2025/12/31

ゆく年くる年









 本年も大変お世話になりました。

 ゆく年が残すものなく祓われ
 くる年が幸多き年になりますようお祈りします。


 ある彼女からいただいた年越しと新年のための祝福の花束とともに。




2025/12/30

アメノウズメノミコトの一斉遠隔ヒーリングのご報告






 12月にLuna Somniumのセッションをお受けになられたかたへのアメノウズメノミコトの一斉遠隔ヒーリング、無事に終了しております。


 つぎに進むための“重さ”のクリアリング、というのが今回もっともつたえられていたことのようでした。


 今回は1年という区切りの最後の月になりますので、“大祓”の側面もおおきくあったようです。


 つまりは“重さ”を祓うこと、つぎのあたらしい年に持ち越さなくていいものを、きちんと浄めておくこと、手放せないでいたものをゆるめること。


 なにかを“手放す”ことは時間がかかることがあります。それはわたしも経験で充分に理解していることでもあり、ある意味での“頑なさ”というのは自分で思っている以上に誰のなかにも奥深くに埋め込まれているものでもあると感じます。


 そのためなにかを“手放す”とき、一度に迅速に、と思うと、かえって遠まわりするともいえるのです。


 なぜならそれは、ときに非常におおきな痛みであり喪失でもあるからです。


 別の姿に変化するとき、わたしたちの“これまで”の一部は死を迎えますが、その“死”は現在の自身が耐えられる範囲でしかおこなわれません。


 蛇が脱皮するように、蝶が蛹から羽化するように変化するとき、脱ぎゆく“殻”は、これまで自分の一部だったものです。


 そしてすでに、それは現在の自分を“重く”するもの、負荷をかけるものであるから、それを“脱ぐ”。


 “いま”のあなたにそぐわなくなっているもの、古い観念となって固まっているもの、疲弊させているもの、健全さから遠ざけている習慣、そういうものの原因となっているものへのアプローチ。


 そしてその“原因”となっているもののひとつに“寂しさ”というものがあるのだそうです。


 おなかが空いていないのに食べていたり、あとから考えれば必要なかったものを買ってしまったり、アルコールや煙草、過剰さや刺激、あえて難しく物事を考えてみずからをかんじがらめにしてしまうのも、つきつめれば根にある“寂しさ”が原因になっているかもしれないとのこと。


 自分自身の“可能性”や“希望”といったものに、暗い気持ちになるのも、その“寂しさ”から。


 アメノウズメノミコトは暗い洞窟のなかに閉じこもった太陽神を、踊りと笑いによってふたたび世界に引き戻した女神ですが、この女神の光の根源にあるのは、それぞれのなかの“希望”を想いださせてくれるという慈悲なのだと思います。


 “暗闇”とは“希望”のない状態であり、たとえば黄泉の女神であるペルセポネがその暗闇をとおして魂の成長のための叡智とつながることを教えてくれる女神なら、アメノウズメノミコトはその暗闇が明ける鍵は“希望”のなかにあること、そして希望は“笑い”があるところに見いだされるものであることを、教えてくれる女神です。


 “笑い”は“寂しさ”を霧散させる力でもある。


 今回はそのようなアメノウズメノミコトのエネルギーの作用とともに、“重く”なっているものの“大祓”が、それぞれの現在、現時点の段階、階層において許可が出ているもの、クリアにできるものを祓い、クリアにしたとのことでした。


 このたびは以上になります。


 すこしはやいですが、あらためまして今年も1年、ほんとうにありがとうございました***


 いつもあなたがあなたでありますよう祈っています。


 どなたさまもよい年越しを、そして新年をお迎えになりますように。





 

2025/12/23

注連縄づくり










 冬至の日の注連縄づくり。


 去年はじめて自分の手で稲藁を編んだとき、つぎの機会があれば蝶であり無限大のかたちの注連縄をつくりたいと思っていた。


 「リボンのかたちだね」という言葉をかけてもらって、そういえば"結び目"でもあるんだなと気づく。


 節目の日に自分とつながる“静”と、笑いをかわしあう“動”の時間を自身のなかに招き、稲藁や植物たちと触れあっていると、やさしく凪ぐような気持ちがあふれてきて、それは感謝としかいいようのないものだった。


