2023/12/20
「星降る夜に」後記
12月7日から10日まで、一橋学園駅にあるカフェノルンさんでの展示、「星降る夜に」展に参加していました。
すでに展示、そのあと1週間設けていただいた通販期間も終了しておりますが、この展示にさいして『天の花 地の星』という一冊の本を編みました。
わたしにたくさんの“贈り物”をあたえてくれた展示であり、言葉をかたちにする機会をあたえてくださったノルンさんと、この私家本に美しく緻密な挿絵を寄せてくださったharumieさん、近くから遠くからお心寄せてくださったかたがたに感謝しています。
『天の花 地の星』は、誰もが自分自身の内側とつながることで開く花と戴く星がある、という祈りを、“ふたりのマリア”の面影に重ねて綴ったものです。
表紙には星を、裏表紙には薔薇と百合をそれぞれ箔押ししていただき、あえて日本語で題名を入れず、ラテン語で「flores caeli,stellae terrestres」――天の花 地の星と刻印いたしました。そして秘められたちいさな「M」
いま思うことは、わたしは自分自身の“お守り”として、あの一冊をなによりもまずみずからに捧げるために書きたかったのかもしれない、ということ。
本のサイズは経典を意識したのですが、それはそこに綴る言葉が“祈り”のためのものであったからでした。
今回の“言葉”をあらわすために経験しなければならなかった一連の出来事があり、多くの“贈り物”をあたえてくれたこの展示は、ある意味ではわたしにとってわかりやすくひとつの試練の象徴でもありました。
展示にいらしてくださった友人にその話をしながら、しかしこの本を書くために起きたそれらの出来事、それにまつわるあらゆる蛇の足を自分は体験しなければいけなかったのだ、と気づきました。そうでないと“言葉”は宙に浮き、地に根づかない。
天の花、地の星。
それを理解したとき、「そうだったのね」と自分自身に対して深く感じられ、これも他者に“語りかける”ということをとおして得られた気づきであり、とてもありがたいことでした。
わたしは人に“語りかける”ことで、自分でも知らなかったことを知ることがよくあるのですが(反対に相手の話を“聞く”ことで相手が意識していなかったことを引きだすこと、それによって相手自身の“答えあわせ”となることもおなじくらいにあり、そちらの能力は基本的に境界線を設けてお仕事――Luna somniumのsession内、遠隔の場合はmessageのなかで完結、発揮させるようにしています。そうでなければ自分と相手の“神聖な距離”を崩してしまう、ということが過去に多々あり、それは結局どちらのためにもならない方向にスパイラルして望んでいなかった終わりを迎える、これもまた過去の“経験”によって知っているからです。)
“対話”が生まれるとき、相手を成熟した“聞き手”だと信頼しているからこそ、自身の奥深くに隠れていた言葉があらわれてくる、ということ。“言葉”は信頼があってあらわれるものである、ということ。
それをあらためて教えてくれたように感じ、わたしもみずからの純度をあげてゆきたいと心から感じたものでした。
このことにかぎらず、この展示をとおして「信頼できる“聞き手“」であってくれたかたがたへの感謝を深くすることもあり、『星降る夜に』のことを想いだすとき、そのあたたかさとぬくもりを同時に想起するのだと思います。
最後は展示と関係のない話になってしまいましたが、わたしにとってとても意味深く、より深く“感謝”につながることを教えてくれた展示でもありました。
昨日くらいから通販のほうでお求めいただいたかたからも「届いたよ」のお声をつづけていただき、とても嬉しいです。
本を手にとってくださったかたのお心に、すこしでも触れる“言葉”があれば幸いに思います。
ありがとうございました。