2025/11/16

『人魚姫のお茶会』harumie 個展 &more folina at silent music











 薄闇のなか、「この花を標に」というふうに入り口で迎えてくれた矢車菊。


 その花の色をした海と人魚への愛に満ちた展示でした。


 灯された明かりは航海のはざまで目指す灯台のようで、そこに憩う人々のやさしさとあたたかさに触れて。





 フランシス・ジャムの『三人の乙女たち』に捧げられた聖心を眺めながら、人魚姫が“お茶会”に呼ぶのなら、自身とおなじ痛切さを秘めた、言葉をかわさずとも瞳があえばすべてを沈黙のうちに了解してくれる乙女なのだろうかと、人魚と彼女たちは似た魂をもつ者という意が、そこにこめられている気がした。





「青い太陽から発散される雪のごときひかりは、あまりにもまばゆい純粋さゆえに錯乱を招き、紅い花に射す影のような昏い情熱は炎となって夜に開き、柔らかな心に刺される棘の痛みに微笑みながら菫色の涙を流す、三人の乙女の祈り。」


――『三人の乙女たち』について記した、かつての自分の感想より。





 どういう話だったのか、いまはもう指の隙間からこぼれてゆく砂のごとくといった記憶でしかないので、いつかの自分の感想についての判断はできないけれど、あの本のなかに閉じこめられていた“痛切さ”だけははっきりと覚えている。


 人魚姫が心ゆるせる“友”と、楽しく“お茶会”していればいいと思うし、あの場所でなら、この展示がはじまってからすでに毎日、それがなされているのだろうと感じる。




 お迎えしたharumieさんのビジューは水の花のようでありながら、空の星みたいでもある、とわたしには見えました。


 シリウスのごとき青い星。


 人魚も海のなかで“水の花”を愛でつつ、“空の星”を夢みていたのではないかと思いながら。


 folinaさんの野の花ブーケにも海からの贈り物として貝殻の“花びら”が。


 『人魚姫』の作者であるアンデルセンは、人に逢うときよく花の贈り物をしたという話で、おなじsilent musicで過去に『花束作りましょ アンデルセンさん』という展示があったけれど、その“花束”をかたちにしたみたいな可憐で繊細で凛とした、ちいさなブーケ。





 *余談として*


 昨日、“お茶会”にうかがうまえにお逢いしたかたのお洋服に矢車菊を見つけて、以前から密かに「人魚みたいな」と思っているかたでもあったので胸が高鳴り、「矢車菊は人魚の花」なのだという話になったりしました。