 そのようにしてひとつの輪から生まれるいくつもの輪が、連なり、あるいは浮かんでゆく。


 つぎなる“輪”をくぐるための準備をする。


 「輪は太陽のかたち」だと誰かがいってた。


 そして年輪のひと巻きでもあると感じながら。





 “おやす”という信州で編まれる注連縄のつくりかたを知っているかたがいて、教えていただきながら自分のぶんも編むことができた。


 どうやら“受けとる”ことの方言からきている名前のようで、“神の食器”としての“受けとる器”を筒状につくり、それは“柱”のようでもあって、とても興味深く、今年の節分に諏訪をおとずれたことも想いだされ、諏訪でもこの注連縄は飾られるのだろうかと考えつつ、冬至の日に節分の日のことを振り返ったことも非常に意味のあることだった。


 諏訪にはじまり、諏訪にしめくくる、今年はそういう年なのだろうと。


 わたしにとって、大切で特別な土地。





2025/12/22

冬至










 陰が極まって陽に転じる日。反転と統合。


 それぞれの“光の路”があらわれ、そこにむかって進んでゆけますよう、闇を安らぎに変容し、それぞれがそれを抱きしめることができますように。


 よい冬至を*








2025/12/21

予祝










 冬至まえの予祝として。





 ほんのり柚子の味の混ざる、「雪山を模した」とメニューに綴ってあったケーキは、あきらかに白いピラミッド。“頂点”には金粉がまぶされて。


 果実酒と“太陽”の力の宿る柑橘のお茶でパワーをいただく。


 なにを話しても大丈夫だと芯から知っている心ほどけるひとたちとの時間は、深い安心に満ちている。宝物のような日。








2025/12/17

28日(日)の対面セッションに空きがでました&“流れ”







 28日(日)の対面セッションに急遽空きが出ましたので、ご希望のかたがいらっしゃいましたら、各種SNSのDM、または受付フォームよりご一報ください。


 いま、さまざまに“入れ替わり”の時機なのですが、そういうときはいろいろ不安定になり、多くのかたの体調にも影響をおよぼしています。


 ここ数年かけて少しずつその流れがおおきくなっていることを皮膚感覚で感じていらっしゃるかたも多くいらっしゃるでしょうが、それがまた一段とおおきくなり、今年の9月の終わりごろから来年の2月いっぱいくらいまでにかけて、このような影響はつづくのではないかと見ています。


 体調もそうですが、暗い方向に自分自身を傾かせやすい傾向にあると思います。


 陰陽の陰、自分のなかの“陰”――クリアになっていないものが、非常にあぶりだされやすい時期で、それが体調や意識にダイレクトに響いてくるのです。


 意識を落ち着かせてあげること、ゆるやかさ、くつろぎを自分自身のなかに迎えてあげることを心においてあげてください。


 心に浮かんだこと(思考したこと)、言葉にしたことが、現実のなかにあらわれやすい流れにいよいよ入っていることもあり、注意も必要だと思います。


 高い純度の願いというのは、自分自身をクリアにしなければ自分でもわからないようにからくりとしてなっていたりして、宇宙には“良い”も“悪い”もなく、どのようなときも「地球を楽しんでいる」――苦しみさえ、それはアトラクションとして楽しんでいる。


 でもそのアトラクションをおりたいなら、自分の意志と、意識や肉体をクリアにしてゆくことが大切です*


 ちなみに今年の12月は来年の予告編でもあるそうで、そのためなにが起こってもつぎの1年の雛型があらわれると思うとよいのだそうです〇


 再編成、再起動があらゆる局面であらわれていますが、2026年はこの国も人々も“生まれ変わり”の年になるのだと思います。


 なにがあっても、大丈夫◎


 安心してゆだねてください。


 そしてできうるならば、自分自身を“クリア”にしてゆくことが今後ますます大切になると思いますので、意識してあげてください。


 11月くらいから目に見えるかたちで全体から個々への影響として、いろいろなかたが大なり小なり体調に障りを起こしているのを感じるため、記したものとして*





2025/12/14

『斜めに射し込む光』 エミリー・ディキンスンの新編に寄せて at silent music










 エミリー・ディキンスンの新編に寄せられた、石倉和香子さんと日香里さんの訳詩と挿画の二人展、silent musicさんでの『斜めに射し込む光』にうかがってきました。





 “詩人はランプに灯をともすだけ”


