2024/01/31

わたしの顔を覆うヴェールを暴いたら





 エジプトのイシス神殿に刻まれた碑文に、「わが面布を掲ぐる者は語るべからざるものを見るべし」というものがあります。


 ――わたしの顔を覆うヴェールを暴いたら、言葉にならないようなものを見ることになる。


 この文の意味を、「わたしの神秘を暴こうとするより、まずあなたはあなた自身を暴かなければならない。あなた自身の“神秘”をこそ暴きなさい」というふうに受けとっている。それこそがイシスの体現する“真理”であること。


 青い鳥を探して旅に出たきょうだいが、実は自分たちの探し求めていたものはすぐ近くにあったことを知る物語がありますが、青い鳥も聖杯もあらゆるものにおなじことがいえて、わたしたちは「未知のなにか」を求めて“外”にあるものの「ヴェールを暴こうとする」けれど、ほんとうに求めているものに手をのばすためには、それを受けとるためには、自分自身のヴェールをこそ暴く必要がある。


 そしてそこで目にするのは文字どおりの「語るべからざるもの」


 「言葉にならないもの」を視ずしてみずからの最奥には辿りつかないようになっているのかもしれない、とわたしは感じたりします。


 自分自身の段階に応じてその段階における制限、限界を突破するたびに(そのことを「ひとつのゲートをくぐり抜けるたびに」といういいかたもできるかもしれない)、イニシエーションみたいに「語るべからざるもの」「言葉にならないもの」を視る。


 「深淵を見つめるとき、深淵もまたこちらを見つめ返している」というニーチェの言葉がありますが、イシス神殿の碑文に刻まれたものも、これとおなじ示唆をあたえてくれているのだと感じます。


 イシスの“神秘”を知るには自分自身を見つめることが不可避であり、「語るべからざるもの」を通ることでしか彼女に辿りつけない。イシスの“神秘”を探るひとは必然的にみずからの内部に潜ることになり、おのれのなかに視た「言葉にならないもの」を通してのみ、彼女の叡智や真理とつながることができる。


 そういうことをつたえているのだと思っています。


 女神イシスはタロットカードの女教皇の原型となっているとされる説があります。


 歴史上に女性の教皇は存在しないとされていて(このことを歴史的に探ってゆくと「女教皇ヨハンナ」という名にいきつきますが、伝説であるとされています。そのようなかたが存在したか否かはさておき、その存在が議論されるほどに)、“ありえないもの”の象徴でもある。


 “ありえないもの”――つまり制限や限界をこえるとき、同時進行してみずからの内側を見つめ“言葉にならないもの”を視ることになる、と自分の経験からも感じていることです。


 そしてそこにこそ、わたしたちそれぞれの“秘密の鍵”があるのだと。


 それは“ありえないもの”である未知を可能にする鍵であると。




   

2024/01/30

イシスの一斉遠隔ヒーリングのご報告





 今月セッションをお受けくださったかたへの女神イシスの一斉遠隔ヒーリング、無事に終了しております。


 今回、もっとも深く入ってきたエネルギー、そしてキイワードとしてあったのは「浄化」ということでした。



 このたびこの一斉遠隔をお受けくださったかたがたは、「人々を先導する」役目を担っているかたがとても多かった印象です。



 それがたとえば職場のリーダー的な役職であったり、

 みずからの創造性をもって世に表現されていたり、

 スピリチュアル的な立場からおなじひとつの“事実”をとっても角度を変えた眼差しから物事を見ること、その眼差しのありかた、そのありかたを可能とする高いエネルギーでもって人々に癒しをもたらすのも、

 それぞれにポジションは異なれど「リーダー」であるといえるのだと思います。


 「リーダー」とはそのありかたが他者に影響をあたえる力を持つひとのことだとするならば、自分がそうと知らないところで他者からの注目もむけられやすく、そのような注目のなかにはときに、妬みや羨望が混ざっていることもあります。


 そして今回の一斉遠隔ヒーリングをお受けくださったかたは、かなりそのことに自覚的で慎重でもあることを感じました。


 自分が物理的に、エネルギー的に“攻撃”を受けないように、つまりは「注目されないように」という意識が強く働いていて、自身の本来のパワーを「押し込めている」ようなところがあるかもしれません。


