2026/10/16
月の片翅』をよむ(秋の回)受付開始
大勢待なつみさんの朗読教室
『月の片翅』をよむ
at 草舟あんとす号
🌑秋の回、募集開始しています🌕
10/25(日) 10:30-12:00
プリント、お茶・お菓子つき
4,500円
▷ 受付
草舟あんとす号access
東京都小平市小川町2-2051
tel 08013305452
JR武蔵野線「新小平駅」より 徒歩8分
西武国分寺線・拝島線「小川駅」より 徒歩10分
*
小平にある植物の本屋さん、草舟あんとす号で季節の巡りとともに開催される、
朗読家・書籍修復家の大勢待なつみさんの朗読教室で、
津木野由芽の『月の片翅』をテキストとして使っていただいています。
目で捉えた言葉を声にする、それを繋げ、連ねてゆくことは、わたしにとって、
渦のはじまりの波紋を自分のなかに見つけること、
みずからの“森”に隠されていた泉を探すこと、
その水鏡を覗きこんで映しだされたものを見つめること、でもありました。
草舟あんとす号という空間で、そのとき集ったひとたちの声を聴き、さだめられた言葉を読んでいるとき、
それぞれの声から言葉以上の輪郭が浮かびあがり、そのひとの“水鏡”がそこに映しだされる。
その瞬間、わたし自身の“水鏡”もそこに現れている。
おなじ“舟”のなかから、それを見つめる時間。
2026/10/09
『波音を待つ夜に』 at gallery hydrangea
彼女のことを、「硝子が落とした影さえも、透ける花びらみたいにそっと大切に拾い集めて、心のなかに仕舞っていそうなひと」と形容したことがある。
その彼女の手が生みだした結霜少女。
霜花の淡く儚く、けれども背骨にたしかな芯をもつ白。
彼女そのもの。
2026/07/08
『月の片翅をよむ 夏の回』朗読教室 7月5日
四季を巡る大勢待なつみさんの朗読教室、『月の片翅をよむ』の夏の回 、草舟あんとす号にて
「では薔薇は?
薔薇の花はどんな秘密をその渦のなかに隠しているのだろう。」
からはじまる文章を読みました。
“森”のなかに入ってゆく場面を、holy gardenの緑がもっとも濃く繁る季節に。
発声をはじめた途端にささやかに降りだした雨は、“森”の奥深くへと進むほどにはげしくなって、終わりの合図のころに突然やんだ。
「まるで退行してゆくよう」だといっていた誰かの声。
淹れていただいたホーリーバジルのお茶を飲みながら声を放ち、言葉をかわしあうひとときは、
一時的に外界から隔てられた“森”のなか、あるいは泉の水の底を映す“舟”のなかで、自分自身のこだまに心澄ます時間でした。
*
蛇足としての余談のようなもの
『月の片翅』を書くとき、今回の朗読教室で読んだ場面の言葉をおろしてゆくことはとても苦しかったことで、この部分を“読む”のだということになったとき、胸が塞がれるような、呼吸がしづらいような気持ちになり、それはこの場面を記すことが、わたしにとってクノッソスの迷宮のごとき“森”のなかに入ってゆくようなことであったこと、おそらく“声”をとおして文字を“読む”ことで、それをふたたび体験することを知っていたからでした。
漠然と心に靄がかかるとき、自分のなかの“森”が騒めいている。
またひとつ、さらに“奥”へと進むようにもとめてくる。
入口と出口がおなじ場所にある、誰のなかにも存在する迷宮のごとき“森”
――「まるで退行してゆくよう」
声という音にしてみずからの“外”に言葉を放つことによって、その音を、その言葉を自分自身にも聴かせることは、二重の意味をもつ“まじない”のようなものでもあるのだな、と昨日は感じた。
家に帰った途端にとても眠くなって寝床に籠り、長い時間意識から離れる必要があったのも、その“森”の道を、しるべを辿りながら歩いてゆく“つづき”が無意識のなかではおこなわれていたのだろうと。
とても貴重で、重要なことでした。
それは「より呼吸を深くするために」「さらに澄んだすがすがしい風が胸のなかを通るために」起こること、いつだって。
自身からうながされ、“森”の奥へと進み、その景色と対峙して自分のものとするたびに、
奥へ奥へと進み、みずからを研ぎ澄ませてゆくたびに。
次回のお教室は秋も深まるころの、10月25日(日)を予定されているそうです*
またふたたびの“巡り”を楽しみに。
2026/06/20
『月の片翅』をよむ(夏の回)受付開始【満席】
大勢待なつみさんの朗読教室
『月の片翅』をよむ
at 草舟あんとす号
🦋夏の回、募集開始しました🦋
7/5(日) 10:30-12:00
プリント、お茶・お菓子つき
4,500円
受付はこちら【満席になりました】
草舟あんとす号access
東京都小平市小川町2-2051 tel 08013305452
JR武蔵野線「新小平駅」より 徒歩8分
西武国分寺線・拝島線「小川駅」より 徒歩10分
*
小平にある植物の本屋さん、草舟あんとす号で季節の巡りとともに開催される、朗読家・書籍修復家の大勢待なつみさんの朗読教室で、津木野由芽の『月の片翅』をテキストとして使っていただいています。
