2023/11/30
天宇受売命の一斉遠隔ヒーリングのご報告
今月ご縁をいただきましたかたへの天宇受売命(アメノウズメノミコト)の一斉遠隔ヒーリングを無事に終了しております。
アメノウズメノミコトは問題を解決する鍵は、その“問題”について思い悩むことのなかにはない、ということをわたしたちに教えてくれる女神です。
このたびの一斉遠隔ヒーリングが作用したもののキイワードとして、
「物事を先延ばしにするのをやめる」
「安全と確実さのなかにいることを知る」
「自分自身を受けいれる」
「大局的に物事を見ることを妨げているものへの癒し」
「自分自身の中心とつながり、地に足をつけること」
などがありました。
わたしたちの毎日のなかでは、自分の人生に集中するということがなかなか「できない」と思うことがあります。自分以外の誰か、自分の周囲を取り巻く環境、出来事、それらがあつまってわたしたちの人生の一部をつくっているからには、それらは現在の“わたし”と密接なかかわりをもち、“わたし”にかかわるそれらのものを、ときに“わたし”自身より優先させることがあります。
それらに対してむける心配や懸念の気持ちに占められるとき、つねに頭や心は自分以外のもののことでエネルギーを使っているといえますが、対象への嫌悪や苛立ち、嫉妬や怒りでさえ「自分以外のものを優先している」ということができます。
自分から放たれる感情、反応にはどのようなものであれエネルギーが宿っているので、“外”にむける意識が強いとき、そこに自分のエネルギーを使っている、そうすることを「優先している」ということができてしまいます。
自分が宿すエネルギーが拡大され癒しがもたらされるにつれ、自身の“外”にもよい影響がひろがります。しかし自分より“外”へむける眼差しを優先し、“外側”にあるものを「どうにかするにはどうしたらいいのか」とそこにフォーカスしつづけるとき、エネルギーは縮小し、わたしたちは疲弊してゆきます。
“問題”について思い悩むことのなかに“解決”はない、とアメノウズメミコトはいいますが、それはわたしたちが「思い悩む」とき、“外側”にあるものを「どうにかするにはどうしたらいいのか」という、エネルギーを縮小させるありかたのなかにあるからです。
そのようなとき大切なのは、みずからに“喜び”をあたえてあげること。そして“笑い”とつながる時間をもつことこそが、“問題”だと思っていたものを“軽く”する方法なのだ、と。
多くのひとは、自分のための時間を過ごすこと、自分のために時間を使うことをわがままなことだと思っています(この“時間”を、そのまま愛やお金という言葉にも置き換えることができます)。
けれども自分が寛いでいること、安心していることが結果的には自分の“外”にもよい影響をもたらします。
「そのひとのことを心配している」ほうが、表面的には「そのひとのことを深く思っている(思っているから心配せずにいられないのだ)」と見えるかもしれません。しかし話は逆で、自分が“軽く”あることが、ほんとうの意味で自身の愛するひとたちのため、そして自分自身のためであるといえます。ほんとうの意味で自分自身のためであることが、自身の周囲をも愛で満たすのだと。
今回の一斉遠隔ヒーリングのキイワード、そしてメッセージは、かなりいまのわたし自身と呼応して感じられるものがあり、またこのようにご縁をいただいたかたに癒しを送ることで、わたし自身も癒しを受けとっているのだということを、深く感じることができる時間でした。
すべては“ひとつである”。
愛や労りは、それが自分にむけたものであっても“外”にむけたものであっても、わたしたちを疲弊させることはない。
なぜならそれは「どうにかするにはどうしたらいいか」という思考の枠組みから外れたところにあるものだからです。わたしたちはあらゆる段階をとおして、その愛と労りを学んでゆくのだと思います。
今月ご縁をいただいたかたと、そしてアメノウズメノミコトに心からの感謝を捧げます。
深いヒーリングになりましたので、そのまま眠られてしまったかたもいらっしゃるかもしれません(アメノウズメノミコトは睡眠へもよい作用をもたらしてくれる女神なので、エネルギーを受けとられて眠られたかたはお疲れが溜まっていたり、心配や不安で良質な睡眠をとることの妨げがあった、ということもあるかもしれません。)
わたしもこのたびのヒーリングから活力をいただき、このような時間をひと月の終わりに設けていることの意味を感じるものがありました。
ありがとうございました。
どなたさまもよき12月を*
あなたがいつもあなたでありますように。
2023/11/21
妃が笑うお茶
先日、“妃子笑”という岩茶をいただく機会があった。
妃を喜ばせるためのお茶、そのお茶をふくんだ妃が思わずうっとりと微笑んだ、というのが名の由来らしく、その妃とは楊貴妃であるとのことで、薔薇の花びら、あるいは桃の果実のごとき色あいの可憐な茶器にそそがれた、黄金に輝くそれを自分のなかに馴染ませ、流してゆくのはとくべつな体験だった。
茶の香を利き、指の先にまで神経をゆきとどかせて天に捧げるみたいに両手で茶器を持つ時間はご神事のようでもあった。――そのように“自分とつながるための時間”として設けた空白はどれもみな神事であるのだろうけれども。
