2025/03/31

holy gardenのピクニック







 holy gardenのお庭でピクニック。


 ミモザのお花のリストレットを互いに結びあい、矢車菊が飾られたトライフルをいただいて、ストロベリーのお茶に星のような花の黄色を浮かべる。


 つがいの鳥が幾度も頭上を渡ってゆくたび、光のなかを通りすぎてゆく影、植物たちの揺らぎ。


 柔らかで甘やかな午後。





 holy gardenにむかうまえ、駅で待ちあわせしていた友人と目的地にむかって歩きながら本の話をして、今井むつみ著『ことばの発達の謎を解く』の話題になり、自分が子どものころに“シンデレラ”という発音がむつかしかった時期があったことを想いだした。


 それを想いだしたからなのか、精霊たちが宿っているだろう樹木にかこまれた森の、鳩のご夫婦の安心した軽やかな羽ばたきが聴こえる庭で、シンデレラのことを考えたりしていた。


 わたしが幼いころに読んだ童話はかなり原典に添ったもので、魔法使いのおばあさんは登場せず、彼女に舞踏会へのみちしるべをあたえてくれるのは、彼女を子どものころから見守っていた樹の精と鳩の夫婦だった。


 そしてかれらがシンデレラにあたえたドレスと靴は、彼女の亡き母親のものだったように覚えている。架空の記憶かもしれないけれども。



 靴は硝子ではなく金の靴で、金色というのは「この世であらわすことができない高次の色を、視覚化するためにあえてあらわされた色」なのだと、最近人から聞いた話も数珠つなぎに想起されて、だからその“金の靴”はシンデレラの次元を変えてくれる、時空を超えた母親からの贈り物だったのかもしれない、などと思ったりした。


 そういえばシンデレラをモチーフにしたゲイル・カーソン・レヴィンの『さよなら「いい子」の魔法』が『魔法にかけられたエラ』と改題して復刊されたときも、ある女の子たちへの贈り物としてholy gardenを形成するみっつのお店のひとつ、草舟あんとす号さんにお頼みして出版社から取り寄せていただいたことがあったなと、そのことも懐かしく感じながら。


 あの本もわたしにとって、とても大切な物語。


 大切な場所は、大切な記憶を連れてくる。







 コトリ花店さんの白いお部屋からいただいてきたお花たちが、陽射しを浴びてきらめいていた。


 鱗粉をこぼす妖精みたいに。





 うつくしいヒヤシンス。甘く清められるような香り。





 草舟あんとす号さんの窓辺と、conafeさんの棚に気づかなければ通りすぎてしまいそうなほど密やかに置かれてあったきれいなもの。


 あとから振り返ればholy gardenのみっつのお店で、それぞれのチューリップの花が沈黙で囁いてくれるような日でもあった。










サラスヴァティの一斉遠隔ヒーリングのご報告







 3月にLuna Somniumのセッションをお受けになられたかたへのサラスヴァティの一斉遠隔ヒーリング、無事に終了しております。


 今回のヒーリングはハートとインナーチャイルドの癒し、回復というキイワードがおおきくあらわれていました。


 それによる男性性と女性性のバランス、動と静のバランス、その偏りとなっている部分のクリアリング、クリーニング、ヒーリング。


 過去の出来事によって細胞の記憶に“契約”となって刻まれてしまっているもの。


 「こうであらねばならない」「こうあるべき」と自分自身に課している制約のなかに、たとえば親族や、幼いころ自分より“上”の立場にあったひとの教え、価値観、観念、ジャッジとして吸収したもの、またそのひとたちのように「なりたくない」と思い、その反対物を描くと自分自身にさだめたもの。


 「わかってほしかった」のに「わかってもらえなかった」気持ち。


 子どものころの記憶が、もしかしたらもう忘れてしまっているような記憶もふくめ、現在の「みずからに課している“契約”」につながり、そして自身のバランスが偏りにつながっていることがあります。


 おのれに課しているものが多いほど自分自身のエネルギーは重くなるのですが、たくさんのものを課していると、喜びを感じる力や遊び心も自分のなかから遠ざかってゆく、ということがあり、“喜び”はわたしたちの生きる力の源にある力でもあるので、それを“忘れている”ということは、「眠ったまま生きる」ということが起こりうるのです。


