほしい」というyukaneさんのお気持ちがあったのだと思いますが、わたしは「名前」というものをすごく大切にしていて、世界を融けあわせるにはわたしとyukaneさんのなかで「おなじ名前」をもっているほうがいいと感じ、そのようにしました。
そしてふたりの物語の「ふたり」に、新月と満月という名があらわれたとき、「これだ」と思い、そこからどこにむかえばいいのか方向性がさだまり、そのようにして話の冒頭があらわれたら、そこに「もうひとつの世界」が生まれはじめます。
文章を書くとき、「なぜこれを書いているのかわからない」ということがよくあります。
とくに物語の形式をもつものはそれが強く、けれども「どこを目指せばいいのか」という着地点は漠然と自分で知っていて、抵抗せずコントロールしようとせず、指が書くままにまかせる。
この「抵抗せずコンロトールしようとせず」ということがむつかしく、言葉がつまずいて転んだり、そこから起きあがれなくなっているとき、自分のなかの「これでほんとうにいいのだろうか?」という問いが浮上しています。
このまま前に進むことに、なにかしらの対立がある。でも、ある程度進んできた道を、もう引き返すことはできない。
たとえばそれが誰かに宛てた手紙やメッセージであるのなら、わたしの場合、言葉はあふれるように出てきます。
それは「他者」という対象をとおしての語りであり、もともとある1を、2にする工程だからです。
けれども物語を(そしてすべての創作を)紡ぐとき、対話する相手は「自己」であり、0から1を生む必要があります。
草舟あんとす号とholy gardenという場、yukaneさんの絵の力とはまた異なる領域で、わたしの言葉のなかにわたしの「1」を見つけなくてはいけない。
そういったことは、水鏡を覗きこんで水面を見つめること、迷宮のなかで糸をたずさえ、それをしるべにして進んでゆくのと、似ているのではないかと感じます。
ギリシャ神話のなかでクレタ王の娘アリアドネは、金の糸を繰ることで脱出不可能なクノッソス迷宮の出口へといざないますが、まさに今回のyukaneさんの詩画集の題であり、わたしにとってもここ数年の重要なキイワードのひとつである『金の糸』を繰りながら言葉を紡いだことを覚えていますし、人の脳というのは一種の“迷宮”なのだなと、これもずいぶんまえから感じていることを、あらためて感じました。
yukaneさんの『金の糸』といえば、彼女の世界観と融合させながらもわたし自身の言葉の色や温度を保つため、『月の片翅』を書き終えるまで、詩画集に記された彼女の言葉に目が触れないようにしていましたが、書き終えてあらためてそちらを拝読いたしますと、自身の物語のなかで鍵となる言葉、ヴィジョンと共通するもの、重なるものが発見でき、そこに“つながり”を感じましたし、「これでよかったのだ」という答え合わせにもなってくれたように思います。
思えば展示についての話し合いのなかでかわした多くの会話も、この本の言葉の種、栄養となって育ってくれたことを感じています。
これで問いへの答えとなっているかはわかりませんが、4つ目のご質問へのわたしの答えは、このようになりました。