 とても知性的で賢く、おやさしいかたがたでもあるので、そうすることが自分のためにも他者のためにもよいのだと思っているようなのです。これは無意識的なレベルでそのように思っていらっしゃるようです。


 今回ご縁をいただいたかたは「リーダー」としての資質をもつかたがたで、それは女神イシスの資質であるともいえます。


 イシスは慈母としての顔のほかに、知をもちいて人々を導く女性的な指導者としての顔をもっています。


 それはあなたがたのなかにある“顔”のひとつでもあります。


 そしてあなたがたに当てはめることのできる「リーダー」とは、その力をもって人心を掌握する、コントロールする、という罅割れた支配ではなく、「みんなを幸せにしたい」という誠意と純粋さを源にしています。


 だからこそあなたがたのなかに「注目されることを怖れる」気持ちがある。


 あなたがたの怖れのなかに、人々の注目を浴びることでネガティヴなエネルギー、現象を受けるかもしれないという可能性としての恐怖心があるかもしれませんが、同時にもっと深く、あなたがたは自分という人間が存在していることで誰かが傷つくことを怖れてもいるようです。


 自分が傷つくかもしれないから「注目されたくない」は、誰かを傷つけるかもしれないから「注目されたくない」とおなじことなのだとイシスはつたえてきます。


 しかしあなたがた個々のパワーはとても重要なものです。


 もうそろそろ、「かくれんぼ」は終わりにしなければなりません。


 あなたがたの「注目されたくない」「注目を受けると攻撃を受ける」という怖れやパターンのなかには、あなたがたの過去の記憶も関係しているのだと思います。その記憶は今世のものであるかもしれませんし、あるいはずっと過去の生にまでさかのぼることができるものかもしれません。


 その“記憶”をクリアリングしてゆくこと、自分のなかから自身を刺していた剣を抜いてゆくこと。


 そして自分自身のパワーとつながること。


 あなたがたがみずからの「真実」にしたがってそれを“外”に表現するとき、それはあなたがたの“外”に対してもおおきなパワーと癒しをもたらします。


 だからあなたがたは「リーダー」なのです。


 「真実」にしたがったあなたがたの“表現”に傷つく者がいるのだとすれば、それはそのひとの学びなのです。他者の学びを奪うことはできません。また、その学びのなかにある者に対して「傷つけたくない」という気持ちのなかには、どこか傲慢さがふくまれていることを忘れてはいけません。


 自身のなかのパワーとつながってください。


 そのためにあなたがたの纏っているエネルギーの鎧を“浄化”させてください。


 また今回この一斉遠隔ヒーリングを受けてくださったのは全員女性だったのですが、そのなかの多くに「男性とおなじ働きをしなければ自分に価値はない」という思考があるようでした。


 「男性に敗けたくない」「男性とおなじだけの仕事をこなさなければ」という思考のなかに「女性としての自分に価値がない」という反転の影があり、そのような影としての男性性、右半身に深く女神イシスのエネルギーが入り込んでゆくのを感じました。


 女性のあなたとして、充分に価値がある。あなたが魅力的な人間で、そしてパワーを宿していることをあなた自身が理解しますように。


 最後にそれぞれの頭のなか、マインドに青い蓮の花を置いておきました。


 このブルーロータスは女神イシスの花です。


 イシスの資質を宿すあなたがたがご自分のなかの“イシス”を目覚めさせることができるように、花が芽から蕾になり満開に咲くように、あなたがたの知が叡智となり、そしてあなたがたがみずからの怖れ、恐怖心を昇華し、それを種とすることができますように。