 この“眠り”は就寝、睡眠の眠りではなく、起きたまま“眠っている”状態のことです。


 「課しているもの」とは「本来の自分ではない」エネルギーを自分のものとして纏っているということです。


 だから課しているものが多いほど、エネルギーは重い。エネルギーが重いほど本来の自分ではない状態、それは自分を“眠らせている”状態である、といえます。


 サラスヴァティはもともと、男性性と女性性の統合をつかさどる女神でもあります。


 それはわたしたちの動と静のバランス、オンとオフのバランスともつながっています。


 だからその部分の偏りに、今回は浄めと癒しをおくってくれた、とありますが、その偏りの原因となっているものとしての、ハートブレイクやインナーチャイルドというキイワード、そこに光をおくったのだとつたえられています。


 サラスヴァティは水の“流れ”の女神。


 “偏り”は流れていない部分から発生するものです。


 “過去”のなかに留まって固定されているもの、それが現在の自分自身のためにはなっていないもの、その部分にクリーニングをうながし、そしてこの女神は、あなたがあなたのなかに光をふたたび発見すること、それが自分自身のなかにあるのだと想いだすことを願っているのだそうです。


 今回は以上になります。


 このたびもありがとうございました。ご参加くださったかたがたに感謝いたします。


 いつもあなたがあなたでありますように。







2025/03/24

3月、サラスヴァティ









 Luna Somniumの3月の女神はサラスヴァティで、今月はこの女神とのつながりを深めています。


 そのため今月のセッションを受けられるかたに施術いたしますエネルギーにはすべて、対面、遠隔問わずこの女神のエネルギーが副次的にふくまれています。


 サラスヴァティについては幾度か言葉で綴ったことがあり、あらたに繰り返しをここに記すより、そちらを読んでくださるほうがよいかと思いますが、ひとつ、わたしには先月から気になっていたことがあり、それは「なぜ2月がサラスヴァティではないのだろう」ということでした。


 先月がラクシュミで、今月がサラスヴァティということは、2月の諏訪の旅の準備の段階で決まっていた、つたえられていたことでしたが、諏訪の旅に「サラスヴァティ」という女神はひとつのテーマとして深く深く関わっていました。


 けれども2月の女神はラクシュミでした。


 それについては、なぜサラスヴァティではなくでラクシュミなのだろう? と個人的に不思議でもありました。


 でも、わたしは自分自身のエゴをまじえず、つたわってきたものをそのまま顕すだけ。


 そのうえで3月の女神はサラスヴァティときたとき、「え? そうなの?」という疑問符が、ますます自身のなかでおおきくなりました。翌月に配置されるのだったら、なぜ2月ではなかったのだろう、と思ったのです。


 しかしそのあと4月の諏訪に再訪することが決まり、ふたたびおおきな流れのなかに入ってゆく自分を感じたとき、サラスヴァティは中間の女神として、2月と4月をつないでくれるのだ、と感じました。


 こんなにはやく諏訪にふたたびむかうことになるなんて、自分では考えてもいないことでした。でも、はじめからそのような“流れ”だったのだろうと。先月諏訪にうかがうまえから、そのずっとまえから。だからサラスヴァティはこの3月でなければならなかった。


 サラスヴァティは流れと循環の女神。だから“つなぎ”の女神でもあります。


 2月と4月の中間で“つないでくれる”ための3月なのだと、いまになっていろいろ腑に落ちるものがあります。


 3月は春分がありお彼岸があり、いろいろな扉や門が開く切り替わりの月でもあります。


 そのとき自分の“流れ”にしたがえるよう、とくに今年においてはそれが大切だからこそこの月の女神であってくれたこと。


 そのうえでいまから告知すると4月の女神はドゥルガーのようなのですが、サラスヴァティと密接な関係にあるラクシュミとドゥルガーを“つなぐ”ということでもあったのだと。


 この三女神は遠く遡れば、もともとはひとつのおおきな女神であったのではないかと、わたしは去年の終わりくらいから感じており、日本に伝来するとき「弁財天」という名を得たのは、サラスヴァティ(弁)とラクシュミ(財)の融合だったのではないかと思っています。


 そしてここのところあらゆる場所で八臂弁財天と出逢うのですが、そのお姿にどうしてもドゥルガーが呼び起こされ、重ねてしまうのです。


 ラクシュミ、サラスヴァティ、ドゥルガーの三位一体としての“弁財天”。


 4月がドゥルガーというのは、いまのわたしにはおおきく納得し理解できることで(4月の諏訪ではドゥルガーのお力が必要なことをするのだと、自分でもわかっているので)、そして振り返れば2月の諏訪では「喜びを受けとる器」、「豊かさの復活」ということがテーマでもあって、あの旅のなかで祝いに米粒の祝福を降らせるようにして黄金色の祝福の粒を降らせたことを想いだすと、そこにたしかにラクシュミがいてくれたこと、おおきくサポートしてくれていたことを、ひと月以上が過ぎたいまあらためて感じています。


