2026/02/01

ククリヒメの一斉遠隔ヒーリングのご報告






 1月にLuna Somniumのセッションをお受けになられたかたへのククリヒメの一斉遠隔ヒーリング、無事に終了しております。


 ひとことでいうならば、「陰陽統合」のエネルギーが流れたとあらわすことができると思います。


 それはなぜこの年のはじめの女神がククリヒメであったのか、ということの意味をわたし個人にも感じさせてくれました。


 そしてその意味は、これまで2023年2月のブリギットから3年間に渡って毎月「その月の柱となる女神」に助力いただき、月の終わりに女神のエネルギーのサポートの入った一斉遠隔をおおくりする、という一連の流れの終わりにふさわしいのだとも感じました。


 と、このように記しましたように、「月の女神」はこのたびのククリヒメをもちまして最後になります。


 事前に告知できなかったのには、わたしもこれが「最後」であるとは月末を迎えるまでわからないことだったからということができ、いつもならばその月の25日を過ぎるころには、「翌月の女神」がどなたであるのかつたわってきていたのですけれども、先月にはそれがなかったので、「いつもと違うな」と思っていたのですが。


 28日から富士の裾野の泉にむかう旅をして、その旅をとおして、いくつもあった“扉”の最後をひらいたのだ、ということを理解して(そこに行くまえから、そこが最後の“扉”であることはわかってはいたのですが、「やはりそうだったのだ」と自然と受けいれた、腑に落ちた感じです。)、いろいろなものがまたぼろぼろと剥がれ落ち、溶けてゆき、旅から戻ってきたあと「これまでと異なるやりかたを迎える必要がある」ということを、深く実感しました。


 そのため「月の女神」もこの月で終わりなのだと。


 1月31日の暦に「旧すす払い」という文字を見つけ、「ああ、やはりこれがほんとうの“大晦日”だったのだ」と感じたりなどしました。節分までの数日は、まだこの“すす払い”の時期で、ご自分を祓い浄めることをもとめられるかたもいらっしゃるかもしれません。


 なぜククリヒメだったのか、それはこの女神がそれぞれがそれぞれのなかにある太陽と月を“ひとつ”にしてくれる女神であったからでした。


 いま、今年、そしてこれから、それはほんとうに大切なことです。


 今回はこの「陰陽統合」というキイワードだけを、あえて記します。


 その言葉から受けとるもの、エネルギーから受けとられたものを、おのおのご自身にぜひ問いかけられてみてください。


 エネルギーはそのときだけでなく、受けとった瞬間、立ちあがった瞬間から働きかけ、本来の姿、本質に還ってゆくことをうながします。もちろんそれは、そのひとのなかに“許可”が出ていればそれだけ速くその“扉”はひらいていきますが、まず“許可”が出ていないところにそれをもたらす働きをするでしょう。


 わたしとしては、どちらでもよいのだと思っています。


 許可が出ても出なくても、本質に還っても還られなくても。


 けれどもこうして地球で生きているからには、自分が自分であることを楽しみたい、楽しんでほしいとも感じています。


 今年は丙午の年で、火のエネルギーが強いということがいわれておりますけれども、そのとおりだとも思っています。


 火をどのようにコントロールするか、調えられた状態に熾る火は原動力や活力になります。混沌のなかで爆ぜる火は怒りや暴走になります。


 「“火”に呑み込まれないように」、それが大事なことになってくるかもしれません。


 そして火のエネルギーは「進む力」でもあるので、いろいろな変化をともなう年になるのだと思いますが、どのような意図をもってその行動をするのか、ということを自分自身に問いかけてあげることによって「変化」の内容も変わってくると思います。


 わたしもまた、さまざまに変化してゆくのだろうといまから感じ、今後セッションもどのようになってゆくか現時点ではわかりませんが、ひとまずは「月の女神」の幕はこのようにして閉じたようでした。


 これからはユニコーンがサポートに入ってくれ(これまでも開示していなくてもサポートには入ってくれていましたし、女神たちも引きつづきそのようにしてくれるようです。ただそれを開示する必要はない、といった感じです)、月の終わりの一斉遠隔は当面つづけるのではと思いますが、これも今後のことはわかりません。


 ただひとついえることは、わたし自身もパワーアップ、バージョンアップするたびにさらに深部に届くエネルギーをお流しできるようになっていること。


 「終わらせる」というこのおおきな節目は、わたしがひとつの地点に辿りつき、またそのつぎにゆく必要があるから起きることであり、それはセッションという面においてクライアントのみなさまにもよき作用、影響をおよぼすことは間違いのないことであると、ご理解いただけましたら幸いです。


 今回は以上になります。


 あなたがいつもあなたでありますように。








2026/01/31

翡翠とカワセミ










 さかのぼると今月の25日のこと。


 停留所一歩手前まで来たところで、目のまえでバスが発車してしまい、ベンチに座ってつぎの時刻を待ちながら、ふと仰ぐと、むかいの建物の屋根に鳥が舞い降りてくるのを認め、それがカワセミであることに気づいた。