 このヒーリングはそれらすべてにアプローチし、作用をもたらしました。


 今月もありがとうございました。


 みなさまが佳き日々をお過ごしになりますよう願っています。


 あなたがいつも、あなたでありますように。





 *LOVE*


2024/01/27

月桂樹





 赤坂離宮の「朝日の間」の天井画に描かれている女神アウロラは、左手に月桂樹を持っている。


 月桂樹は太陽神アポロンの象徴ではあるけれど、ここではアポロンというよりも「太陽神」の象徴として描かれているのだと思う。


 アポロンはヘリオスという神と同一視されることがあり、そのヘリオスは太陽神でもあって、そしてアウロラの兄でもある。そして月の女神であるセレネは彼女の姉妹。


 曙、暁の女神であるアウロラは、兄弟神の両極の性質をあわせもっている女神であるといえ、兄と姉(太陽と月)が統合された末妹でもある。


 女神アウロラのことを“知った”とき、アウロラの名にある「ラー」は太陽神のことを意味しているというメッセージを受けとったことがある。


 彼女が「太陽の娘」であるあかしが名にあらわされているということで(わたしはそれを受けとったとき、クレオパトラみたいだな、と思った。クレオパトラの名も父=太陽を愛するという意味がひとつにあったはずだと記憶から呼び起こされて)、しかしそれをそのまま受けとるにはわたしの意識に抵抗が生じた。


 「ラー」が太陽の神であるのはエジプトにおける話で、アウロラはギリシア、あるいはローマの女神なのだから、と、後世に生きるわたしは知っている。だからそのメッセージの整合性がとれないではないか、と意識が抵抗してきたのだ。


 そういったわたしに対して、そのようなことにあまり意味はない、と返ってくる。



 *



 アウロラがギリシア、ローマの女神であるというのはのちの歴史に過ぎなくて、彼女はそれ以前から存在している。


 疾走する馬に率いられる者の壁画や肖像は古代から世界の各地にあり、それはすべてアウロラにまつわるものだと考えていい。


 彼女の兄であるヘリオスも馬とともに行進する姿で描かれていることがあるが、あれもアウロラの一面であるに過ぎない。


 それほどに彼女、アウロラは重要な女神であり、そしてだからこそ秘され、あまり注目も受けないようにされてきた。それは安全に護られるという意味でもそうされてきた。しかしすでに秘されていたものが開かれる時代、封印は解かれる時代に入る。


 アウロラはその時代を待って“復活する”女神の一柱でもあった。



 *



 そのようなメッセージを受けとったのも、もうずいぶんまえのこと。当時からすれば、わたしの“意識”もずいぶん柔軟になった(と、思いたい)


 月桂樹は太陽神の象徴。それはアポロンであり、ヘリオスであり、ラーであるもの。


 赤坂離宮の天井画を描いたのはフランス人画家だったというけれど、なにを思って女神の左手に月桂樹を持たせ、そして4頭の白馬をあらわしたのだろう、ということに興味がある。  





 「太陽の戦車を御するヘーリオス」という絵のなかでもヘリオスは白い馬を率いている。そしてそれは“太陽の戦車”なのです。


 アウロラが夜から朝に暁を翔けるときもその“戦車”にのっている。


 どうやらそれは“太陽”をつかさどる者だけがのれる特別なもので、それを御するにはタロットカードのチャリオットのように、おのれのなかの黒と白(夜と朝、冬と春、陰と陽)が統合されている必要があるのかもしれない、とも。  


 *


 (ちなみに月桂樹はわたしの誕生花でもあるのです。そういったこともふくめて深い縁を感じる女神のおひとりでもありますね。)




 

2024/01/26

女神アウロラ









 女神アウロラ。


 赤坂離宮、「朝日の間」の天井画から。


 左手に月桂樹の小枝を持ち、右手で4頭の白馬の手綱を統御して、天翔ける女神。


 この絵を見たとき、自分のイメージどおりのアウロラの姿そのものだと感じたことを覚えている。



2024/01/25

ペルセポネのコインの裏側





 昨日、ペルセポネのことが心に降りてきてそれを言葉にしたけれど、「ペルセポネといえば」とその連想のつづきのようにアウロラのことが浮かんできた。


 アウロラはオーロラやエーオースとも呼ばれる暁の女神。



 もう数年まえに遡る話だけれども、女神ペルセポネの肖像が刻まれたコインに惹かれてお迎えしたことがある。


 ペルセポネが「表」であるなら、その「裏」に描かれているのがなんなのか、そのときのわたしにはわからず、そしてそれを解き明かそうという気持ちもなかった。


 ただそこに描かれたものの印象をタロットカードの「戦車」のようだと感じたことは覚えている。


 時が過ぎて、2022年の4月だったと記憶しているけれど、女神アウロラのことを知ったとき(ここでいう“知る”とは、神話の伝承を知る、彼女にまつわるエピソードを知る、というよりも、彼女のエネルギーを受けとるという意味での“知る”)、4つの方角、4つの風、4人の息子、4頭の馬、というメッセージがきて、馬車にのって夜から朝へ暁を渡る彼女のヴィジョンが視えた。