 そして今月はサラスヴァティが、おおきな“巡り”を見守り、助けてくれていることを。


 いまサラスヴァティと呼応しあっていること。これは意識していなくても世のなか全体にいえることのようで、とくにわたし自身とご縁のあるかた、セッションを受けてくださっているかたは連動していることもあって、なおさらそうでもあると思います。


 今月も残り数日になりましたが、つぎなる“流れ”に入るために不要になっているもの、余剰になっているものを削ぎ落し、ご自身を研ぎ澄ませてあげること、疲れが出ているならば労わってあげることを大切にしてさしあげてください。




――――°˖✧






 *3月の予定*    


 3月20日(木)春分*母なる“マリア”の3(Three)アクティベーション・イシス(終了しました)

 3月30日(日・夜)* 今月のセッション(対面・遠隔)をお受けくださったかたへ、30分間のサラスヴァティの一斉遠隔ヒーリング *(該当されるかたには当日、個別にご連絡差しあげます)





 それではどなたさまもひきつづきよき3月をお過ごしください。

 いつもあなたがあなたでありますように。







 

2025/03/19

鹿の国










 自然のなかにいる鹿と出逢う機会があったので、今月のはじめに観た『鹿の国』という映画のことも記録として残しておこうと思いました。


 誰にむけても「おすすめ」とつたえられる内容とはいえず、けれどもその芯にあるものを「必要だ」と感じられるかたが、直感をもってそっとスクリーンの暗闇に息を潜め、そこにある秘されたものを汲みとり、それが自身のなかの謎と響きあって、高らかに澄んだ歌をうたう、そういう映画だった。


 春の兆し、一滴の躍動の血。


 脈々と受け継がれた幾重にも枝分かれする記憶を宿す桜の古樹の幹に梢にその声は震動し、花びらが舞う。


 大地に深く根ざした生命の柱。


 散る花びらは、聳える樹々の歌。


 必要としているひとのてのひらのなかに、それは落ちてくる。


 少なくともわたしは、上映が開始されてまだそんなに経っていないと思っていたときにエンドロールが流れてきて、もう終わり? もう98分が過ぎたの? と驚いてしまった。


 とても集中して入り込んでいたことのあかし。


 わたしにはとても必要だった。そしてそれは、“いま”でなくてはならなかった。











風花の使者、“生まれなおし”の太陽












 天にむかってまっすぐに立ちならぶ、数多の柱のごとき樹々。


 その木立の繁みからさらに奥深く、上へ上へと昇ったさき、空からの陽射しが届く場所で、神聖な生き物と出逢った。


 それは聖地からの使者。


 祝福と歓迎の雪に迎えられ、2月の諏訪の旅の再来のようでもあった三峯。





 三峯神社の鳥居は「三ツ鳥居」


 “三峯”の名の意味であるみっつの山、雲取山、白岩山、妙法山を、このように鳥居にあらわしているのでしょう。連なる三山。





 “いつき”のとき、いつも太陽はこういう姿をしていて、完全な円環が目視できる。


 それを見ると、そのためにきたことを、太陽がわたしに教えてくれる。


 鏡のようであり、その縁からこぼれる水みたいな光は慈愛に満ちている。瑞々しくてやさしい。





 ご一緒したかたが教えてくださった石のうえの龍。


 黒龍なので滞った陰の気を祓う力を宿していて、それはまさにこの社の力そのものの具現化でした。


 この神社のご祭神はヤマトタケルであり、剣の男神。


 狛犬ならぬ対の狼がヤマトタケルのご眷属として、あちらとこちらをつないでいらっしゃいました。


 



 滞ったものが祓われたあとの躍動。陽、動の力。


 風(それは“剣”のエレメント)が吹くたび意志をつたえ、語りかけてくる。


 ある意味で春分まえの禊のようでもありました。


 三峯神社のお名前をはじめて認識したのは2020年で、お世話になっている魔女さんから「うかがってみるといい」と教えていただいたのでした。


 それからずっと意識はしていたのですが、機が熟していなかったのでしょう、タイミングがあわず(そういうところも諏訪とよく似ていた)、けれども思いがけない扉がひらいてするするとこんなふうに予期せず辿りついていた。


 遠いと思っていたのに(たしかに物理的に“近い”とはいえない時間、距離、エネルギーを使っておもむく場所ではあったけれども)、蓋をひらけば、こんなにも簡単なことだった。


 帰り道、この“いつき”が自分にとってとてもおおきく大切なことだったことを、皮膚感覚ととめどなく流れてくるエネルギーで理解したことを、ひとつの記録として。








 風花の合図。




 “生まれなおし”の太陽――春分まえ。









2025/03/16

氷川女體神社∞大宮氷川神社(後編)












