石笛にやたらと心惹かれて手もとにやってきてもらったのはいつだっけ。
梓弓という言葉がいつまでも離れてゆかなくて、弓はわたしにとってとても重要な意味をもつものだし、と思いお迎えしたのは去年の秋だった。
今年は夏から思春期以来くらいに万葉和歌が再熱して、そのほか諸々の省略とともに、そんなふうにして抗いがたい一連の流れがある。
その流れは自分のなにかを“温故知新”しようとしているのかしら、などと感じたりしながら。
冬の終わりくらいから、琴(箏)が無性に気になって和箏を習うかも、の一歩手前までいったこともあった。
結局自身の覚悟がさだまらず、心の動きが“流れ”と真に共鳴しなかったので、保留中。
いまはそれでいいかな。