2024/09/17

光を言祝ぐ






 「光を言祝ぐ」とはどういうことなのかを、ここのところずっと自分自身に問いかけている。


 「少女は言語でしか世界と戦えない。それは護身用のナイフみたいに大切なものだ。たぶん、わたしにとっても。」という文章を、いつかどこかで綴ったことがあって、十年をひと昔とするならばそれくらい遡ることのできる、かつての自分の言葉として覚えている。


 わたしにとっての“言葉”はいつも、いかにして「醜いものを美しいと錯覚させるか」ということが主題だった。


 言葉はそのための、magicとしての装置だった。


 自分の心にかなう美などこの現実にありはしない。現実にないものなら夢のなかでそれを築いてしまおう。贋金をつくるように、わたしの美意識で統御された夢の錬金術で、わたしの規律によってのみ呼吸する“うつつ”を、この世界の裏側に出現させるために。


 つまりそれは、自分自身のための麻酔薬でもあった。


 たとえば日本神話のなかで伊邪那美命は、みずからの死によって愛する伴侶との別離にあったが、のちに彼女の夫は恋しい妻を訪ねて黄泉までやってきた。


 「あなたの知っているわたしの現身は腐敗してしまったから、わたしがいいというまで、そのわたしを見ないでください」と彼女は夫にいったけれども、しかし待たされているあいだに不安になった夫は、忠告を破って彼女の姿を見てしまう。


 美しかった妻の、黄泉の醜を纏い変わり果てた姿に恐れおののき、その場から逃げ去ろうとした男に、いたく傷つき誇りを損なわれた彼女は、もう二度と“死”によってわかたれるよりまえに巻き戻ることはなかった。


 姿も、関係も、あるべき場所も。


 この伊邪那美の悲しみの涙と冥府の匂いを清潔な水で浄めて、化粧を施し髪を梳いて、そのひとつひとつの行程ごとに幾度も、「あなたは美しいんだよ」と囁いてゆくようなこと。


 わたしが言葉によってしたかったこと、しようとしてきたのはたぶんそういうものだった。


 醜の悲しみによって開いた淵としての傷口を縫合してゆくようなこと。


 けれでも世界を拡げ、視野を拡げるうち、それはすなわち傷が癒え、痛みが溶けてゆくうちに、とおなじ意味だけれども、わたしは「現実にないものを創りだすための夢」としての“言葉”を、それまでよりも必要としなくなった。


 自分自身のなかの穢された美とでもいうべきものを再生させるため、涙を結晶のように見せるためのmagicとして言葉を用いることを、よしとしなくなった。


 伊邪那美ははじめから美しく、だからその“醜”の欠落を光によって埋めようとする必要もない。


 そのような期間、時代がしばらく(かれこれ三年以上はそう)つづき、しかし今月に入って突然、なぜだかほんとうに唐突に、短歌をつくりたいと思うようになり(これまで一度たりともそうしたいと思ったことはなかったのに)、その気持ちのままに言葉をならべたいくつかを見れば、やはりわたしの長年の習癖というのか、「醜を美に」の価値観が残っていて、苦笑を誘われた。





 こうではない、と思った、少なくとも“いま”は違う。


 そのとき、ふと自身のなかからあふれてきた歌が、“いま”のわたしにおそらくはとても近く、ここからならはじめられそうだ、と感じた。


 先日載せたけれども、あらためて。


 



 黄泉を光にしようすれば、それは黄泉を忌避することになる。影を無視した光は光ではなく、しかし黄泉を呼び出すためだけに、その名を唱えてはいけない。それに呑み込まれ呪縛されてしまう。


 そういうものはわたしにとって“祈り”の形式ではなく、“祈り”から遠ざかった“言葉”は、“神聖さ”からも遠ざかる。


 “神聖さ”から遠ざかった言葉は、それを用いた者を苦しめる。


 はじめから“ひとつ”であるならば、そこに抵抗や対立は生まれない。


 わたしは長いあいだ、自身の“石”を磨いてきた。それは同時に“花”を育ててきた、ということと同義語であると知っている。そしてつぎは、その石と花を融合してゆく(“ひとつ”にする)ときなのだろうと今年の初夏のあたりから感じていて、それは予感、といってもいいような、それを「知っている」という感覚で。



 石長比売と木花之佐久夜毘売
 ネフティスとイシス
 ペルセポネとデメテル
 エレシュキガルとイシュタル
 黒闇天と吉祥天



 神話では対となる女神が闇と光で表現される。


 それはおなじひとりの女神の陰と陽の側面。


 もとは“ひとつ”であったもの。


 「“光”を言祝ぐ」とはどういうことなのか、ここのところずっと自分自身に問いかけてあらわれた、ひとまずの現時点における結論のようなものとして。


 名月の夜に。