 先日、氷川女體神社と大宮氷川神社の二社巡りをして参りました。


 題名に「(後編)」と入っているのは、前編があるからです。



 この前編は、とても印象深くおおきな意味のあったわたし自身の去年の初夏から秋までをまとめておきたいと思い綴りはじめたもののひとつめであったので、題の最後に①が入っているのですが、そのあとをどうしても「書く」という気分に気持ちがむかなくて、そのままになっているものです。


 そうしているうちにこうしてつぎの“巡り”に入ったので、これをもって(後編)とひとまずはすることにいたしました。




 前編の①では氷川女體神社の鳥居の夢をみたことをきっかけとしたお詣りのことを記しました。



 そのあと夏至、その翌日の満月の残り香の気配が濃厚な日に、古代蓮の里、行田八幡神社、行田とさきたま古墳、八幡山古墳石室、忍城、そして最後に大宮氷川神社にお詣りして、氷川女體神社からはじまった輪が巡り、大宮氷川神社で完成させて∞とする、そういった流れがありました。


 そのほかにも映画『君たちはどう生きるか』、そして白鳥と黒鳥のマリア――この初夏から秋までの“流れ”のことはいずれ書くかもしれませんし、書かないかもしれなくて、いまのわたしにはわからないことのようです。




 氷川女體神社と大宮氷川神社。


 思えばこの二社の社ではこれまで幾度もおなじように∞を描く旅をしていて、とても縁の深い場所なのだと受けとるものがあります。


 今回ふたたびこの巡りがあったのは、前編のなかで記した夢で“同伴者”だった彼女から、「ようやくお詣りすることができました」と先月ご報告いただいたことに端を発しています。


 彼女自身はじめておうかがいした場所だったけれど、とても懐かしく好きだと感じられたこと、そしてそのとき氷川女體神社で起きたこと、受けとったヴィジョンのことなど教えてくれました。


 やはりかの社の女神はこのかたを呼ばれていたのだなと感じつつ、「ずっとそこにいたくなってしまうような、そういう場所ですよね」とわたしもお話し、「大宮氷川神社にもうかがってあげるといいと思いますよ」というと、その日のセッションのまえにお詣りされたとのことでした。


 「素晴らしい」といってわたしは笑い、そのときはそれで終わったのですが、自分もまた氷川女體神社にうかがわなければいけないという気持ちが日に日に深くなり、それに呼応するように大宮に足を運ぶ用向きが発生して、「なるほど」と思いながらそのときには二社巡りをなかば決めていたのでした。





 去年の5月、夢のなかにあらわれくぐった鳥居。





 氷川女體神社の磐船祭祭祀遺跡では女神が舞い、踊っていました。


 写真のなかにもそのエネルギーがあらわれていて、女神のお社であることを再認識しつつ、いつうかがっても感じられる柔らかい花びらみたいな風を全身に浴びました。








 大宮氷川神社。


 大宮氷川神社と氷川女體神社のご祭神はご夫婦で、できればおなじ日に二社巡ってあげるのがいいようです。


 わたしは場合によってはその二社のまんなかにラインがひかれている中山氷川神社(ご夫婦の御子神)にもお詣りして三社巡りをします。


 この日は二社巡りでしたが、大宮氷川神社は“祓い”、氷川女體神社は“癒し”


 祓いと癒しはセットであり、だから伴侶である二社のご祭神の二柱の力が半分と半分で統合され、そのときのそのひとの段階に応じて授かるものがあること、はじめて氷川女體神社∞大宮氷川神社の巡りをしたときから感じています。





 数年まえまでは禁足地であった蛇の池から。


 大宮氷川神社自体がそういう場所ですが、この蛇の池はとくに深く“祓い”のエネルギーが満ちています。


 太陽も氷川女體神社で仰いだそれとはまったく異なる性質を帯び、あちらでは太陽のひかりは女神、女性性、癒しをつかさどる力を放っていましたが、こちらでは男神、男性性、祓いをつかさどる力を発散していて、それは写真を見ても一目瞭然だと思います。





 おなじものでも、そのときによって見せる顔、エネルギーが異なる、ということはよくあること。


 “おなじもの”だとわたしたちが思い込んでいるだけ、そう認識しているからそれがインプットされているだけ。


 それはあらゆるものやことにもいえるのだと思います。


 「思い込みを外してゆく」というのは、いまとても大切でもとめられていることでもあるのだと。







2025/03/15

問いへの答え(ある段階においてのa)









