ご縁あるかたの田植のお手伝い。
ささやかな助力ですが、御田植神事の早乙女気分で。
白や黄の蝶が飛びかい、キジやセキレイといった鳥たちがそばに寄ってきて挨拶してくれ、山に見守られながらの“御田植”は、大自然の回路と深くつながるという意味で、まさに自分自身のための“神事”でした。
終始気持ちのよい風が吹き渡り、おひさまの強すぎる光を隠してくれていた空から、“御田植”が終わるのと同時にぽつんと一滴の水が落ちてきた。
「降ってくるみたい。待っていてくれたんだね」と雨の気配を感じる場所を仰ぎながら、それでいてそれは天からの豊作の合図で祝福でもあったのだと思う。
五月を「さつき」と呼ぶのは、稲の苗を植える「早苗月」が短くなったもので、早乙女は「五月女」と綴ることもあるのだとか。
早乙女は五月のおとめ。旧暦でいえばいまはちょうど皐月半ばで、かつてのおとめたちに想いを馳せつつ、早乙女の“早”は早苗の“早”なのかしら、などと連想が連想を呼び。
稲田姫への祈りを捧げながら。