 宝石の翡翠に喩えられる青翠色の羽。


 その子はつぎのバスがやってくるまでずっとそこにいて、うつくしく澄んだ姿を見せてくれていた。


 以前にカワセミを目にしたのは、数年まえのおおきな節目のときで、ある意味でのメッセンジャーでもある。


 バスに乗り遅れて運が良かったな、という話。







 そして去年の4月の諏訪で、諏訪湖におかえしした翡翠の石を想いだし、恋しく思ったという話。


 思い返せば数年まえにカワセミを目にした場所から、その翡翠の石はやってきてくれたのだった。 その場所でカワセミを見た日と翡翠が手もとにやってきた日がおなじ日だったかはさだかでなく、忘れてしまったけれど、翡翠がほんとうに思いがけなくわたしのところにきてくれた日のことはよく覚えていて、2022年の1月のことだった。


 多摩の小野神社の境内で、足もとに不意にきらりと光るものに目をとめ、わたしはとっさに「硝子かな、あぶないな」と思い、手でひろったのだった。


 砂まみれになって存在を隠すように青翠色も失くしていたそれは、でも手にのせるとぴりぴりと反応して硝子片でないことはすぐにわかった。


 わかったけれども、一度手にしたものを、ふたたび砂利に戻す、ということができなかった。


 まずこの子をきれいな水で清めてあげなくてはと思い、手水舎の水であらってあげると、嬉しそうにきらきらと輝いて、石の姿をあらわした。







 そのときはまだ、翠の色ははっきりしていなくて翡翠ということはわからなかったけれど、なにか特別な石であることはわかった。


 どうしよう、やはりもとに戻したほうがいいのではと思いつつ、手のなかであまりにも反応するので、コートのポケットに入れて、一緒に連れてゆくことにした。


 そのあとおなじ日に高畑不動尊をまわっているあいだも、石はわたしのポケットのなかでずっとぴりぴりと反応してなにかをつたえてきていた。


 やってきたときからこの石は、いつかしかるべきときに、しかるべきところにご返納するのだろうと感じ、それまでのあいだわたしはこの石を本来の姿、力に近づける必要があるのだと、なぜだかすごくそのように思って、各地を一緒に巡り、この石に聖水を捧げてきた。


 石もすこしずつ本来の深い翠の色を取り戻していった。


 そしてそれからおよそ3年が経った2025年の4月、桜の諏訪湖で起きた言葉にはできないようなこと。そのまえの2月にはじめて訪うことができた雪の諏訪のこと。 雪と桜を繋ぎ、巡る旅のこと。


 4月の諏訪でなすべきことを無事になすために、天と地をむすび大地のものざねをあらわすかたに蝶の器もつくっていただいた。


 その中心で光っていた、あの翡翠の石を想いだす。







 今年、諏訪湖は御神渡りが起きるかもしれないという話で、先日の富士の泉の旅をとおしても(この旅のことはいずれ、また)、その可能性は高いのではないかという事象を受けとってはきたけれど、どちらでもいいと思う。


 それが目に見える現象として、生じても生じなくても。


 ただそれが諏訪湖の意志であるならば、それは起きる。そう感じている。


 カワセミからつながった、翡翠と諏訪の話。


 いまようやくできるタイミングみたいだった。








2026/01/20

伊勢山皇大神宮










 数日まえですが、横浜にうかがったおり、伊勢山皇大神宮にようやく参詣することが叶いました。


 「ようやく」という言葉がついているのは、数年まえから幾度もお名前をお見かけする機会があり、幾度も意識に引っかかって、「呼んでいただいているのだな」ということはわかっていながらも、どうしても「まだ」と自分からストップがかかって、うかがえないでいたからでした。


 駅からの坂道が大変だと聞いていたものの、子どものころに長く急な坂道を往復して学校に通っていたこと、家からどこにむかうにも坂があった場所に住んでいたわたしは坂が得意らしく、「坂をのぼる」というその行為が子ども時代に通じているためか懐かしい気持ちにすらなりながら辿りつきました。





 社務所のお守りに桜のしるしを発見すると、ここ数年の一連の流れにいつもいてくれるその花がこうして思いがけずあらわれたことに、また「これでいいのだ」というサインを受けとりながら、そういえばここは「桜木町」だったと気づき、“桜”の地名からとられたシンボルをいただいているのだと思い至り。


 「桜新町」の桜神宮もそう。


 あの場所からも言葉では説明できないくらい、さまざまなご助力をいただき、いまに至ること。


 そのようにして辿ると、神社自体は桜のシンボルはいただいていないけれども、聖蹟桜ヶ丘にある小野神社とも、とても深いご縁があり、去年の2月の雪と4月の桜の諏訪の旅は、この神社からはじまったことも想いだされて、おそらく伊勢山皇大神宮もまた“桜”を辿ってやってきた場所であるのだと、いまは気づかなくてもいつかはわかる領域で、この場所とも縁があってこの日ここにやってきたのだと、感じるものがありました。


 “いつか”のわたしのために“いま”できることは、行きたい、行かなければと思ったところに足を運ぶこと。ひとまずはやってみること。


 それがなにを意味しているのか、すぐにはわからなくても。


 その繰り返しでようやく、ここまできた。