 先月中旬くらいからセッションをとおしてお逢いする機会のあるかた、お話する機会のあるかたにお話していることを、ここにも記しておこうと思います。



 順を追うととても長くなってしまうと思いますので簡単に説明するならば、去年、そしてもとを辿ればそれより以前から、「これからもセッションをつづけてゆくか」について迷っていたことがありました。


 自分のなかに深く沈みこむような迷いでした。


 一時期は「もうやめよう」という気持ちにおおきく傾いて、去年の後半はそのつもりで進めており、そういうことはつたわるものなのでしょうか、何人かのかたに「これからもセッションをつづけられますか」というご質問を秋から冬にかけていただいたことがありました。


 そのときのわたしはYESともNOとも答えられず(場合によっては「どうかな」とか曖昧な言葉をこぼしながら)、微笑み返すことができるだけでした。



 12月に入ってひとつ、おおきくて深い切り替わりがあり、それにつづいて派生した事柄が多くあるのですが、いまは「セッションをこれからもつづけるか否か」のお話なので、それだけに話をしぼると、「ひとまずはつづけよう」と気持ちが回復し、年があらたまり、そして2月の諏訪の旅を迎えるころには、それが固まってゆく“流れ”のほうを自分は選んだのだと感じました。




 そして「つづけてゆくなら必要」である変更が来月から生じる、ということなんです。


 (春の終わりから夏の始まりくらいを目処に予定している遠隔ヒーリングの変更のことも、こちらで軽く触れておりますので、ご興味がおありでしたらお読みになってみてください。)




 「やめよう」「やめたい」と思った理由も、ここではやはり簡易的な説明になるのですが、わたしは当初からクライアントの幸せを心から祈ることができなくなったらやめたほうがいいと思っていて、金銭をいただいて施術をする、それを“仕事”にするという形式のとき、施術を受けてくださるかたのなかには「いまの体調、状態が思わしくない。だからすこしでも良くなってほしい」という気持ちからご依頼くださるかたもおられます。


 (また反対に、自分のなかにそういう気持ちがあることを知られたくない、体調、状態が思わしくないのだと、思われたくないから受けられない、というかたもいらっしゃいます。どのようなご依頼にもわたしはそのようなジャッジをまったく持っていないつもりですが、そういった気持ちを理解することはできます。)




 わたし自身も毎月クリアリングやヒーリングを受けていますが、それは自分のずれの修正、メンテナンス的な意味で受けていて、そのようにメンテナンスとしてお受けくださるかたもいらっしゃり、施術を受けられる理由はそれぞれだと思います。


 そのうえで、「状態を回復したい」とか、ぎりぎりの状態を「踏みとどまりたい」という意図で(ご本人がそれを意識しているにしろ無自覚であるにしろ)施術を受けてくださるかたがいらっしゃるのもまた事実であり、仕事として金銭をいただくとき、「相手の状態がある程度“思わしくない”からいらっしゃる」かたがいるのだとすれば、相手をその状態にとどめようという無意識が、今後わたしのなかに発生しないとはいえないのではないか、という問いはつねに自身に対してありました。


 自分では「相手が幸せであることを願っている」つもりでも、無意識、潜在意識がどうであるかはわからない。わたしは他者からむけられるエネルギーで如実にそれを感じたことがあります。


 相手はおそらくは自覚していない。でもエネルギーはごまかすことができない。わたしはそうではないと、わたしはそうならないと、果たしていえるだろうかと。そう断言してしまえるならば、それはある種の傲慢さではないのかと。


 (そしてそのようにエネルギー的なつながりが生じるとき、相手の“重い”ものを受けてしまうとき、自分のなかにもおなじ質量の“重さ”があることを、わたしは経験で理解しました。


 そこにふくまれる種類はそれぞれに異なれど、質量としての“重さ”はおなじ。


 そして自分が“軽く”なってゆくごとに、その“重さ”はこちらに近寄れなくなるのです。


 “外”にある“重さ”は鏡の役割としてそこにある、それだけのことなのだと。


 これもまたひとつの話の脱線なので、ここまでにします。)




 そのようなとき話を聞いてくださったかたが、「癒しの段階はおおきく3段階にわけられる」という言葉をかけてくださいました。


 その「みっつの段階」としてつたえてくださった言葉を、そのまま記憶することはできなかったのですが、わたしなりにその後そのことに思いを馳せ、解釈したこと、納得したこととしての「3段階」はこのような感じでした。




 ひとつめは、ひたすらエネルギーを浄化して癒す状態、籠り、眠りの時期、自分を外から「隠す」「隠そうとしている」時期、自身を見つめ内省する時期、傷を修復し、自分でないものを浄めていく時期。停止の時期、つまり停滞を感じやすい時期、でもその立ちどまりこそが「護られている」ことのあかしの時期。


