2025/05/23

ひとつの収束







 今日、日づけ変わってもう昨日のことですが、諏訪の雪と桜の旅は「こういう収束のしかたを見せるのだな」と感心してしまうくらい、“導かれた”としか思えないような場所で、待たれていた完結を迎えました。


 これからもわたしの日々はつづいてゆくけれども、しかし確実に自分の人生のある章に終止符がうたれるのを感じます。そういう巡りがまたこうしてふたたびやってきたことを。





 その場所で松の大樹が迎えてくれたことは偶然ではなく。


 冬と雪の、春と桜の諏訪の旅。


 ふたつの季節を巡ることで、そのふたつを御神渡りみたいに繋ぎ、天の川のように融合させる。それがとても大切なことでした。そしてそのふたつの旅をつないでいてくれたのが松という樹でした。翡翠の松。





 約束の場所で迎えてくれた松の大樹に「またね」と告げたあと、思いがけない流れによって(そしてそれは必然でもあるのでしょうが)辿りついた「はじまりの場所」


 わたしを諏訪に(そこにいたるまでのあらゆる“流れ”に)導いてくれたと、いまとなってははっきりと意識できる“はじまり”の地。


 諏訪湖へお返しした翠の玉が、その“はじまり”として、これも偶然に(必然に)手のなかに飛びこんできた場所。


 桜の諏訪から帰ってきてからすぐにそこへご挨拶にうかがおうと思っていたのに、なかなかそういう気になれなくて、そんな自分の心の動きを不思議に感じていたけれども、それはそのまえにまだすることが残されていたということで、それが終わればこんなふうにするりと自然で幸運な流れでその日のうちにそこへ案内されてしまった。


 「行きたい」「行かなければ」という思考のおよばないところで。


 このような場ではすべてが抽象的にしか記せないようなことですが、これでようやく諏訪の旅のつづきのことも綴ることができるのだろうと思います。


 あれからひと月以上経ち、ますます夢のなかの出来事であるような手触りのする、あの旅のこと。





2025/05/15

竹と満月、かぐやひめたちの集い









 満月の日、それぞれのために用意された竹の器をいただいて、それぞれが準備した食べ物をその器にならべ、飲み物をそそぎ、それを招き入れる。


 季節が移ろうたび表情を変えて、それでいながら“いま”このときに見る姿がいちばん美しい“星の樹の下で”の、しなやかな心をもったかぐやひめたちとの集い。





 竹の器にいれた枇杷の葉やヨモギやミントのお茶を舌で感じて自分のなかに摂り入れ、空に鉱石をかざして輝きに見惚れた。


 植物や石との対話のために自分を澄ませることは、“つながり”を深めることでもあること。


 あらゆる意味でやさしくてきれいなひとたちとの会話も物腰も穏やかさと愛に満ちて。





 その空間全体がひとつの器。


 器のなかにいるひとたちが放つもの、受けとるものが、月や星の光みたいにあふれてこぼれてきらめいていた。


 “五感”と結びつけられるこの牡牛座の季節、それを集約した特別な満月の日、みんな少女みたいだった。わたしたちは幸せだとすこしいとけなくなってしまうんだね。







2025/05/02

5月、ギネヴィア






 Luna Somniumの5月の女神はギネヴィアです。


 Luna Somniumでは毎月、その月にとくに必要なエネルギーを宿す女神を許可を得ておひとりさだめ、その「月の女神」とし、つながりを深め、セッションを受けられるかたに施術いたしますエネルギーにもすべて、対面、遠隔問わずその女神のエネルギーが副次的にふくまれる、ということをしています。


 この5月はギネヴィアとのつながりを深め、施術のエネルギーにもこの女神の息吹が副次的にふくまれます。


 ギネヴィアはケルトにおけるアーサー王伝説のなかで、アーサー王の王妃とされている女神ですが、その起源はアーサーの時代よりも古く、その土地を守護し、土地と人々の豊穣、そして死ののちに安全に来世へと渡る架け橋をかけてうれるという二重の意味での“守護”をもたらしてくれる女神であるとつたえられてきました。


 「白い女神」「白い妖精」「白い幻」というような意味を名の由来とするギネヴィアは、もともとはケルトの古い女神であり、アーサーがその土地の“王”として認められるには、土地の信仰の対象であった女神との“結婚”が必要であり、ギネヴィアの夫となるものが“王”の器であると天によりさだめられた者であると考えられた、そういうことだったのだと思います。


 ケルトにおいてギネヴィアは三相一体の女神であったともいわれ、女神のなかのみっつの顔のなかに女性のみっつの季節を象徴し、“トリプルゴッデス”とも呼ばれる、月の満ち欠けと呼応した女神の総称です(一説にはこのギネヴィアとギリシア神話のペルセポネを同一に視ることがあり、わたしもこのふたりの女神は似ているところがあるなと感じます)


 純粋な乙女(上弦)、育む母(満月)、叡智の護り手である老賢母(下弦)


 乙女は素直さを、母は物事を生み出す力を、そして老賢母は物事を俯瞰的に見る眼差しを。



 性別にかぎらず、そのみっつは「自分の人生を生きる、自身の人生を生みだしてゆく、自分の真実にしたがって進む」うえで非常に大切なことであると感じています。


 アーサー王の妃であったギネヴィアですが、彼女の心はアーサーのいとこであるランスロットにあったといわれています。


 そのためギネヴィアは、自身の“真実”にしたがった人間関係と出逢えるよう、その関係の絆が深まるようにサポートしてくれるという恩恵も宿している女神です。


 パートナーシップとは自分の人間関係の縮図であり、それは自分自身を映しだす鏡としての役割を担っているため、ギネヴィアはわたしたちが“真実”の愛をわかちあうことができるように助けてくれ、“真実”に基づかないものは遠ざけてくれる、ということもしてくれる、わたしたちがよりよい“パラレル”にむかえるように(それは自分の“真実”に気づき、したがうということです)手を貸してくださる、そういう女神です。


 自分の“真実”にしたがった関係、というのは、パートナーシップのみならず、すべての関係性のなかでとても大事なことです。


 わたしたちはこの人生のなかで幾度も大小さまざまなターニングポイントを経験し、幾重にも枝分かれするパラレルのなかにいますが、ギネヴィアはそのポイントとパラレルの橋渡しをおこなってくれる女神でもあるのです。




 ジョン・コリア『グィネヴィア王妃の五月祭の祝い』




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 *5月の予定*    


 5月31日(土・夜)* 今月のセッション(対面・遠隔)をお受けくださったかたへ、30分間のギネヴィアーの一斉遠隔ヒーリング


  *該当されるかたには事前に個別にご連絡差しあげます。





 それではどなたさまもよき5月をお過ごしください。

 いつもあなたがあなたでありますように。







2025/05/01

タイムカプセル







 特別な夜が明け、はじまりの5月。


 その最初の日にあらわれた過去からのタイムカプセル。


 振り返れば8年まえの8月からつながっていたこと。


 (自分が意識できる領域では。そうでない領域においてはたぶん、それよりずっと以前から)


 ここにもまたひとつの“冥加”を感じている。