春につづきこの夏も、わたしも参加予定で楽しみにしています*
余談ですが『月の片翅』の作中に、満月という女の子の
「幼いころ、花の根もとには輝く宝石が埋められているのだと思っていた。」
という語りがあるのですが、初夏の日々に紫陽花を眺めながら、この花の下に埋められている“石”は蛍石かしら、などと思い浮かべたりしています。
作中の冒頭にあたるこの部分は、春のお教室のさいに朗読したのですけれども、あらためて声にして読んでみると、言葉が“意味”から離れ、そしてまた自分では意図していなかったあたらしい“意味”をこだまさせて還ってきてくるような、より澄んだ自分とつながる、肉体が「植物に近づく時間」だったなと感じます。
2026/05/15
双子のかたわれ、あるいは少女と乙女
いつか、少女という生き物について「空を飛ぶことを祈りながら背中に羽がある自身を疑い、反世界に出奔しようとするのが少女。」と綴ったことがある。
当時の言葉にしたがうなら“少女”――いつもその肩越しに“空”を感じるひとから、双子の薔薇のかたわれをいただいた。
彼女が手ずからおつくりになられたもの。
ちなみに「夢を見ることを願って心臓に翅がある自身を信じ、世界を空想しようとするのが乙女。」
少女と乙女はずっとわたしのおおきなテーマのひとつだけど、最近またあらためてそれを意識することがつづいていて、これはどういうことだろうと観測している。
***
少女は拒絶する、乙女は受容する。
世界を、時間を、他者を、そしておそらく自分自身を。
自分を縛る何者かに首を横に振り、
ときにはおのれの美しささえも拒み背け、
空を飛ぶことだけを祈り、
その背中に羽がある自身を疑い、
反世界に出奔しようとするのが少女。
自分が愛す何者かに首を縦に振り、
ときにはおのれの穢なささえも迎え入れ、
夢を見ることだけを願い、
その心臓に翅がある自身を信じ、
世界を空想しようとするのが乙女。
少女は高潔で勇敢。乙女は慈悲と夢。
(大昔のアリス・リデルの誕生日に記した言葉から。――そのころのわたしにとって“少女”はアリス・リデル、“乙女”はクシー・キッチンでした。)
***
『月の片翅』
©Yume tsukino
©yukane
2026/03/31
2026/03/30
holy garden
2026/03/28
片翅の泉、通販会のお知らせ
3月28日の今夜20時から、3月30日の23時まで、『片翅の泉 katahane no izumi』展の通販会が開催されます*
わたし、津木野由芽からは片翅の泉がひらかれた草舟あんとす号のあるholy gardenという場所にいつも感じている魔法を、新月と満月という双子の物語をとおして紡いだ『月の片翅』という本をお取り扱いいただきます。
雪と桜、新月と満月を溶けあわせ、お読みくださるかたそれぞれが、ご自身の“魔法”とつながるようにという祈りとともに🌑🦋🌕
『月の片翅』
B6版 123頁
文 津木野由芽
絵 yukane
ほかにも過去に編んだ『天の花 地の星』もご厚意でお取り扱いくださるとのことです。
ふたり展の“片翅”であるyukaneさん @yukane_watercolour の原画、本、オラクルカードや4月はじまりのカレンダーなどもございますので
ぜひ3日間だけふたたび開いている“泉”へと、プライベートな空間から画面越しに訪ねてみられてください🦋
通販はこちらから
3月28日(土)20時から
3月30日(月)23時まで
2026/03/21
少女と乙女
2026/03/19
双子の薔薇
双子の誕生日といえば、その日にコトリ花店 @kotorihanaten さんでお花を束ねていただく場面もあり、そのときの「双子の薔薇」は、実際に二輪の薔薇を迎えたときコトリさんがかけてくださった言葉から。
あの白いお部屋、今回わたしが《聖堂》と記した場所で数年まえに「双子のばら」という展示をされたこともあります*
ふたり展にさいして、コトリさんにお祝いをお頼みくださったかたから、初日にとても素敵な花束もいただきました。
籠を包んでくださった紙のグリーンとその形から、わたしは「草舟」を想起して。
草舟がたくさんの花の夢を載せて、草舟あんとす号のなかを漂っているよう。
コトリさんがふたり展のためにつくってくださった鳥の巣のアレンジも、とても素敵で、ネコヤナギの花穂が繭みたいだね、ミモザがたくさんの星みたいだね、などといいながら。
そしてやっぱりわたしにはそれが「舟」のかたちに見え、花穂がその舟が進むたびにそよぐ旗のようだと。
お立ち寄りになられたときは、ぜひあわせてご覧ください*
メディスン
『月の片翅』をお読みいただくうえで知っておく必要はまったくないのですが、春分の前日の新月の今日は、作中の双子の誕生日ということになっています。