 以前の詩集では最初に配置されていたこの詩が、このたびのものでは最後に。


 ディキンスンの“灯芯”としての核、在りかた、気配が、原語を変換してもなお遺ることを祈られて、大理石に碑文を彫るように、言葉は彫られ、編まれ、並べられて。





 夕闇の訪れとともにはじまった朗読会。


 ほの昏い室内に透ける燈の光にランプの灯を連想しながら手もとの詩集に浮かびあがる文字を追い、ときに目を閉じて流れてくる音に心を開き、身をゆだねること。


 集ったひとたちとその空間を共有することは、“光の円周を 拡げてゆく――”ことなのかもしれないと。








2025/12/07

くるはらきみ個展「森で考えたことなど」 at みうらじろうギャラリー










 くるはらきみ個展「森で考えたことなど」 at みうらじろうギャラリー


 水鏡に反射される天上の光景。


 雲の精霊たちの目が空の色で水の色であることを認めると、すべての絵と造形のそれぞれの瞳のなかを覗きこんで、その色を見つめていった。


 その目に森を映して育ったからか、かけらの一部を宿すみたいに、ちいさな女の子の翡翠のようなグリーンが印象的で、フェンネルの精の目のなかにもおなじ色を発見すると、静かでありながらどこか焦点がさだまらない夢のなかに遊ぶ眼差しのさきから生まれる、“物語”を思い浮かべた。





 水や樹々、森がほんとうに美しくて、魅入ってしまった。


 森のなかを巡るように室内をゆっくりぐるりと歩いたとき、きみさんがこの場所に“森”をつくってくださったことを感じ、そういう場所に聖なるものが集う、自然さと恩恵を享受しました。





merinoテンペラ画展『village record ii』 at msb gallery










 merinoテンペラ画展『village record ii』 at msb gallery


 どこかにあるかもしれない、ある村の記録。


 村人たちがそれぞれの頭上に冠を戴く村。


 実る果物に、雄弁な沈黙に、豊かさを内包する村。


 村人たちがつくる陶器はその村の建物の分身みたいで、指によって継承されてゆく“記憶”を感じた。


“白芯”というシリーズにも、とても惹かれました。


 白い鳩と鹿、書物に花に、“白い芯”をもつものたち。


 鳥や動物たちの頭上にも金色の輪を確認したとき、この村は人間だけでなく、すべての生き物が冠を戴いているのだなと思った。


 村そのものが、“冠”というおおきな円環のなかにあるように








双子座の満月の翌日







 だいぶ以前から双子座満月の日にピリオドを打てるだろうと思い、イメージもできていて、さまざまなこともそこに辿りつくひとまずの終着点であったことがわかるのに、いざそれをまえにすると「これで“完成”してしまう」という気持ちがあらわれた。


 それはつまりある種の“怖れ”なわけだけど、そのために予定より一日遅れになり、でも長いあいだ取り組んできたこと、おなじ時間だけずっと、心を傾けてきたものだから、ピリオドを打てたことには心底安堵しているし、全霊をそそげたと思う。


 “完成”することへの怖れのなかにあるものは、「自分は充分に、自身のもてる力をつくしただろうか」という疑いのことであると思うから。


 (そして、ほんとうの“完成”ってたぶん、この世にはない)


 一日遅れで仰いだ満月翌日の昨夜の月は皓々として、思わず見惚れるままに、しばらく立ちつくしていた。


 月にもありがとうの気持ち。


 大切で重要な象徴としての、yukaneさんの絵とともに。


 『澪 ー散華ー』


 わたしの宝物。








2025/12/01










 鈴に呼ばれて辿りついた場所。


 子守唄を歌った。月と海の子どもたちのために。








蛹と卵










 ほんとうによくできていることだと、感心する。


 いろいろなことが。もうあまりそういうことで驚かなくなってきているけれど、感激はしてしまう。


「それでいいんだよ」の合図をまた、受けとった。





12月、アメノウズメノミコト





 *28日(日)の対面セッションに急遽空きが出ましたので、ご希望のかたがいらっしゃいましたら、各種SNSのDM、または受付フォームよりご一報ください。*



 Luna Somniumの12月の女神はアメノウズメノミコトです。


 Luna Somniumでは毎月、その月にとくに必要なエネルギーを宿す女神を許可を得ておひとりさだめ、その「月の女神」とし、つながりを深め、セッションを受けられるかたに施術いたしますエネルギーにもすべて、対面、遠隔問わずその女神のエネルギーが副次的にふくまれる、ということをしています。


 この12月はアメノウズメノミコトとのつながりを深め、施術にもこの女神のエネルギーが副次的にふくまれます。


 梶田半古『天宇受売命』


 11月の終わりの旅のなかで、アメノウズメノミコトとの深いつながりが自分のなかで回帰され、来月はアメノウズメノミコトだと自然に感じ、受けとりました。


 アメノウズメノミコトは「扉開き」の女神です。


 閉ざされた岩戸のまえで、それを“開く”ための方法を教えてくれる女神。


 扉を“開く”には、どうすればそれを開くことができるのか、ということにフォーカスするよりも、自分が軽やかであること、日常のなかに笑いを生みだすスペースをもつこと、深刻になるのではなく自分が楽しむ方向むくこと。


