だいぶ以前から双子座満月の日にピリオドを打てるだろうと思い、イメージもできていて、さまざまなこともそこに辿りつくひとまずの終着点であったことがわかるのに、いざそれをまえにすると「これで“完成”してしまう」という気持ちがあらわれた。
それはつまりある種の“怖れ”なわけだけど、そのために予定より一日遅れになり、でも長いあいだ取り組んできたこと、おなじ時間だけずっと、心を傾けてきたものだから、ピリオドを打てたことには心底安堵しているし、全霊をそそげたと思う。
“完成”することへの怖れのなかにあるものは、「自分は充分に、自身のもてる力をつくしただろうか」という疑いのことであると思うから。
(そして、ほんとうの“完成”ってたぶん、この世にはない)
一日遅れで仰いだ満月翌日の昨夜の月は皓々として、思わず見惚れるままに、しばらく立ちつくしていた。
月にもありがとうの気持ち。
大切で重要な象徴としての、yukaneさんの絵とともに。
『澪 ー散華ー』
わたしの宝物。