2024/11/07
眠れる森の周期
わたしのなかである周期が巡ると、Kinuko Y. Craftの『Sleeping Beauty』を手にとりたくなるようなのですが(ほかにもル・カインの『いばらひめ』もそう)、またその周期がやってきたらしく、先日からこの世界のなかに浸っています。
この絵本のなかに描かれた眠りと目覚めの美しさ。
“眠りと目覚め。すべての蛹が羽化し、蝶になれますように。”とこの絵本の感想として、いつかどこかで綴ったことがありました。
“自分が蝶であることを、すべての蛹が信じることができますように。”と。
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先日一斉遠隔で企画した、ハトホル、イシス、クレオパトラの三位一体ヒーリングにたくさんの反響をいただいて、正直驚いています。
毎月一斉遠隔ヒーリングの機会は設けていたものの、たしかにこのような規模と事前準備(ヒーリングをお流しする2時間以上まえに準備をはじめていました)とともに一斉遠隔をするのははじめてかもしれないな、と振り返り、このたびのヒーリングのエネルギーをとおしてわたし自身、いろいろと感じるもの、学んだこと、受けとったものがありました。
今回の三位一体ヒーリングのご感想をおつたえくださるかたに、不思議と共通しているキイワードがあり、それは“眠り”“夢”というものでした。
「夢をとおしてヴィジョンを受けとった」「眠りのなかでこうするとこういう未来にすすむ、という人生の縮図のようなものを見た」「夢のなかの自分はエメラルドグリーンの空間のなかにいて、その自分は“すべてを知っている”という感覚のなかで空間と自分自身に身をゆだねていた」
そういったお声をお寄せくださること、ご自身が受けとられたものをアウトプットしてくださったことに感謝しています。
ありがとうございます。
眠りや夢はみずからのなかの“月”とつながっているもの。
太陽が顕在的な自分、外側にあらわされる光ならば、月は潜在的な自分、内側に流れる水のようで、眠りや夢をとおしてわたしたちは自身のなかに流れる川に触れる。
今回の一斉遠隔のあといただくお声のなかに“眠り”や“夢”が散見できたのは偶然ではなく、それをとおしてダウンロードされるものがあったのでしょう。
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繭と蕾に閉じた眠りが、蝶と花の目覚めに開く。自分自身の力を育み、取り戻すことが“目覚め”。
“目覚めた”とき彼女が頭上に戴くべき冠が枕元に置かれている。その冠を頭上に載せるために、すべてのことがあった。
それを戴冠するために知らなければいけなかったこと。
その冠にふさわしい者となるために、蕾の眠りのなかに自身を閉じこめ、そして自分自身の力によって花を開かなければいけなかったこと。
花になるための戦いが静かに眠りのなかでおこなわれていた。
それは危険なものから身を護るための“籠り”でありながら、もっとも“危険なもの”である自分自身の闇を見つめて、内部の力を高める成熟への道。
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『Sleeping Beauty』の感想としていつかこのように綴った言葉は、わたし“祈り”としてあるものです。
その“祈り”をかたちにしたくて、わたしは去年、『天の花 地の星』という本をつくりました。
あれはそれをもつかたのお守り、護符となるように、という意図のもとデザインし、そして上記したように“自分自身の力を育み、取り戻す戦い”のなかにいるすべての姉妹たち(“姉妹”とは性別ではないのです)のために、そしてなによりわたし自身のために書いたのでした。
その途中、過程において自分自身の心から流血するようなことがあり、経過を辿るごとに「まずは言葉にしたことをおのれから実践せよ」といわれているのだと感じられることがあり、さまざまなかたが「神秘的」だと喩えてくださったあの本に宿るものが、わたしにはあまりにも生々しい現実としてありました。
それは「自部自身の力によって“開かなければいけなかった”こと」でした。
だからわたしは、ほんとうのほんとうの本心では、心からあの本を愛することができなかった。
これをいま、ようやくいえる(しかしそれは、あえていわなくてもいいこと。「ようやくいえる」とは、わたしのエゴだ)
だって本に対しても、それをつくるために協力してくれたかたに対しても、それを発表する場をあたえてくださったかたに対しても、そんなに失礼なことってないでしょう?
そんな自分に戸惑い、だから今年は年始からずっと、“内部の力を高める”ということが自分自身のテーマでした。それはつまり余剰を浄め、自分の力を取り戻す、ということです。
あの本の言葉に宿るものがわたしの“真実”であると、そしてそこに見つめた闇と拓かれた光があると、なによりわたし自身でもって証明する必要があるとうながされました。
いまわたしはあらためてあの本を、わたしの“姉妹たち”に手渡すことができる自分として開かれつつあることを感じています(でも、それはまだ完全ではない)
もしあなたが「花になるための静かな戦い」のなかにいるのなら、この本の文を心のなかで読み、唱えてみてください。
その意味がつかめなかったとしても、ただそばにあるだけであなたの“眠り”の護りになるだろうと思います、といまならいえる。それが“ほんとうのこと”だとわかっているから。
わたし自身もそうだったように、そしていま現在においてもある部分においてはそうであるように。
それは「“眠り”の“護り”」のための祈祷書であるといえます。
『天の花 地の星』(お取り扱いくださっている草舟あんとす号さんの通販サイトへのリンク)