 ふたつめは、自分を確立してゆく時期、浄めて空いたスペースによりよいものを受けとってゆく、具現化してゆく、自分を“顕して”ゆく、開いてゆく時期。それはエネルギーのクリアリングがある程度進んでいる時期でもあるということ。


 みっつめは、高次とつながる時期、他力と自力が完全に融合する時期、視えないもののサポートを受けとることで見えるものの力も拡大する、そのようにして無限大に循環してゆく時期。




 そのみっつ。


 (みっつの段階は場合によって往き来したり、混ざりあったりもします。そしてこの3段階について考えをわたしなりに咀嚼し、発展を見せたので、それも機会があれば綴りたいと思います。)


 いずれにしても、そのみっつの段階のどの段階であっても、クリアリングやヒーリングは、そのときそのひとの段階、階層においてもとめられるのだと。


 生きているあいだ、そのひとが「もうここでいい」「ここまでにしよう」と思わないかぎり、ずっとそれは必要なものであること。そして「ここでいい」という判断も、そのひとにとってはそれがベストであること。――これはあとからわたしが感じ、つけ加えたものです。


 わたし自身、毎月自分自身にクリアリングの時間をとってあげることを長いあいだ継続しているように、自分とつながってくださるかたがたはわたし自身の“鏡”でもあるので、それを理解してくださっているかたがただと、そのようなお話でした。


 それをご自身が明確に意識で理解していなかったとしても、無意識、潜在意識でそれを“知っている”と。


 そして「相手の幸せをこのさきも祈れるのだろうか」という問いかけを自分にしていること自体が、それが可能であることをあらわしているのだと。


 ――「だからもっと“信頼”してあげなさい。“内”も“外”も」といっていただいたように感じました。これまで誰にもいえなかったことを、あたたかく包みこんでくれるやさしさは、出逢ったころからずっと変わらない、地母神のようなそれ。


 そのあたたかさにぽろぽろと涙がこぼれて、わたしのなにかがほどけはじめるのを感じました。




 簡易的な説明ですが、そのひとときがあたたかいお茶みたいに沁みこんで、そののちに生じたさまざまと連動しあいながら、自分のなかでいろいろと納得するものがあり、絡まった糸がどんどんほどけるように気持ちがほどけて、いつまでつづけられるかはわからないけれど(これからはさらに“風”にしたがって生きてゆくことになるのだろうと思うので、風がこのさきどのように吹くのかはわからない。でも“いま”の自分は)、“いま”できることをやっていこう、と気持ちをあらたにしたのです。


 そしてほどけていったさきから、目に見えて動いてゆくものもあり、いまはその“流れ”にのることを最優先事項としているようです。





 そういうことがありました、そういう時間を過ごし、いまの段階でのそれはきれいに終わりました、ということを、おおやけに記しておいたほうがいいみたいだったので。


 つまりはなにがいいたかったのかというと、「あなたがいつもあなたでありますように」と祈っているということです。


 そしてその祈りのためには「わたしがわたしであること」――主軸は「まず自分」であり、自分自身が幸せで“ある”ことが、とても大切なことなのだと理解しています。



 いつもありがとうございます*







矢車菊のアールグレイ










 「この茶葉は矢車菊がブレンドされているの」とノルンさんがいい、アールグレイが淹れられた茶器には、その花の銀の匙が添えられて。


 ご挨拶をして退出しようとしたとき、入り口に飾られたバレリーナに目が惹かれ、心華やぐ。


 スプーンひと匙ほどの滞在時間でも、素敵なものをいっぱいに呼吸できた。





器に満たす










 星の樹の下で、器を楽しむ。


 自分が選び、持参した器のなかにスープやお茶、お菓子を受けとり、頂く。そこに宿った想いごと。


 集った人々との交感や共鳴もふくまれながら、器が満ちてゆくほど、その場が充ちてゆくのを皮膚で感じて、楽しくて美味しかった、安らぎのとき。


 そのなかでも、この日だからかわせたお話、意味をもつお話。


 笑いは福のエネルギー。ずっとそのエネルギーで満たされていたこと、そのようにして光の粒子を纏い、それをより深められたやさしさのこと。







2025/03/13

古代測量②












 1月につづき古代測量の授業へ。


 “鏡”というものに、おそらく幼いころから惹かれつづけてきて、ごく子どものころには怖れもともなったあの気持ちは、そこにある力、ときには魔力と呼ばれるものもそなえているものであることを感受していたゆえのことなのかもしれず、そしてずっと心が吸い寄せられるように“惹かれて”きたみなもとは、古代の鏡のなかにあったことに近年になって気づいた。


 鏡の謎。


 それはどのように扱われてきたのか。


 そしてその“扱いかた”は、はたしてひとつだけだったのか。


 エジプトには測量の女神がいて、名をセシャトというけれど、彼女は数学の女神でもある。


 「まるで因数分解だ」と、測量と鏡の謎の紐解きのさい受講生のかたがこぼされた言葉で、この女神のことを想いだした。


 そのほか天文、占星術、建築の女神でもあるセシャトの名の意味は、「代筆する女性」


 別名、「本の館の女主人」――Mistress of the House of Books.







