2025/01/27

Correspondances








 カフェスローで開催された「イタリア植物紀行研究報告会――植物と人とのミクロコスモとマクロコスモを繋げて――」へ。


 自分に必要な自然の“薬”としての植物の効能を見るのではなく、植物という存在のなかに“わたし”を見て、それと“交感”をする、自身のなかに“招き入れる”というありかた。


 ラベンダーなら、その効能とされる“鎮静”のためというよりも、ラベンダーのなかに鏡として映しだされた自身を見て、「どこに効く」「なにに作用する」という“意味”をとり(だからそれは“思考”をとるということでもある)、「自分という存在に“効く”薬」とする植物療法のありかたが、とても興味深かった。


 お話うかがいながら、東山魁夷の絵と言葉が浮かんでくるのを感じた。


 『私の風景の中に人物が出てくることは、まず無いと言ってよい。その理由の一つは、私の描くのは人間の心の象徴としての風景であり、風景自体が人間の心を語っているからである。』


 魁夷がその師から学んだという「心を鏡のようにして自然を見る」ということ。


 素敵な偶然でお逢いすることができたかたが、会の途中からボードレールの『Correspondances』が浮かんできて離れていかなかったと、あとから教えてくださった。


 Correspondances――交感、あるいは万物照応そのもののような話だった、と。


 「自然は荘厳な寺院のようだ」からはじまるその詩にあるように、自然の“神殿”のひとつの柱であることを“想いだす”こと。


 投げかけられた言葉がそれぞれの水鏡のなかに波紋を描いたり、森にこだまして“想いだす”ものは、聖なる霊感であり、植物の精との交感であり、自然との繋がりである。


 そういった美しい夜を受けとりました。


 植物紀行のお話会のまえに立ち寄った場所で出逢って、心惹かれた樹の記憶とともに。