 “楽観”とは楽しみを観ると書きますね。


 また、楽な観方ともいえるかもしれません。


 楽=楽しむ。


 自分がいかに“楽”になれるか、ということはとても大切で、「大変なほうに価値がある」「楽するのは狡いことだ、怠けている」というのはこれまで押しつけられてきた、そして自分でも信じてきた固定観念からくる幻であるといえるかもしれません。


 “楽”は狡さでもなければ、大変なことが尊いわけでもないのです。


 どんどん自分を楽にしていきましょう。


 楽しいことを人生に摂り入れていきましょう。


 それが“スペース”です。


 そして自分を楽にしてあげられること、“スペース”をもつことは、自己愛の領域でもあります。


 アメノウズメノミコトは扉開きの女神。


 それはそれぞれの闇を照らしてくれる女神でもあるということです。


 見つめられた闇は昇華し、固く閉ざされた“扉”は、それによって“開く”――つまりは“愛”によって。








 【対面セッションを、土日祝日ご希望でご予定くださるかたへ。】


 今月もすでに土日祝日のスケジュールがあらかた埋まっております。現時点で確実にご予約お受けできます日は、21日(日)、27日(土)となっております。(追記。21日(日)、27日(土)ご予約埋まりました⋆)


 1年以内にセッションをお受けくださったかたにかぎり、14日(日)も時間帯によりましては対応可能にしておりますが、お受けできない場合もありますこと、あらかじめご了承くださいませ⋆


 平日でありましたら、ご希望日を第3希望くらいまでお知らせくだされば枠を設けることが可能だと思います。ご相談ください。(ご希望の曜日など、ひろくお知らせくださるほうが、枠をご用意しやすいかもしれません。)


 遠隔セッションは夜でありましたら、ほかのご予約と重ならない場合にかぎり、なるべくご希望の日に添えるようにしております。日中ご希望の場合は要相談としておりますので、まずはご一報ください。




 12月、これからの予定   



  12月30日(火・夜)* 今月のセッション(対面・遠隔)をお受けくださったかたへ、30分間のアメノウズメノミコトの一斉遠隔ヒーリング

 【該当されるかたには当日、個別にご連絡差しあげます。】







 それではどなたさまもよきひと月をお過ごしになりますように。


 あなたがいつもあなたでありますように。





マグダラのマリアの一斉遠隔ヒーリングのご報告






 11月にLuna Somniumのセッションをお受けになられたかたへのマグダラのマリアの一斉遠隔ヒーリング、無事に終了しております。


 今回もっとも強くつたえられていたのは、“家族関係”にまつわることでした。


 現在の状況に深く影響をあたえているそれ。というふうにメッセージがあらわれており、そこから受け継がれている固定観念などあるようです。


 人は自分で思ってもいないくらい両親の思考を受け継いでいて、それは家系の思考ということもできます。


 両親との縁がどのようなものだったか、たとえば覚えていないくらい幼いくらいに別離していても、いまその縁が希薄になっていたとしても、それには関わらず、その影響というものは強く、自分自身の人生に影響をあたえています。


 そしてもちろん、そのコミュニティにおける関係性も。


 固く閉ざされた扉を開いてゆくときです。


 そしてそのために“変容”の魔法が必要であるならば、それが必要な領域にそれを許してゆく、受けとってゆく時機でもあるのです。


 人は“未来”のことを怖れ、希望を託します。しかし“過去”が完了していなければ、その完了していない過去が追いかけてきて、過去とおなじ構図を、ときには膨張して、目のまえの状況や関係をとおして見せてくれます。


 ときにそれは体調不調としてあらわれることもあります。それはそれだけ、感情的にも物理的にも、無理を封じてきたことのあらわれでもあるのです。


 痛みがあるからその傷に気づくことができるように、自分のなかの“反応”はすべて、内に対するものも外に対するものも、自分自身からのメッセージです。


 そのようにしてあらわれる、関係も状況も感情も体調も、すべては“気づいて”ほしくてもたらされるもの。“完了”するにはまず、それに気づく必要があり、そして“気づき”は固定観念を解いてゆくものです。


 固定されている思考こそ、“ゆるむ”ことを妨げているもの。


 “苦しい”と思うとき、わたしたちは自分のなかにスペースがなく(それは「余裕がなく」「余白がなく」ともいいかえることができます)、それはつまり“ゆるめない”ということです。


 今回はこれらの領域にヒーリングがなされたようでした。


 以上となります。


 11月も大変お世話になりました。どなたさまもよき12月を。


 あなたがいつもあなたでありますように。