金色に光りながら芳醇なフルーツのような味わいで、たしかにこれは高貴なかたのためのものだったのだろうと感じさせられるものがあった。
いにしえの三女神の系譜をたどるみたいに、それぞれの茶器に浮かべた黄金で三角形を描いて(そして市杵島姫、赤城姫、ノルン、など三姉妹の女神たちのことが話題にのぼる。)
フィルムには残さなかったので、文字の記録として。
2023/11/20
うさぎ
うさぎ。
異界(薄絹いちまい越しに“こちら”から隔てられた“あちら”)の入り口にいてくれて、“こちら”とは異なる時間が流れるその場所の案内をしてくれる存在。
Café nornは運命の三女神とうさぎのお店。
去年からうさぎに縁がある。
去年の復活祭のときにわたしのもとにきてくれた黄金のたまご。
ある彼女が兎と龍はおなじエネルギーだといっていた。かれらはそのときわたしたちがつながりやすい姿で具現する、そんなようなこと。
今年、また一歩うさぎとの距離が縮まった。
そういえば今年は卯年で来年は辰年ね、というお話をこのあいだした。
兎から龍へまわるまえに、まずはしっかりうさぎとの約束を果たさなくてはね。
2023/11/19
月と人魚
月と人魚をとおしてあらわれる、海と黄泉に関わりをもつ女神たちと神話世界。
わたつみの宮と題された絵のなかで無限大を描く豊玉姫と玉依姫。
孔雀と蛇とサラスヴァティ。
女神としての月読(月黄泉)
強さ、豊かさ、知性をつかさどる三位一体の美。
尾の紋様に暗号を秘した、高貴でうつくしいかたたちとの至福の時間。
上弦、満月、下弦の三相で完成される月の神秘。
Zaroffで開催されていた坂上アキ子さんの『月と人魚』展、とても素晴らしかった。
“人魚”――。
先月、そこへ訪れたいという気持ちをしるべに、ちいさな旅をしてきたことも想いだす。
青い水の聖域がある森。
梢からふりそそぐ鳥の声、光を浴びて水の底に浮かびあがった陰影が人魚のシルエットのようだった。
矢車菊の花とおなじ色、その場所のシンボルでもあるというカワセミの色にも通じる、吸いこまれそうな青のこと。
2023/11/18
輪のむこう側
「竜宮という場所は、外界と時間の流れが異なるところですよね。浦島太郎は竜宮城で過ごしたあと地上に還ったとき、故郷はもう自分の知らない土地となっていて、自身が時間という枠組みから外れた場所にいたことを知った。“聖域”の内側は時間の干渉を受けないところがある。そして“ここ”もそのようなところだな、と感じることがあるんです。ここに来るといつも時間を忘れてしまう。“外”に出たとき、また“時間”という“現実”のなかに戻ってゆく、というふうに。」
2023/11/17
11月、天宇受売命
Luna Somniumの11月は、天宇受売命(アメノウズメノミコト)とのつながりを深めています。
今月セッションをお受けくださったかたに施術させていただきますエネルギーにはすべて、対面、遠隔問わずアメノウズメノミコトのエネルギーが副次的にふくまれています。
実は、わたしは当初、この女神は先月10月の女神になるのではないか、と夏ごろから感じていて、その月に日食があることに気づくと、ますますアメノウズメノミコトは10月のひと月をとおしてよりつながりを深める女神としてあらわれるのだろうという思いを強くしていました。
(アメノウズメノミコトは天岩戸開きの女神ですが、この神話に見られる「太陽が空から消える、そしてふたたび復活する」というエピソードが日食を想起させること、またそれが意図的に綴られたのだろうことは、この女神と10月のつながりを感じたおおきな一因ではありました。)
しかし8月の終わりごろ、「10月の女神はドゥルガー」と入ってくるものを感じ、9月になるとそれがさらに確信に変わってゆく流れがあって、アメノウズメノミコトはそのつぎの月の女神なのだ、と自分自身のなかで納得するものがありました。
日食や月食はたしかに「ひとつの扉をひらく」ことをわたしたちにうながしてくることがあります(それはかならずしも天体の周期のなかにあらわれる日食や月食でなかったとしても、わたしたちは人生のいくつもの転機に自分のなかに“日食”や“月食”を視ることがある。そういうこともありますね。)
そしてその“扉”によっては、わたしたちが思いも寄らなかったものを直視する必要性に迫られることもあります。
それは忘れていた過去だったり、みずからの底に凍結させていた感情だったり、そこからあえて目を背けてきたりしたもの。
その“扉”をひらこうとするとき、まず自身のなかに沈んでいたものを浮上させ、浄化させる必要がある。
そうでなければ、わたしたちはその扉のむこうに自身のなかで“古くなっているもの”“すでに不要になっているもの”も一緒に連れていってしまう。
古くなっているもの、すでに不要になっているもの――思考や信念体系の偏りや、傷ついたがゆえに閉じていたハートのなかに沈殿されていた感情なども、それにあたるかもしれず、つぎの“扉”をひらくときには、自分自身もシーツのように洗濯して、禊をしてあげることは大事なことだと思います。