会期2日目にholy gardenのお庭でしたお茶会のコナフェさんのケーキは、そのバースデーの“メディスン”、そしてすべてのための“メディスン”にもなるように、と密やかな祈りとしてつくっていただきました。
お茶会に一期一会でご一緒くださったかた、目に見えるひとたちだけでなく姿はなくてもenergyとしていてくださったかたがたをとおして浮かびあがる自分の世界。
自身の目の届かない人や場所もふくめて、世界が穏やかでやさしくあるように、そしてわたしもそうであるように、という祈りの“メディスン”
コナフェさんのお花のケーキは、今回をふくめ3度つくっていただく機会があり、それはいつもわたしにとって重要な節目のための祝福としてのものでした
メディスン――このたびの白と黒のふたつの蝶のケーキにもそれをすごく感じていますし、“すべてのための”メディスンでもあったのだと思います。
よい新月を、そして春分を🌑🦋🌕
『片翅の泉』、水木はおやすみをいただき、つぎは春分の20日、金曜日からお待ちしています。
2026/03/12
『片翅の泉』の展示名について
3月14日から草舟あんとす号さんで開催される『片翅の泉 katahane no izumi』の展示名について、ご質問を受けることがあります。
わたしとyukaneさんのあいだでは、この展示のことが決まってすぐのころから「おそらくこういう名前だろう」という気持ちがあり、そこにお互い疑問をはさまずに来たのですが、この「片翅」という響きに不思議な印象を感じられるかたもいらっしゃるのではないかと思いますので、遡って数年まえのyukaneさんとのやりとりをとおして、そこにつながった道筋みたいなものを。
(撮影 草舟あんとす号)
まず、わたしのなかにはこれまで草舟あんとす号で3回おこなわれた、yukaneさんの『繭の森』という展示の題のことがありました。
そのつぎの段階として、繭から生まれる蝶、というアプローチが今回はあるのではないかと感じ、でもそれはまだ繭からあらわれたばかりで完全な羽化というより、「籠り」のなかで育まれた「翅」というイメージもありました。
飛ぶための翅を育んだ時間で培ったものを外へとあらわす段階、といえばいいでしょうか。
『片翅の泉』の「泉」のことをいうなら、yukaneさんが描かれた銀と漆黒の一角獣から、ほんとうの意味でこの展示が“はじまった”のだと思っているのですが、二頭のあいだに出現する泉が非常に示唆的で、それは“繭の森”の奥深くに進むことで辿りつくことのできる泉なのではないか、とも感じました。
そこでyukaneさんに、「蝶の泉」や「泉の翅」という感じが展示名としてくる、というようなことを、記録を遡るとおつたえしていたようです。
繭の森の“繭”は蝶になるまえの護りのもの。それがほどかれて開く蝶。
泉の水鏡のむこうに映る自分との統合、その自分と「ひとつになる」ことが「蝶になる」ということ。“自分”と“相手”(それもまた“自分”)が溶けあわさることで顕れるもの。
その自分と相手を「光」と「影」という言葉に置き換えることもできます。
そして光と影は蝶の片翅ずつだと。
自身のなかの影を、それもまた“わたし”なのだと認め、受けいれることで光を放つ。「ふたつの翅」の両方があわさることが「蝶になる」ということなのではないかと、そのような話をyukaneさんにしました。
「蝶は光と影のようなところがありますね」と、そのときyukaneさんもおっしゃっていました。「2片の翅をもち、表と裏があり、変容して、天と地のあわいをどちらにも属さずに漂っている。泉は境界でもありますね。蝶が導く金の糸、『片翅の蝶』、素敵だと思う」と。
「飛ぶための翅。蝶になるまえに翅がいる、となると“片翅”ということになるのでしょうか。繭のつぎに片翅、片翅のつぎに蝶。そういう順序のような気がするんです」とわたしがいえば、
「『片翅』という表現に惹かれます。不完全な完全性というか。月も完全な形でなくても完全というか。上手く言葉にならないですけど」とyukaneさんが返してくれました。
「“片翅”は新月と満月、白い月と黒い月みたいでもありますね。わたしのもとにいてくれるyukaneさんの絵みたいに」とまたわたしがいい、そのようなやりとりをとおして、おそらく展示名は『片翅の泉』なのだろうという共通認識になりました。
その題名しかないと、たぶんお互いにそこまで強い意志で思っていたわけではないので、もしかしたら蝶の成長の段階のように名前も変わるのかもしれないと思いつつ、でもそのはじまりのときにかりそめに名づけた『片翅の泉』に、たぶんおさまるのだろうという気持ちで、準備を進めました。
それは最初のインスピレーションとともにやってきた名であり、どんなものでもそうですが、最初のインスピレーションにこそ魔法は宿っているものですから。
簡単になりましたが、『片翅の泉』という展示名のこと、幕があがるまえに触れておきたかったので。
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