2026/10/12

出雲(3)縁







 出雲大社にむかうまえに、稲佐の浜から。


 「神々の玄関口」といわれている場所とのことで、この砂浜でいただいた砂を出雲大社の素鵞社に奉納し、社殿下の清めの砂と交換していただいてくる「お砂とり」をすること、


 出雲大社の近くにある真名井の清水にむかうこと、


 以外はほとんどなにも決めず、調べないでむかったけれど、


 思いがけず御祈祷を受けることになり、巫女舞を鑑賞し、拝殿の裏側にある八足門のなかに入る、という当日の流れ。


 真名井の清水はミズハノメによって守られている場所だった。


 そこからふたたび出雲大社に引き返すとき、ふと右の細い脇道に逸れたさきに神社があることに気づき、意識するよりまえに足はそちらに踏みだしていて、


 それが命主社だった。


 わたしが辿りついたとき、まばらに見えた人影も、すぐに姿が消え、あとには静寂が満ちていた。


 境内にある巨樹から、巨岩から、その空間全体から、すごくおおきな力の源があふれているのを感じた。


 その巨樹はムクノキで樹齢も1000年を越えているとのこと。


 樹が、岩が、空間が、その意志を風に宿らせて語りかけてくる。


 それを「受けとった」と感じたとき、ずっとこのままそこにいたいような、ずっとまえからそこにいたような、不思議な交信がわたしの“外”にあるものと、わたし自身の“内”で生まれ、


 そしてその“回路”が充分に深くつながったとき、外からの喧騒が戻ってきて現実に帰ってくる。


 静寂に波紋がひろがる。


 そして、「ずっとこのままここにいたい」という気持ちから覚め、けれどもわたしの一部を夢の名残みたいにそこに置いてくる。


 そのようにして“つながる”ことのできるものや場所や人が、“縁”でつながっている、深い“つながり”をもっているということ。


 出雲大社をあとにして、ふたたび稲佐の浜のほうへとむかい、海辺に出たとき、空と海は美しい神秘的な光とともに迎えてくれた。


 出雲はとても懐かしい場所だった。はじめて訪れるのに、いつも心のどこかにはその場所のための空白があったような。


 おそらくまた訪れるのではないかと思う。


 「行かなければいけない」とずっと感じてきた場所が出雲にはあり、そしてその「行かなければいけない」は今回ではなかった。


 今回は顔見せ、ご挨拶、その土地との“つながり”を“想いだす”ためにうかがったのだろうと。


 自分が意識しているもの、意識できるもの、していないもの、できないもの、すべてふくめて。


 自身にとってとても大切な場所のひとつなのだろうことは、あらためて理解した。