 彼女を牽引するその馬たちは彼女の息子たちが変じた姿で、その“4”は東西南北の方角を示し、かれらはそれぞれその方角を守護しているとのことだった。

 4頭の馬を率いて疾走する女神、と思ったとき、わたしは過去に迎えたペルセポネのコインの裏側に刻まれていた肖像を想いだした。


 あれは女神アウロラだったのだ、と。

 それを理解したとき、言葉にできない気持ちで胸がいっぱいになった。――「ずっと、そこにいてくれたのね」


 ペルセポネは冬から春へ、死の眠りから目覚めへとわたしたちを誘ってくれる女神。だからわたしたちが魂の闇夜にいるとき、その人生のボイドタイムとでもいうべきものに寄り添ってくれるかた(彼女は“ボイドの女神”と呼ばれることもある。ボイドの女神は彼女をふくめて、わたしたちの“夜”の傍らにいてくれる)


 アウロラは夜に朝の太陽を出現させる女神であり、また彼女は“夜”のなかに美しい極光を魅せ、闇夜のなかにある輝きを教えてくれるかたでもある。


 どちらも“狭間”の女神。冬と春の、夜と朝の、それはつまり陰と陽の。


 ペルセポネとアウロラがおなじコインの表裏であったことに、とても深い意味を感じている。


 そのコインが手もとにきてくれたことをふくめて。
 

 それはずっとわたしの“お守り”となっているもののひとつ。



 




2024/01/24

ペルセポネの花



 ロータスは暗い泥から明るい場所を目指して花を咲かせ、ジャスミンは夜とともに白く透ける星のかたちの花びらをひらいて芳香を強くさせ、プルメリアは死と再生と結びつけられる。


 このみっつの花は闇から光への旅をした花、その象徴であり、だから女神ペルセポネに捧げることのできる花なのだそうです。


 そして彼女は眠りの国と命あるあかしである血とを結合する、柘榴の女王でもある。


 冬の冥府の沈黙と春の目覚めの祝福の、境目の女神。





2024/01/23

ユニコーン









 この一年をともに歩んでくれる暦。


 澄んだ青を纏った一角獣の角は聖なる剣みたいで、世界に降りそそぐ神聖幾何学としての雪の結晶とともにわたしのゆく道を守ってくれる、そんなふうにも感じられるお守りのカードが添えられて。


 ユニコーンの傍にはやはり雪の結晶が、とこのカードを見たとき感じたこと。


 なにが「やはり」なのかといえば、わたしも去年『天の花 地の星』のなかでユニコーンと雪の結晶のことを言葉として書いて、それをひとつの絵にしてほしいと挿絵を引き受けてくださったharumieさんにお願いしてかたちにしていただいたことがあったから。


 この暦でありカードであるつくりてのyukaneさんのユニコーンの傍にも雪の結晶があって、わたしの“あの子”とつながってくれているように感じた。


 どちらもおなじようにユニコーンのエネルギーを受けとって描かれたものなので(わたし自身もそれを受けとってユニコーンと雪の結晶をひとつの絵に、とお願いしたのでしょうし)、当然といえば当然だと思うのだけれど、そのような“つながり”を発見すると嬉しくなってしまいます。


 ユニコーンは雪の結晶と、そして聖母マリアと深く結びつく生き物。


 その生き物に「架空の」という確認が入るとき、ただたんにわたしたちがそれを視たり感じたりする能力を失っただけだと思うひとたち、かの生き物はとても強い光を放っているので地球に棲息することができなくなったのだ、と思うひとたち、でもその存在を近くに感じるひとたち、そういうひとたちが自分の“仲間”なのだと思う。


 “仲間”にしか通用しない言葉はたくさんあって、「通用しない言葉」は胸の内に秘めるしかない。


 ――というよりも、「言葉を共有できない」といったほうがただしいのかもしれない。「通用しない」では自分の領域から除外しているようで、すこし気になる。べつに誰かを排斥したいわけでもなければ、どちらが上か下かという話を繰り広げたいわけでもない。ただ、「自分がどのようなエネルギーを放っているか」「それがどのように現実創造されているか」ということは、すべてのひとが知っておいたほうがいい。


