2024/08/27

お知らせ




 お知らせがみっつ。


 ①ひとつは、かねてからおつたえしておりましたように、来月から施術メニューのアクセス全般の価格が更新されます。


 アクセス・バーズ、アクセス・フェイスリフト、アクセス・ボディプロセス各種を、60分10,000円とし、30分追加ごとに+5,000円というように刷新することで、現在テスターで提供しております「エネルギー調整」をのぞく、すべての対面メニューを統一したいと感じたからです。


 アクセスの施術をプラクティショナーとしてセッションをおこなうには、2年ごとに更新があるのですが、わたしはその2年ぶりの更新を今年の3月に済ませました。


 そして今年3月の時点の自分自身のエネルギーと現在のエネルギーではおおきく変化し、またエネルギーがおおきく変化したということは、プラクティショナーとしてクライアントにクリアリングできるもの、調整されるものにも、アクセスできる領域にも変化が生じたということになりますし、それをわたし自身も感じつつ、いつもいらしてくださるかたにもそのようなお声をいただいています。


 そのためアクセスの価格を変更し、セッションのエネルギーの価格帯を統一することが必要だと自分自身からもとめられました。


 これはよくおつたえしていることなので、すでに何度もお聞きになっているかたもいるかもしれませんが、おなじメニューであっても施術者がどのようなエネルギーであるかは、セッションのエネルギーに付加されます。


 だからたとえばアクセス・バーズなら、おなじバーズであっても、施術者それぞれのエネルギーがそこに溶けあって流れ、ひとつとしておなじセッションはないのだといえます。それはアクセスにかぎらず、ヒーリングなどすべてのエネルギーにおなじことがいえます。


 そしてあらゆることに通じることだと思いますが、「“何を”するか、ではなく“誰が”するか」というのはとても重要な要素で、それは「そのひとのエネルギーがどのような状態であるのか」ということと密接な関わりをもちます。


 だからわたし自身もそれを自覚したときから、自分のエネルギーがクリアであるように、研ぎ澄まされてゆくように、ということを意識し、それを選択しつづけています(そこにはもう、それを“選択している”という意識すらなく、“あたりまえ”のこととして自分のなかに馴染んでいる、というか)。


 その選択の結果ではありますが、また自分自身に纏っていた玉葱のごとき皮を、1枚どころか幾層もごっそり剥がしてゆく、ということが今年は年のはじめから連続してつづいています。


 去年もそういう流れではありましたが、今年はそれが加速している印象です。


 外側の混乱を見るのではなく、みずからの内側とつながることというのは、さらに重要になっているテーマで、全体としてそれを自分自身から試されることも多くなっていることは、すべてのひとにいえることであるとも思います。


 それを俯瞰でとらえる視点に欠けているとき、混乱を混乱と認識する余白もないまま渦に呑み込まれる、ということもあります。


 自分が自分であるためにも、それぞれが自身にあったクリアリングを模索してゆくことはとても大切になるのではないでしょうか。




 ②お知らせのふたつめ。


 これもかねてからおつたえしていたことですが、対面遠隔問わず、セッションのお申込みのさいのメニューの価格が合計13,000円以上のかたに、「エネルギー調整」を15分施術するサービスを今年の5月までご提供してきました。


 それを6月から「カルマの浄化(仮)」というものに切り替えています。


 わたしは「カルマ」という言葉があまり好きではないので(仮)がついているわけですが、輪廻、家系、トラウマ、習慣などから、わたしたちの内部に潜在し、結果として人生のなかでネガティヴな影響として具現化するというような、そういうものは自分自身の経験からしてもあると理解しています。


 それを浄めてゆくことは、わたしたちの“重さ”となっているものの根源にアプローチするということでもあると思います。


 だからこのエネルギーは、施術メニューのすべてのエネルギーとおなじように、まずわたし自身にとってとても必要なものとして受けとり、それが施術できる段階になったことを確認しての、このお知らせとなります。これまでのエネルギーとおなじように、セッションのなかで展開してゆくうちにまたこのエネルギーそのものの拡大や変化もあるのだと思います。


 これは強烈なエネルギーで、施術を受けるかたの状態によってはおおきく反応があらわれることもあり、またクリアリングを妨げているもののクリアリングがまずは必要なかたであるならば、ひとつずつ丁寧に手放してゆくことが大切にもなるため、15分で様子を見て、すこしずつエネルギーに慣れてゆくのが好ましいようですから、現在のところ専用のメニューはなく、この施術サービスのみでのご提供となります。

 よろしくお願いします。




 ③お知らせのみっつめ。


 この春から、アクセス・ボディプロセスのメニューより「機能的なからだのバランスの実現化」という施術を開始しています。


 こちらのメニューは名前から連想されるように、「自分の肉体のなかでバランスを崩しているものの修正、調整、その原因になっているものへのアプローチ、すなわち男性性と女性性の統合にむかうためのもの」――おもにそういったものに働きかけるエネルギーになります。


 お受けになられたかたからは、「自分がなにを我慢していたのかを自覚し、それにNOということができた」というような、自身がほんとうは嫌だと思っていたことを認識してそれを手放すことのクリアリングがおこなわれた、というお声をいただくことが多い印象で、それもおそらく「バランスを崩していた」領域でご自身が自覚しやすいもののあらわれではないのかと思います。


 そのほかご自分が自覚されていない部分、潜在意識にもアプローチされていますので、自然に日常生活における取捨選択(意識的、精神的、物質的に)も変化してゆくのは、すべてのメニューのエネルギーに共通するところだと思います。


 わたしから見ても、よくお逢いする機会のあるかたは言動の変化がわかりやすく、ご自身でそれを自覚されているかたが多いこと、そしていつも可能性を見せてくださること、拡げてゆかれる姿に感謝しています。


