2025/04/25
桜の諏訪①4月15日
雪の諏訪から桜の諏訪へ。
天の川をわたるように、御神渡りをつなぐように。
冬の旅から帰ってきたあと、春にまたおなじ場所に旅にゆくことになったのは、日記をふりかえると2月10日のことだったようです。
いまから思えば旅から戻ってすぐのことだったのだなと思いますし、それはやはりわたしの意志というよりもおおきな“流れ”にしたがったらそのようになった、としかいえず、自然にそう運ばれていったものでした。
雪の諏訪へはご縁あるかたたちと巡ったけれど、桜の諏訪は家族――両親と巡る必要があり、それも日にちははっきりと指定されて「4月15日」であるとのことでした。
4月15日はたぶんずっとわたしにとって特別な日であったのですが、ここ1年ほどでその意味がさらにおおきく深まりました。
それは個人的なもので諏訪とは無関係であるとひとり決めしていましたが、「4月15日に諏訪にいなければいけない」とこんなに強く入ってくるのだから、諏訪にとっても重要な日にちなのでは? と思い調べてみたところ、諏訪大社上社の例祭である「御頭祭」が毎年その日におこなわれているとのことでした。
その神事のことはひとまず置いておくとしても、「やはり諏訪にとってもこの日は大切な日なのだ」と感じたとき、自分のなかからあふれてくるものとの答えあわせをいただいたような気持ちになりました。
「なぜ桜の諏訪へ」という問いかけに対して、そのあとどんどん判明していったこと、それをおおやけにむけて開いている場所で記すことのできる範囲で綴ると、
自分自身の家系、先祖、過去生の浄め、癒し、解放
ある女神の解放と復活
そして武田勝頼公とその関係者の鎮魂
それがすべて連動しあっていること、これまでひたすらに自分自身を浄め癒してきたことのひとつは「それをするためであった」ことを理解しました。
それも桜の季節の4月15日に。
その日でなければならなかったのです。