2025/11/14
11月の旅 Ⅰ 天橋立にいたる路 ④ 眞名井ー天橋立
今回の旅の、もっともおおきな要であった籠神社ー眞名井神社ー天橋立という道筋。
この旅の全体的な題名を「天橋立にいたる路」としたけれど、ほんとうは「眞名井にいたる路」とするほうがただしいのだと思う。
それだけその地に辿りついたとき、「やっと来ることができた」という万感の思いを深くした。そして自分のなかからあふれてくるものを感じた。それは喜びの“水”のごときもので、この地の水と呼応し、わたしのなかのエネルギーをおおきく高めてくれた。
この眞名井、天橋立からの自分への呼びかけというものがいつからはじまったのかも、はっきりと覚えていて、それは2年まえ、2023年の初夏からだった。
はじまりはあの山の奥深くに秘されていた“泉”
おなじときにおなじ“呼びかけ”を受けとったであろうひとが眞名井、そして天橋立との縁を深めているのを見たり聞いたりしながら、いつかはわたしも行くのだろうと漠然とした予感のようなものがあった。
そして今年の夏の終わりごろ、その“予感”が思いがけず唐突に“予定”となり、すべてが目まぐるしく動いてゆくなか、気がつけばわたしはこの地へと来ていた。
水の記憶が、水の記憶とつながって。
海をふたつにわける此岸と彼岸に架かる橋。
天と地をつなぐ梯子であるといわれた場所。
まっすぐにのびた松の並木道を強い風に吹かれながら歩いた。
龍の胎内巡り。
和泉式部が「橋立の松の下なる磯清水都なりせば君も汲ままし」という歌を詠んだ、四方を海に囲まれながらすこしも塩分をふくまず、清らかな水が湧き出てくるということで古来より不思議の井戸としてつたえられた、天橋立のなかにある湧水。
そのほかにも、“水”にまつわる秘密を湛えた土地。
遥拝所で橋立をのぞむ眺望から別角度に、遠くうっすらと視界にとらえることのできた、冠島と沓島。
このふたつの島は伴侶で、天橋立とつながる神域とされており、籠神社、眞名井神社の奥宮でもある。
雪舟の『天橋立図』にも実際の距離、位置を度外視してこの島が描かれたのは、雪舟がその神聖さを理解していたからとのこと。
雪舟は「ただ目で捉えることのできる風景」ではなく、そこに宿る神性と精神を描くため、天と地をつなぐ場所を架空の視点から眺め、縮図をつくったという話で、画にまつわる謎も多い。
ふたつの島に目を凝らしていると、そこに二艘の船がとおりかかり、伴侶島の冠島沓島との連動を感じて嬉く思った。
冠は“天”に掲げるもの、沓は“地”を歩くもの、どちらも揃って“天地”であり、それがつながるとき異なる力同士が融合するということでその名がつけられたのだろうな、と感じたりなど。
橋立を渡ったさきにあった智恩寺へは時間の関係上、ご挨拶だけになってしまったけれども、吉祥弁財天の社にも眞名井、天橋立の流れのなかにある水の女神を感じることができた。
その日の夕暮れは“天からおりてきた梯子”みたいに、祝福の色をして。



