2025/12/23
注連縄づくり
冬至の日の注連縄づくり。
去年はじめて自分の手で稲藁を編んだとき、つぎの機会があれば蝶であり無限大のかたちの注連縄をつくりたいと思っていた。
「リボンのかたちだね」という言葉をかけてもらって、そういえば"結び目"でもあるんだなと気づく。
節目の日に自分とつながる“静”と、笑いをかわしあう“動”の時間を自身のなかに招き、稲藁や植物たちと触れあっていると、やさしく凪ぐような気持ちがあふれてきて、それは感謝としかいいようのないものだった。
そのようにしてひとつの輪から生まれるいくつもの輪が、連なり、あるいは浮かんでゆく。
つぎなる“輪”をくぐるための準備をする。
「輪は太陽のかたち」だと誰かがいってた。
そして年輪のひと巻きでもあると感じながら。
“おやす”という信州で編まれる注連縄のつくりかたを知っているかたがいて、教えていただきながら自分のぶんも編むことができた。
どうやら“受けとる”ことの方言からきている名前のようで、“神の食器”としての“受けとる器”を筒状につくり、それは“柱”のようでもあって、とても興味深く、今年の節分に諏訪をおとずれたことも想いだされ、諏訪でもこの注連縄は飾られるのだろうかと考えつつ、冬至の日に節分の日のことを振り返ったことも非常に意味のあることだった。
諏訪にはじまり、諏訪にしめくくる、今年はそういう年なのだろうと。
わたしにとって、大切で特別な土地。