2025/09/30

聖母マリアの一斉遠隔ヒーリングのご報告






 9月にLuna Somniumのセッションをお受けになられたかたへの聖母マリアの一斉遠隔ヒーリング、無事に終了しております。


 敏感な反応、神経の鋭敏さ。外部のものを自分自身の“重さ”として吸収しているもの。


 今回はそのあたりへのクリーニングがなされていたようでした。


 そしてそのうえで、敏感や繊細であるということは、けっして悪いことではないのだということをお心にとめておいてほしいです。


 わたしたちの浄化が進み、自分との繋がりが深まれば、おのずと神経もまた鋭敏になります。


 それは大なり小なり“麻痺”していなければ、「この現実で生きていくことができない」という物の見方、眼差しの角度が、人生をとおして植えつけられる経験をくぐり抜けてきたひとたちにとって、無防備であることはある段階において“危険”と同義語でもあったからです。


 純粋であることは無知であることと捉えられ、世のなかから見た価値観によってYESとされるものが“正解”であることに息苦しさを感じながらも、その息苦しささえ気づかなかった、気づいてはいけなかった。


 そして気づいていたとしたら、「わたしのほうが“間違っている”のかもしれない」という思考の転換で、自分でも普段は意識しない心の奥の奥で、無意識に自分を責めつづけてきた。


 だからこそ、世界に対して身構えてきた、防御してきた、そのような流れ。


 しかし知性をもちながら純粋であることは可能ですし、それは矛盾していません。


 鋭敏であることを“防御”によって守ってきたことがあるならば、そこで目にしてきたものはどのようなものでも、あなたの“知性”の種です。


 その目に映してきたものが、怖れに紐づくものであっても、愛に基づくものであっても、すべての経験は“種”であり、そこから学んだもの、学ぶべきものがあります。


 それをどのように“解釈”するか、というところに人間性の成熟はあります。


 だから自分自身の浄め、癒しが進むごとに、その“解釈”は変化していきます。


 そしてそのようにして、みずからのなかに多様な眼差しがもてるようになるとき、“種”であったものはわたしたち自身の“創造”するものも変化させ、現実にもそれが反映されてゆきます。


 「自分の現実はそれぞれ、わたしたち自身が創りだしている」という言葉を聞いたことがあるかもしれません。


 それは「あなたの“種”はいま、どのような状態か」「あなたはこれまでの“経験”をどのように“解釈”しているか」ということと如実に結びついています。


 すべてはその“種”から生みだされているからです。


 わたしたちの浄めが癒しが進むごとに、これまで気づかなかったことに気づいたり、鋭敏さを取り戻してゆくのは、これまでならば「それが自分に思わしくない影響をあたえている」ということにも気づかなかった不要なものやエネルギーを摂り入れないようにするためでもあります。


 その“経験”はもう充分だ、という合図でもあります。


 不要になっているエネルギーをクリアにし、自分のためにはならない悪習慣や思考などにもアプローチがあったとあります。


 今回は以上のような領域に作用があったとのことでした。


 このたびもありがとうございました。


 どなたさまもよき10月をお迎えください。


 いつもあなたがあなたでありますように。