2026/04/11
atelier utopiano企画展『Violette et œuf』
たまごのなかには夢が、すみれの蕾にはまだ見ぬ懐かしさが。
つくりてごとにわずかに異なる菫の花の色あいに、その花に託された想いを教えていただくみたいに感じられて、菫色のグラデーションを飽くことなくつぶさに見つめてしまう、心華やぐ展示でした。
いただいてきた菫のお菓子も甘くほろほろと口のなかで溶け、夢の名残のようで…
松本裕子個展『 透花』 at Gallery SU
松本裕子さんの個展『 透花』へ。
沙羅や高砂芙蓉の、花開けば一瞬でこぼれおちてゆく儚さも、菫や秋明菊の可憐な姿に秘められた強靭なしなやかさも、どちらのうつくしさも硝子をとおして。
硝子の花たちに寄り添う影の繊細さにもため息がこぼれた。
眺めていると自分自身も透けて、影だけになってゆくような。
硝子のお部屋に入るまえ、そこから出るとき、和朗フラットの緑の繁みに菫の花やクリスマスローズが花を開かせていて、展示の世界とのつながりを感じつつ。
2026/04/08
月の片翅』をよむ(追記。募集開始しました)
大勢待なつみさんの朗読教室
『月の片翅』をよむ
*
小平にある植物の本屋さん、草舟あんとす号で開催される朗読家・書籍修復家の大勢待なつみさんの朗読教室のなかで、津木野由芽の『月の片翅』をテキストとして使っていただくことになりました。
大勢待さんよりお声がけいただいたときは、驚きとともにとても嬉しく、声という筒をとおして言葉を外に放つことで、そこにある“意味”を超え、それぞれの“音”に心を澄ませる――そのような魅力を朗読に感じてきましあたので、わたし自身もこのような機会をとおして、自分の“声”とともにつながる“音”に澄ますひとときをもちたいと、ぜひ参加したく思っております*
朗読教室の受付 ▷こちらから大勢待さんの言葉をとおして朗読についてのこと、当日の流れ、今回のテキストの全文をお読みいただけます。
春夏秋冬にわけて開催される予定のようですが、それぞれ単発でご参加可能となっています〇
holy gardenという場、即興であらわれるもの、それぞれの“声”より放たれ、紡がれ、綾なされる色は、その都度異なるものを見せてくれると思います。
第1回の春は4/19(日)10:00-11:30より草舟あんとす号にて
access 東京都小平市小川町2-2051 JR武蔵野線「新小平駅」より徒歩6~8分、西武国分寺線「小川駅」より徒歩10分(駐車場あり)
日曜日の朝、holy gardenでみずからの“音”に心を傾けるひとときを*
2026/04/06
草舟あんとす号さんへ追納いたしました
草舟あんとす号さんに『月の片翅』を追納いたしました。
白い表紙は角度を傾けると蝶が鱗粉を――魔法の粉を翅からふりまいているみたいに煌めき、同時にそれは陽に反射する雪の光のようでもあって、やはりこれは雪と桜のものがたりなのだと感じつつ。
(『月の片翅』 装丁、挿画 yukane)
また、おなじく『天の花 地の星』も草舟あんとす号さんに再納品いたしました。
最近あたらしく、このちいさな本の言葉に触れられたかた、以前にお読みになられたかたからのご感想をお聞かせいただく機会がいくつも重なり、嬉しく思っています。
ありがとうございます*
『天の花 地の星』については、よろしければあわせてこちらもお読みください。
(『天の花 地の星』 挿画 harumie)
どちらの本も、店頭、通販にておもとめいただけます。
月の片翅
天の花 地の星
2026/04/05
天使
点滴堂さんの本棚から、なぜだか手がひとりでにその書物をとったので、頁を繰れば「天使に触れるなら四月。」という言葉が目に入って、はっとする。
そして表紙の絵とおなじ天使が頁のはざまから現れたとき、おそらくこの本をお迎えするのだろうと。
「やがて、闇と光をつなぐ、一瞬の四月がやってくるはずだ。そして僕たちは右手を上げ、その人差し指を差し出すだろう。」と締めくくられていた天使の本。
