2025/11/13

11月の旅 Ⅰ  天橋立にいたる路 ① 長濱八幡宮ー三方五湖







 短くて長い、濃密な旅をしてきました。


 今年の要のひとつともいえる旅であり、もしかしたら人生として数えても、とても重要な旅であったかもしれないという予感が、その旅を終えてもまだつづいている特別だった数日間。


 旅のはじまりの山は霧に包まれて。


 雲間から射した日差しとともに、麓の湖の神秘の色が、束の間姿をあらわしてくれた。





 朝霧のなか、雨の水滴を纏っていた薔薇園の花。





 旅の“はじまり”の山と記したけれど、ほんとうのこの旅の“はじまり”は、おそらく長浜八幡宮だった。


 長浜に到着し、なんとなくで足を運んだ曳山博物館で、そこに展示されている山車と「子供歌舞伎」の映像に魅了された。


 説明によると、長浜曳山祭というお祭りための山車(すべて揃うと13基だそう)で、そのお祭りでは山車を舞台に土地の子どもたちが歌舞伎を演じるとのことだった。


 映像で流れていたのはたぶん、『鬼一法眼三略巻』と『信州川中島合戦』の一幕を子供たちが演じている場面だったけれど、とても素晴らしく、曳山祭のなりたちは長濱八幡宮の祭礼として山車をつくって曳きまわしたことがはじまりとのことで、無性に長濱八幡宮に訪ってみたくなり、そのようにしたのでした。


 町のなか八幡宮にむかう道はまっすぐに舗装されて、お祭りの日は山車がそこを通るのだろうことを連想させる“参道”であり、また長濱八幡宮自体も、とても澄んでいて気持ちのよいお宮でした。


 吹く風の気配のしなやかなやわらかさ。“ここ”に呼んでいただいたことに感謝とともに。


 長浜曳山祭は豊臣秀吉が長浜城の城主だったころに八幡宮への厚い保護とともにはじまったともいわれているそうで、長浜は秀吉とゆかりが深い場所でもあることから、八幡宮をあとにすると豊國神社のほうにもお詣りしてきました。


 この神社は秀吉亡きあと長浜との縁と故人の威徳を偲んで建立されたものの、徳川の世になったとき、おもてむきは「恵比須宮」と名を変え、秀吉の存在を消しつつ、なお豊臣氏の御霊をお祀りする社としてありつづけ、大正時代になって名を「豊國」に改称されたとのこと。


 長浜のひとたちの太閤秀吉に対する気持ちが察せられます。


 思いがけず予定外に巡ったルート。


 豊臣氏と縁を結んだ千姫にも個人的に思い入れがあるので、すこし感慨深いものがありました。


 そしてそのあとにこの、三方五湖を見晴らせる山頂へと。うつくしい湖の色が忘れがたくまぶたの裏に浮かんでいます。