2025/03/11

ネットショップ再開のお知らせ







 以前に遠隔ヒーリングのセッションをネットショップにて募集しておりましたが、そちらは思うところありまして長いあいだ閉じておりました。


 このたびご要望をいただき、その場所の扉を2025年3月3日より、ふたたび開くことにいたしました。


 遠隔ヒーリングのセッションのみとなりますが、こちらからご購入いただけます。


 決算方法は各種カード、PayPay、銀行振込など多岐に渡ってご利用いただけますが、サイトのお申込みフォーム、SNSのDMよりのお申込みにて銀行振込のみのご購入より1,000円+されます。


 また以前におつたえしておりましたように、春の終わりから夏の始まりくらいを目安に、遠隔セッションの形態も変わっていく予定です。


 45分のものをおしまいにして(以前のお知らせのさいには45分のものは継続する予定だったのですが、流れが変わったようで。すべては流れにしたがって決めておりますので、ご理解いただければと思います。)、遠隔セッションのほうも対面とおなじように、60分、90分、120分でヒーリングのほかに+αとしてご利用いただけるサービスをわけていきたいと思っておりますので、そちらふくめましてよろしくお願いいたします。


 具体的には


 60分、月末のその月の女神の一斉遠隔ヒーリングへのご参加。

 90分、おなじく月末の女神の一斉遠隔ヒーリングへのご参加、+15分の調整エネルギー。

 120分、上記ふたつの+αとそのエネルギーの作用としてあらわれていたもの、必要なメッセージなどをふくむリーディングメッセージ。


 となると思われます。


 去年の11月ごろから自分としては世界が3倍速くらいで動いている、流れていると感じていて、意識してアウトプットするようにはしていますが、お知らせ、サイトへの反映なども遅れがちになってしまうかもしれません。あたたかい目で見守ってくだされば幸いに存じます。


 ご縁のあるかたがた、いつもお心お寄せくださるかたがたへの感謝とともに。





2025/03/10

DICAM QUAE CELAVI.







 “私が秘めてきたことを話そう。”






  懐かしき記憶。幸手のマリア地蔵さま。





 “MARIA”










2025/03/09

諏訪からの流れ、星の巡り







 諏訪への旅はわたしにとって、とてもおおきな旅であり、その旅はまだ終わってなくて、その“始まり”のことから、いつかお話する機会があるかもしれません。


 帰ってきてからずっと“いつき”のことをしていました。


 ひとつに諏訪と関係のある場所や水の女神の聖地を巡ること。


 江ノ島の翌日には高津諏訪神社、井草八幡宮、水の女神のお社、井之頭弁財天、下弁天、貫井神社、八重垣稲荷神社といういま思えばかなり無理のあるスケジュールで、でもこの日でなければならなかったので、“巡り”をしてきました。


 江ノ島のときに、「そういえば今日は旧暦でいうと2月1日」という話になり、「それなら明日から諏訪にうかがうのね」などと冗談をいいあいましたが(諏訪の旅が2月2日の節分からはじまったので)、だからこの日は旧暦の節分だったのだ、とあとから思い至り、とても意味深いものを感じました。


 まずは高津諏訪神社。


 かねてからとても気になっていたのですが、諏訪からの流れもあり、ようやくお詣りすることができました。そのときを“待っていた”ということなのでしょう。


 とても呼んでくれていたのを感じるのとともに、やはりわたしにとってすごく縁の深い場所なのだと。


 とくに摂社の浜川神社さんと深く呼応しているようでした。


 浜川神社さんはスサノヲさんで、かつては「疫神さん」と呼ばれて貧乏神を祓うということで信仰をあつめていたとのことです。


 そのとおり風の“祓い”の深さが感じられました。





 かわいい狛犬さんたち。





 ここにも松の樹が。


 前日の片瀬諏訪神社でも松の大樹のそばにずっといたいと感じるほど愛しく感じましたが、この松の樹にもおなじ気持ちを誘われました。


 近年、とみに松に対する愛が深まっていて、意識したのはおととしくらいからですが、わたしのなにかの記憶を刺激するようです。


 ――お隣の諏訪山 明王院 円能寺さんも“つながって”いたようでしたので、お寄りすることができました。





 つづいて井草八幡宮。


 ここではこの日に“鏡”を拝受することも重要なことでした。


 そしてここも“祓い”――かなりわたしの喉のチャクラに働きかけるエネルギーと、威厳ある女王が、おおきくてひろい両腕をひろげて我が子を迎え入れるような、そういう場所であると感じました。


