2026/05/17
北極星、北斗七星
去年の終わりごろから、なぜだか行かなければいけないと思っていた場所、千葉神社へ、今月のはじめに。
「なぜだか」そう思うことには、かならず意味がある。そのときそれがわからなくてもいい。
最初の直感から半年ほど要したけれど、その期間は自分自身の準備期間でもあったのだろうと。
半年のあいだに「行かなければならない」はますます強くなって、そしてその機会に恵まれた。
そこは北極星をつかさどる場所で、つたわるふたつの紋は「神紋」と「社紋」、それぞれ表と裏をあらわしているとのことで、表の紋である神紋は月星紋だった。
『この紋は北極星の差配する天空の星々のなかで、日・月・星(じつ・げつ・じょう)のみっつの光を表した紋となり、もっとも外側の輪郭部が「太陽」をあらわし、左上のちいさな円を隠すと右下に「三日月」があらわれ、逆に三日月を隠せば左上に小さな「星」が残る。「人の生活におおきな影響を及ぼす太陽と月、そのほかの諸々の星々、これらすべてを北極星がつかさどっている」ということをあらわしている』
というような説明がお宮の説明ではなされてあった。
自分ではそのつながりを感じてうかがったわけではないけれど、「日月星」に今年1月訪れた富士の泉の旅で案内していただいた場所のことを想いだした。
わたしの蝶の器の“片翅”が“割れた”場所。
あの場所に忘れ物をしてきたように感じてもいて、もしかしたらまた訪れるのかもしれないと感じている。
北極星、北斗七星の「北」は、五行のうちの「水」に配置された方角であるため、水にまつわる玄武、白蛇、亀などはその「使い」とされ、境内には亀(玄武)のかたちをしたおおきな撫で石が。
また、湧水の霊泉も。
そして対の獅子。
獅子がわが子を千尋の谷に突き落として鍛錬したという故事をもとにつくられたとのことで、やはりおなじ故事からつくられた『連獅子』を思い浮かべた。
先月、『連獅子』を鑑賞してから、牡丹の花といい、どうしてか“獅子”のテーマも繰り返しあらわれている。
その理由を探り、あれこれなぜだろうと考えるより、いまは「そうなんだな」と胸にとどめておくこと。
この千葉神社にて、はじめて「御祈祷」というものを受けた。
これまでそうしたものを受けたことがなく、そうした気持ちになったこともなかった。でもここでそれを受けたい、受ける必要があると、うかがうまえから強く感じていた。
理由はわからないけれど、そう感じるからする。ただそれだけ。
よほどなにかの縁がある場所なのだと思うし、またうかがうのだろうとも思っている。