ひさしぶりのカフェオレもおいしく、あの静けさと甘い音楽と書物の背表紙のなかで、神経が癒されるものを感じつつ、“天使に触れた”四月の夜。
三人展 『ー』 at 国立 room103
三人展 『ー』 at 国立 room103
硝子と光、木と手触り、灯された火。
空間で綾なされるみっつの祈りのかたち。
そこに共通する静謐さ。
角度を変えるたび異なる表情を見せてくれる煌めきと影に気がつけば時を忘れ、時間というものが溶けてしまうひとときのなかに、安らぎはあるのだろうと感じたり。
2026/04/04
記録
今年の目標のひとつは、なるべく記録をつけること。
すべてがあまりにも目まぐるしいので、ひとつ終わったと思うと、もうつぎの流れに入っているがゆえに、それをひとつずつ並べて残しておくということを、これまであまりしてこなかった。
けれどもひとつずつはすべて大切なことなので、なるべく栞を挟んでいきたい。
すでに桜だけでも残せていない記録がいくつもあるから。
これは六義園の桜。見事だった。
東国三社
とくべつな満月の日。
東国の三社巡礼。
ずっとうかがいたかった香取神宮ー鹿島神宮ではあるけれど、なぜだかそれが叶わないということがつづいて、去年の終わりに起きたことをとおして、「いまじゃないんだな」と受けとっていた。
これまでの扉を閉じるようにして辿りついた3月、長いあいだかけて準備してきた個人的な通過儀礼であり祝祭でもあった『片翅の泉』という展示を終えたとき、つぎの満月にあたらしい扉が開かれることを感じた。
そして「行こう」と思ったときは行けなかったその場所に、いとも簡単に向かっていた。
ただし、かならず「三社」でなければいけないとつたえられていた。
香取神宮ー鹿島神宮のラインに加えて、息栖神社にかならずうかがうこと、と。
香取神宮の「か」は「禍」のことをあらわし、「“禍”をとる」という意味。
鹿島神宮はおなじように「か(禍)」にまつわるものを断ち切る助力をしてくれる場所。
二社は対となっているため、1日でどちらも巡るのが望ましいが、それはあまりにも強い浄化をもたらすということでもあると。
どのようなひとのなかにも「か(禍)」の種、場合によっては深い根があるものではあれど、それを断ち切るとき、現実においてはネガティヴな現象としてそれが立ち現れることがある。
それは大難を小難にの「小難」としてあらわれるものでもあり、自分のなかにあったものを見せてくれているだけなのだけど、「か(禍)をとる」とはそういうことでもあるから、二社だけでなく、息栖神社も巡ること、香取と鹿島だけでなく、昔のひとのように東国三社をまわること、と。
それによって「か(禍)」の浄めの強さは中和されるから、と。
そのとおりであることを、翌日の今日深く感じている。自分にとっても重要な場所を巡ってきたのだと。
おかげさまで、また素晴らしい旅ができた。
予定外に最後の場所として「物忌」にまつわる鹿島神宮跡地にお寄りすることができたのも、とても意味のあることだった。
そこから帰るとき、夕日がおおきく黄金色に輝いていて、空は薄紅に染まっていた。
言葉ではいいあわらすことのできない、あまりにもおおきな祝福に、思わず両手でその光を受けとるように、太陽にむかって差し出した。
考えるよりまえに、自然とそうせずにはいられなかった。
てのひらのうえに、まるい金色のひかり。
まるで満月みたいな太陽。
夕暮れと夜のあわいで太陽と月がひとつになって、太陽だったものが夜の訪れとともに月になるみたいな、もとはひとつのものだったような、そんなふうにすら思った。
その時機が訪れたら行けるようになる場所というものがあって、わたしの段階にあわせて、その場所への道は拓ける。
そういうことがあることを経験で知っていて、この巡りはいまだったのだと、そしてこの満月がもっともふさわしいときだったのだと、心から思いながら帰路についた。
また逢えたね*
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