 以前から八幡伸の母神である“神功皇后”はわたしのキイワードのひとつで、それを再確認するような参詣でした。





 そのあとに水の女神のお社。


 この場所はあるかたに教えていただき、それがちょうど江ノ島ゆきが決まったころで、しかもそのかたとお話するのも実に数年ぶりというタイミングでもたらされたものだったので、これは“流れ”のひとつであるのだと受けとり、その“流れ”の循環を妨げないようにもたらされてすぐにうかがう必要があると感じ、急遽この“いつき”のなかに入れさせていただいたのでした。


 教えてくださったかたが大切に想われている場所なので、お名前をおおやけにすることは控えますが、水と虹の祝福を受けました。鳥の声が響き渡る森。


 待っていてくださった可憐でやさしい女神たち。ありがとう。





 井之頭弁財天。


 ここにうかがうのは、諏訪から帰ってきて2度目でした。


 前回は「はじめまして」なのでご挨拶をして、お水をいただき、そのお水を江ノ島へお渡しして、今回は江ノ島、貫井神社、そして諏訪からのお水を井之頭弁財天さんにお渡しして参りました。


 「はじめまして」のときから、もうほんとうにこの場所が大好きになってしまって、場所も心から歓迎してくれているのを感じ、感謝の想いとともに。


 またこれから、何度でも足を運ばせていただく場所になるのだと思います。





 そののち、下弁天、貫井神社へ。


 こちらのふたつのお社にはじめてお詣りしたのは去年の11月のことでしたが、そのときから深いご縁があること、あったことを受けとり、またここにはわたしが「ある段階」に到達しなければうかがえないようになっていた場所なのだということも感じとりました。その意味では諏訪とおなじで、このふたつの社自体も諏訪とおおきな“つながり”をもつ場所でもあります。


 いつも下弁天、貫井神社の順にうかがうのですが、この場所にうかがうとき、駅で電車をおりてからずっと、もっといえば家を出るときからずっと、「呼んでくれている」こと、歓迎してくれていることを感じ、そこにむかうまでの道がわたしにとっては長い長い「参道」のようであると感じているほどに、大好きな場所です。


 ふたつのお社にやはり、江ノ島、井之頭からのお水、そして先日もお渡しした諏訪からのお水も、あらためてお渡しして祈りを捧げました。


 ふたつのお社は神聖な川とつながっている場所で、そのそばを歩いているだけでも心落ち着くやさしい土地です。


 歩いているとふと、川のそばに桜の姿が。もうすこし季節が深まると、川べりにいっせいに桜が咲くのだそうです。


 井之頭の池を囲んでいた桜が「桜龍」のようだと感じて感激した記憶もあたらしく、今年はこの貫井の桜と井之頭の桜には訪わなければならない、と自分自身から強く訴えかけるものがあります。


 今年の桜はとても、特別なもの。





 このあとお誘いを受けて八重垣稲荷神社の初午祭に。


 この日に初午祭があったことも知らずに日程が決まって、この日の最後が八重垣稲荷神社であったこともふくめて、とても感慨深いものがありました。


 夜の竹林の竹筒に灯る蠟燭の火。


 それが境内の参道に長くつづいている風景。うかがえたことは導きであることを感じ、隣にいてくれた巫女でもあるかたを「竹のようなかた」と以前に形容したことを想いだしました。


 「いつも一生懸命で健気でおやさしくて、しなやかな竹みたいなかた。まっすぐで凛とされて」


 出逢いは星の巡り。すべての“巡り”に感謝を。


 ここで聖地巡りは無事に終わったのですが、この日のわたしにはまだひとつ、おおきな“仕事”が残っていて、それは『鹿の国』という映画を観ることでした。


 そのような次第で、夜も更けてくる時間帯にさしかかるころ、ミニシアターのみで上映されているその映画を観に東中野へ。


 それがとてもおおきな意味をもつものであることは、観るまえからわかっていたことでした。


 このことは言葉にするのはむつかしいので、文章として書けるかはわかりませんが、映画については簡単にでも、またべつの機会に触れたいと思います。