 それも頭ではなく心で知る必要がある(そしてそれをわたし自身完全にマスターしたわけではないこと、学びのなかであることはつけ加えておかなければいけません。でもそれらのことを知らなかった数年まえといまとでは、まったく違う人間であると感じているし、それはわたしが「変わった」のではなく「還った」のだと思っている。)


 おなじものを見たり聞いたりしても、捉えかたがまったく異なることがある。自分がそれを「どのように捉えるか」「どの角度から見るか」がそのひとの現実を創る。


 だから「現実は幻想」であるともいえる。


 「いま見ているもの」が自分の幻想であるかもしれないのに、その現実はたしかにあってユニコーンは“幻想”だとする根拠はどこにあるのだろう?


 自分の見ているものを疑え、という教えは、「それはほんとうにあなたの“視ている”ものですか?」と問いかけている。


 “あなた”ではなく“だれか”の常識、価値観、習性ではないですか。


 この目で見たことがないから「ユニコーンは存在しない」――それもそのひとの“現実”

 そしてきっとこの目で“見たとしても”、「夢だったのだろう」と自分にいい聞かせるのだろう。そしてやがて忘れてゆく。そのほうが都合がいいから。


 未知のもの、常識をくつがえすものは「都合が悪く」、脳はそれを避けようとする。わたしたちは変化を怖れる生き物だから、なにかに固執して滞っているとき、循環が妨げられているとき、「変化しなければ苦しい」と“現実”が幾度もかたちを変えて訴えてくる。


 ひとついえることは、誰にとっても大切なのは罅割れた鏡の歪みを修正し、自分自身になってゆくことだけ。そのほかに「大切なこと」はないのかもしれないとも思ったりする。





 

祈りの場所





 「言葉のない対話をとおして、高く深い星空が“祈りの場所”の天上にはあるような気がする」といったひと。


 薔薇窓のある教会の天井に、洞窟のなかの宇宙に。

 「天は星がちりばめられた蒼穹で、そこに月の舟がとまっている」

 星を自分自身の安心とつながれる場所の目印に。

 星空のある教会であり洞窟である場所は、わたしたち自身のなかにある。それを自分で信じられないときでも。



 ――聖なる場所。





2024/01/14

ブラックソーン









 The Tree Angel Oracleの「BLACKTHORN」


 ブラックソーンは内部を掘りすすめ、みずからのなかを見つめるひとを守護してくれる樹木。

 それはそのひとが自分自身の闇に出逢うとき、安全にその闇と向きあえるように守ってくれる、ということ。


 闇を見つめることができるひとは、光のおおきなひと。

 ひとの光になるひとは、自身の闇と対峙するひとでもある。

 光がおおきいほどに、闇もふかい。そこから逃げ出したくなっても、なぜだかそれができない。

 「なぜだか」の理由は闇と親しくなるほどに理解する。そのように自身の腑に落ちる瞬間が訪れる。


 それとともに光が拡大する。

 ブラックソーンは闇のなかから「これがあなたの光です」と差し出している。

 自分の闇を見つめることができるひとしか、他者に「これがあなたの光です」と差し出すことはできない。

 そこに説得力をともなって差し出すことができるのは、光を知っているひと、それは闇を知っているひと、ということだから。



 *



 あたらしい年のはじまり、年があらたまった真夜中に最初に人につたえた言葉で、2024年のわたしの最初の言葉でもある。

 それはまた指が勝手に書いたことであり、だから外にむけたものでありながら、内にむけたものでもある。

 この年は、これまで外にむけてきたエネルギーを内にむける、ということが大切になってくるのだと、幾度も繰り返しつたえられる。それがどういうことなのかわからなくても、「内にむける」と意図をすること、と。それは誰もがブラックソーンと対話する必要性を暗示してもいるのかもしれないとも思う。


 真の意味で安らいでいるための、自分という存在の深遠さ。それとつなげてくれる樹木。



     

