2025/11/14

11月の旅 Ⅰ  天橋立にいたる路 ⑥ 氣比神宮ー気比の松原








 旅の最後の日の海。


 気比の松原。


 気比の松原、そして氣比神宮は芭蕉が句を詠んだ場所としても知られ、かれは月見のためにこの地を訪れたのだとか。


 『おくのほそ道』によると、芭蕉がこの地で詠んだ句は「月清し遊行のもてる砂の上」というもので、旧暦の8月14日、15日のこと。中秋の名月の前日に気比で見事な月を眺めたものの、その翌日の名月の日の句に「名月や北国日和定めなき」とあるように、名月と相まみえることはできなかったようです。


 わたしも“月見”はできませんでしたが、今回訪れたのはちょうど下弦の月にさしかかる時季でした。





 気比の松原の海と松を眺めていると、天橋立のそれと重なり、思えば今回も水と松の旅をしたのだなと思いながら、いつからかずっと、その巡りをしているような気もして、ゆらめく波を見て、気高い松を見ていました。


 松の樹々にわたしは翡翠の石のなかに宿る力とおなじものを感じ、それを言葉にするなら“高貴さ”というのかもしれません。





 気比の松原にむかうまえに訪れた氣比神宮。


 この大鳥居は木造朱塗で三大鳥居として数えられているのだとか。


 とても格式高く、凛々しい空気に満ちたお宮で、境内は余分なものをすべて祓い浄めてくれるエネルギーで満ちており、わたしがこの日受けとったのは、武をつかさどる男神のエネルギーでした。


 その影響で帰宅してから調整が入り、すこし体調を崩していますが、ほんとうに隅々まで祓っていただいたなと思うばかり。


 社殿とはべつに“土公”と呼ばれる、境内から天筒山の方角に位置した小丘の聖地があり、そこに神がおわしたことが氣比神宮の創建とのことですが、あきらかにこちらのほうが“本殿”でした。


 古く、社殿造営以前は“ひもろぎ”として祭祀がおこなわれていたようで、さもありなんという感じです。


 土公というのは陰陽道における神の名であるのだそうで、それも気になるところでした。


 前日に眞名井で目にした磐座が重なって、「自然のなかに神を視る」という、この国の古来より受け継がれてきた血、細胞というのでしょうか、「自然とつながる」ことが「神とつながる」ことでもあるという、そのありかたの積み重ねられてきた畏敬の念をも感じられ、思わず「手をあわせてしまう」というのは、こういう場面に使うのだなと感じたりしました。


 氣比神宮もやはり、“水”にまつわる地であり、長命水という御神水が知られています。


 わたしもいただいてきましたが、古くから存在する神聖な場所というのは、この国においてかならず、神聖な水と結びついているのだなと感じます。


 そしてそれはこの国にかぎらず、どこであってもいえることなのだろうと。