 「バランス」「ホルモンバランス」「自律神経」などのキイワードにぴんとこられたら、このエネルギーをお受けになられるのもいいのかもしれません。


 それでは長くなりましたが、今回はこのあたりで*





   

2024/08/18

紙一重




 巫女と人身御供は紙一重なところがある。

(それは神話のなかの櫛名田比売に象徴のように描かれているがごとく)


 だからなによりもまず、自分自身を優先してね。それは我儘でも贅沢でもないから。

(在るがままに我がままに――自分自身にしたがう、自分自身のために、の“我がまま”ならば、それは我儘とは異なるもので、とても大切なことだけれども)


 自分を“人身御供”にしないと決めるのは、決められるのは、ほかならぬ自分自身。


 ここ数日に渡って、そんな話をする機会があった。


 

2024/08/03

8月、観音








 Luna Somniumの8月は、観音とのつながりを深めています。


 今月セッションを受けられるかたに施術いたしますエネルギーにはすべて、対面、遠隔問わず観音のエネルギーが副次的にふくまれます。


 観音は地球上でもっとも古くから存在する“女神”(観音を女神とするかは異論あるところかもしれませんが、ここではあえて“女神”と綴ります)のおひとりであり、慈悲や平和というものを、わたしたちに教えてくれます。


 そしてその“平和”の状態であるために、浄められ癒されていることが必要なこと、大切なものに光をおくってくれるので、魂がもつあらゆるネガティヴティや痛み、といったものをその神聖な炎で燃やし、わたしたちの心が“平和”であることを手助けもしてくれます。


 奥深くに埋め込まれているもの、強く握りしめているもの。それを手放すことをサポートしてくれる、ということです。


 たとえば怒りだったり、恨みつらみ、妬みそねみといったものを、よりスムーズに解放できるようにしてくれる、ということです。


 そういう「強い念」が生じるような気持ち、ネガティヴティが自分のなかにあるとき、または自覚できないほどそれが何重にもみずからのなかに“隠されて”いるとき、わたしたちはまず、自身のなかにそれが「ある」「あるのかもしれない」という事実に傷つくのではないでしょうか。


 恵まれているように見える誰かを羨む(その反転にある“妬み”のエネルギー)


 自分にあんなことをしたのに、あのひとはなんの咎めも受けていない(その感情にある“恨み”のエネルギー)


 そして誰かや、過去に起きた出来事を「赦せない」という気持ち。


 自分自身のなかにネガティヴティを見たとき、それが自分の手にあまるような負であったとき、わたしたちはその事実そのものに傷つき、それを「なかった」ことにしようと抑えこみ封じこめて、「なにも感じないようにする」ということがあります。


 あるいは反対に“外”に対するネガティヴな感情を加速させ、自分自身に対してすっかり自暴自棄になり、自身をおざなりにする、ということがあります。


 どちらであっても「顕れかた」が異なるだけで、根本にあるものはおなじ。


 それは「自分は“愛”から見捨てられている」のではないかという疑心、不安、怖れの顕れであるといえます。


 ――なぜなら自分には、“愛”が欠けているから。


 ほんとうに自分が“愛”であるならば、誰かを妬んだり恨んだりするはずがない。自分に“愛”がないから、世界もわたしに“愛”を見せてはくれない、わたしを愛してはくれないのだ。


 自身でどこまで自覚できるかはわかりませんが、みずからのなかにこういう“根”があったりします。


 わたしは“愛”ではない。だから愛されなくて当然の存在だ。だからあのひととは違う、だからわたしにはああいうことは起きない。そういう“設定”です。


 わたしたちがなにかを「許せない」と思うとき、なにより自分自身を「赦せない」と思っているときでもあること。


 そういう経験を自分にさせてしまった自分がゆるせない、あのひととおなじようになれない自分がゆるせない、こんな感情をもってしまう自分がゆるせない。


 しかし自身に“愛”がないと悲しむひとのなかに、愛がないはずがないのです。


 それを観音は知っています。


 すべてのネガティヴティは、自分が愛から分断、分離されていると感じているがゆえ、それを信じているがゆえに生じるもの。だから愛に纏った何重もの鎧としてのネガティヴティではなく、その中心にある愛を観音は見ています。



 去年もこのおなじ8月に、観音に月の女神の柱を担当していただきました。


 それは夏という季節は、わたしたちの奥深くにあるものが炙り出されやすい季節であることと無関係ではないように思います。


 そのようにして炙り出たものを、神聖な炎で鎮静してくれる。観音はそういう女神です。


 そしてこの8月の8という数字に、観音の二頭のドラゴンたち、陰陽の龍が、円環を描いて無限大をつくっている。そういうヴィジョンを今年は強く感じます。辰年の夏に、ドラゴンたちも浄めと癒しをおくってくれていることを。


 また先月の女神であるグリーンターラは、観音のこぼされた左目の涙から生まれた女神です。グリーンターラ、観音とつづく、この夏の流れとともに。







 こちらもまたあらためてお知らせすると思いますが、9月から対面のアクセスのメニューを価格変更する予定です。


 去年の秋くらいから迷っていたのですけれども、ここにきてようやく自分自身の気持ちと覚悟が決まったようですので、そのようにいたします。このこともまた後日、BLOGに綴りたいと思っています。







  *8月、これからの予定*    


  8月31日(土・夜)* 今月のセッション(対面・遠隔)をお受けくださったかたへ、30分間の観音の一斉遠隔ヒーリング

 *該当されるかたには当日、個別にご連絡差しあげます。


 それではどなたさまもよい8月を、そしてよい夏をお過ごしください。


 いつもあなたがあなたでありますように。