2025/03/16
氷川女體神社∞大宮氷川神社(後編)
先日、氷川女體神社と大宮氷川神社の二社巡りをして参りました。
題名に「(後編)」と入っているのは、前編があるからです。
この前編は、とても印象深くおおきな意味のあったわたし自身の去年の初夏から秋までをまとめておきたいと思い綴りはじめたもののひとつめであったので、題の最後に①が入っているのですが、そのあとをどうしても「書く」という気分に気持ちがむかなくて、そのままになっているものです。
そうしているうちにこうしてつぎの“巡り”に入ったので、これをもって(後編)とひとまずはすることにいたしました。
前編の①では氷川女體神社の鳥居の夢をみたことをきっかけとしたお詣りのことを記しました。
そのあと夏至、その翌日の満月の残り香の気配が濃厚な日に、古代蓮の里、行田八幡神社、行田とさきたま古墳、八幡山古墳石室、忍城、そして最後に大宮氷川神社にお詣りして、氷川女體神社からはじまった輪が巡り、大宮氷川神社で完成させて∞とする、そういった流れがありました。
そのほかにも映画『君たちはどう生きるか』、そして白鳥と黒鳥のマリア――この初夏から秋までの“流れ”のことはいずれ書くかもしれませんし、書かないかもしれなくて、いまのわたしにはわからないことのようです。
氷川女體神社と大宮氷川神社。
思えばこの二社の社ではこれまで幾度もおなじように∞を描く旅をしていて、とても縁の深い場所なのだと受けとるものがあります。
今回ふたたびこの巡りがあったのは、前編のなかで記した夢で“同伴者”だった彼女から、「ようやくお詣りすることができました」と先月ご報告いただいたことに端を発しています。
彼女自身はじめておうかがいした場所だったけれど、とても懐かしく好きだと感じられたこと、そしてそのとき氷川女體神社で起きたこと、受けとったヴィジョンのことなど教えてくれました。
やはりかの社の女神はこのかたを呼ばれていたのだなと感じつつ、「ずっとそこにいたくなってしまうような、そういう場所ですよね」とわたしもお話し、「大宮氷川神社にもうかがってあげるといいと思いますよ」というと、その日のセッションのまえにお詣りされたとのことでした。
「素晴らしい」といってわたしは笑い、そのときはそれで終わったのですが、自分もまた氷川女體神社にうかがわなければいけないという気持ちが日に日に深くなり、それに呼応するように大宮に足を運ぶ用向きが発生して、「なるほど」と思いながらそのときには二社巡りをなかば決めていたのでした。
去年の5月、夢のなかにあらわれくぐった鳥居。
氷川女體神社の磐船祭祭祀遺跡では女神が舞い、踊っていました。
写真のなかにもそのエネルギーがあらわれていて、女神のお社であることを再認識しつつ、いつうかがっても感じられる柔らかい花びらみたいな風を全身に浴びました。
大宮氷川神社。
大宮氷川神社と氷川女體神社のご祭神はご夫婦で、できればおなじ日に二社巡ってあげるのがいいようです。
わたしは場合によってはその二社のまんなかにラインがひかれている中山氷川神社(ご夫婦の御子神)にもお詣りして三社巡りをします。
この日は二社巡りでしたが、大宮氷川神社は“祓い”、氷川女體神社は“癒し”
祓いと癒しはセットであり、だから伴侶である二社のご祭神の二柱の力が半分と半分で統合され、そのときのそのひとの段階に応じて授かるものがあること、はじめて氷川女體神社∞大宮氷川神社の巡りをしたときから感じています。
数年まえまでは禁足地であった蛇の池から。
大宮氷川神社自体がそういう場所ですが、この蛇の池はとくに深く“祓い”のエネルギーが満ちています。
太陽も氷川女體神社で仰いだそれとはまったく異なる性質を帯び、あちらでは太陽のひかりは女神、女性性、癒しをつかさどる力を放っていましたが、こちらでは男神、男性性、祓いをつかさどる力を発散していて、それは写真を見ても一目瞭然だと思います。
おなじものでも、そのときによって見せる顔、エネルギーが異なる、ということはよくあること。
“おなじもの”だとわたしたちが思い込んでいるだけ、そう認識しているからそれがインプットされているだけ。
それはあらゆるものやことにもいえるのだと思います。
「思い込みを外してゆく」というのは、いまとても大切でもとめられていることでもあるのだと。