「俳句はわたしがいままで言葉を綴るときに使ってきた領域と、まったく異なる脳の領域を使っている感じがあって、それが興味深い」と、ある彼女にいうと、「日本語ネイティヴだから愉しめる領域だよね」と返ってきて、なるほどと思った。
俳句というものに取り組んでみようと決めたきっかけはいくつかあるけれども、彼女の「独りよがりにならないために、句会というひらけた場所から始めたかった」というような言葉を聞いたとき、すごく共感し、頷けるものを感じたことも、そのひとつだった。
そういう場で“実験”する機会を自分にあたえてあげることは、それが独りよがりなのか、それとも個性なのか、という境界線の影を、みずからにわかるようにはっきりと濃くしてゆくことでもあると、先月身に沁みて感じたことも記憶にあたらしい。
人の目によって自分というかたちを浮き彫りにされる、そのようにして自身のかたちを知る、ということはあると思う。
言葉を“ひらく”
言葉を“ひらいて”いきたい
そう感じるようになったために、“ひらけた”場所で試みてみたかった。
「独りよがりにならない」ということは、なににおいてもとても大切なことだと、あらためて自分自身に。
俳句、ひとまず1年は取り組んでみようと思う。