そうでなければつぎの扉をひらいても、遭遇するのは自身のなかでまだ未浄化となっている過去を、人物や場所や状況を変えて繰り返すことになりかねないから。
交流する他者を変えても、場所を変えても、状況を変えても、自分が自分であることは変わることはないから、だからそれは浄化、昇華されるまで、「あなたのなかにこういうものがあるよ」と他者や場所や状況をとおして対峙する出来事として、みずからに訴えてくる。「いつもおなじようなことが起きる」というひとは、そのようなパターンをもっている、自身の心、からだに刷り込まれている、ともいえます。
その“浄化”における段階や時間は、それぞれに異なると思います。
凍らせていた痛みが深いほど、自分より他者を優先してきたひとほど、みずからを慈しむことをとおしてゆっくりと解いてゆく、丁寧な手で自分を扱ってゆく、そしてすこしずつ浄化してゆくことが大切であると思いますから。
凍結させてきたものがおおきいほどに怖れが潜伏し、だから“ゆだねる”ということに抵抗し、変化に対する拒絶があらわれることがあり(それも“怖れ”と関係しているものではあるのでしょう)、自分が一度「こうだ」と“固定したもの”からフォーカスを外すことが困難である傾向も感じます。
昨日「ただしい」と思っていたものに、今日違和感を感じたなら、それを否定しなくてもいいのです。それは昨日の自分を否定することではない。ただわたしたちが昨日よりも成長したあかしなのだから。
そのような次第で日食、月食をともなった10月はドゥルガーの“浄化”が重要だったようで、それは「扉をひらくまえの準備」ともいえることだったようです。
そのような“扉”はひとつではなく、わたしたちは人生においていくつもの“扉”をみずからの成長、段階においてひらき、それをひらいてゆくほどに薔薇の花びらの渦の中心に近づいてゆくように、自分自身の内部とつながってゆくのだと思います。
そして“扉”をひらくのも、自身の“内部”とつながるのも、自分ひとりだけの力でなされるものではありません。
「自分だけの世界」にいるとき、わたしたちのなかに変化はないからです。世界に“わたし”ひとりなら、傷つくこともないかわりに、他者をとおして反射する自分自身を知ることもない。わたしたちがみずからのなかに生じる波をとおして自分を知るならば、他者という存在がなければ「自分を知る」こともないのだといえます。
対峙する相手によって引き起こされる内部からの声は、それが自分にとって“良い”ものに見えようと、“悪い”ものに見えようと、自身の内側の反映。
だから他者との関係で起こる化学反応(繰り返しますが、その“反応”が自分にとってかならずしも好ましいものでない場合も多々あります。しかしそれは変容のためのメディスン、薬でもあるのです)こそが、自分の秘された“扉”をひらく鍵であったりします。
自分ひとりでいくら内側を見つめても見つからなかった鍵が、他者との関係をとおして手渡されることがある、ということです。みずからの思考には限度がありますが、自身の“外”にあるものは、その限度をこえた提示をしてくることがあるからです。
そのような次第で、10月は「扉をひらくまえ」のドゥルガーの浄化、そして11月は「扉をひらくとき」のアメノウズメノミコトの軽やかさ、が大切になってくるようでした。
これを読んでくださっているかた、セッションをお受けくださっているかたはご存じだとは思いますが、わたしは毎月「月の女神」をさだめていて、しかしこれは「わたしがさだめている」というより、星や風の流れとしかいいようのないもの、世のなか全体の動き、集合意識、それをあらかじめ感じ、「この月はこの女神がよい」というのがおりてくる、というか、この月にこの女神のエネルギーとつながるとよい、という意図と設定をしてさだめている(おりてくる)ものにしたがっているかたちです。
だから11月はアメノウズメノミコトです。
アメノウズメノミコトは、この世から太陽が隠れ、永劫の夜に世界が覆われたとき、神々が「どうすれば太陽が天に還ってくるのか」と悩むなかで、ただひとり軽やかに踊りだし、その場に笑いをもたらしました。
困難な状況のとき、深刻に思いつめ「どうすればいいのか」とその方法について思い悩むよりも、軽やかさや笑いこそみずからが困難だと思うその状況を切り抜ける“鍵”となるのだと、この女神は教えてくれます。
重く感じる事柄に軽やかさを保つことは自身のバランスが大切になり、だからアメノウズメノミコトは心のバランスによって健やかさとつながること、その妨げとなっている障壁への癒しをサポートしてくれます。
この女神のバランスへの作用は自分自身の生活を創造することを助け、睡眠への悩みにも影響をあたえてくれます。
扉と鍵はこれからしばらくつづく流れのなかで重要なキイワードとなるのかもしれませんね(そのまえの“浄化”も、もちろんあわせて)
*11月これからの予定*
11月30日(木)* 今月のセッション(対面・遠隔)をお受けくださったかたへ、30分間のアメノウズメノミコトの一斉遠隔ヒーリング
*該当されるかたには当日、個別にご連絡差しあげます。
それではどなたさまも、ひきつづきよき11月をお過ごしください。
あなたがいつもあなたでありますように。
*LOVE*
登録:
投稿 (Atom)