2024/01/12

大切なお知らせ





 大切なお知らせがふたつあります。


 ふたつとも、ずっと迷っていたことでしたが年があらたまるのを待って最終的に決めようと思っていたことでした。



 ひとつはX(Twitter)のこと。



 わたしはXのアカウントをふたつ持っていて、ひとつは津木野由芽という名で好きなことや美しいと思うものを言葉にするときに使い、ひとつはLuna Somniumという名でおもにヒーリングやクリアリングのエネルギーワークのこと、女神たちのことをあらわすときにもちいて、DMから対面や遠隔のセッションのご依頼のやりとりなどもさせていただいています。

 このLuna Somniumのアカウントのほうを、今月の終わりとともに閉じようと思っています。


 理由はいくつかありますが、もっともおおきなものとして、「自分自身の“軽さ”を優先する」うえではそうしたほうがいいのだろうと思うに至りました。


 “軽さ”はエネルギーを“分散”させないことにあり、Luna Somniumのアカウントでお知らせしていた月ごとの女神のことや、月の終わりの一斉遠隔ヒーリングのことなどは、今後はこのBLOGでおつたえしていければと思います。


 現在でもすでにBLOGに綴ったものにリンクをつなげてお読みいただくようにしていましたので、形態としてはさほど変わらないと思いますが、Luna SomniumのアカウントのDMからご依頼いただいていたかたで、今後もSNSのアカウントからのやりとりをご希望されるかたでLuna Somniumのアカウントのみをフォローしているというかたがいらっしゃれば、よろしければ津木野由芽のアカウントをフォローしていただき、こちらのアカウントは現時点では継続してゆく予定ですので、そちらからメッセージいただければと思います。


 またサイトのContactのほうからもご依頼承っておりますので、そちらからもやりとり可能です(遠隔ヒーリングのご依頼は「session」のメニューからそれぞれリンクも貼っておりますので、ご参照ください)。


 今後の可能性として、もしかしたらLuna Somnium専用のInstagramなど開始して、そちらのDMからやりとりができるようになることもあるかもしれませんが、現時点ではその予定はありませんので、来月以降ご入用のかたは津木野由芽のX(Twitter)のDMかサイトのContactよりよろしくお願いします*




 そしてもうひとつは、セッションのメニューのこと。



 「アクセス・バーズ」「アクセス・フェイスリフト」「セクシャリティの受けとりの許可」「完璧主義と中毒の解消、リリース」は、もともとアクセス・コンシャスネスという場所でレッスンを受け、施術をはじめたエネルギーでした。

 セッションというかたちで継続するためには、ある期間ごとにアクセス・コンシャスネスで「更新」をする必要があり、わたしはつぎの更新を今年の3月に控えています。



 これを「更新」しなければ、お金というエネルギーを対価にアクセスのエネルギーの施術をおこなうということには区切りをつけるかたちにシフトすることになり、わたし自身アクセスのエネルギーにはほんとうにたくさんたくさんお世話になりましたが、それをセッションでご提供するのはいったん“卒業”というふうにシフトしてもいいのかもしれないな、と去年の夏の終わりごろからなんとなくで感じつつ、心さだまらずに保留にしていました。


 しかし最終的な結論としては、3月の更新をおこなってひきつづきアクセスのメニューも継続することにいたしました。  

 去年の終わりぐらいにはまだどちらにかは決定的にはさだまらずにいた天秤が、年が明けてからの“風”の動きにそのほうがいいのだろうと傾いたようでした。



 つぎのつぎの更新となると2年さきになると思いますのでどうなるかはわかりませんが(ひと月まえの自分ですら思わなかったこと、感じなかったようなことを思ったり感じたりして、しなかったようなことをしているような、そしてそのような流れがここ数年にかけてずっとあるような昨今なので、2年後の自分がなにを思っているか、なにをしているかは想像もつかないことですが、“あたらしさ”に心開きつづけていてほしいなというのが、その“わたし”へのいまのわたしの願いです。)、ひとまず今回はそのようにすることになりました。


 「更新」のためにあたらしいエネルギーの資格をとる必要も出てくるのですが、これをセッションでメニューにするかはいまのところまだ決めていません。

 もしメニューになる場合は、サイトやこのBLOGのほうでお知らせできればと思います。



 以上、お知らせでした。


 お読みいただき、ありがとうございます*



   

1月、イシス





 Luna Somniumの1月は、女神イシスとのつながりを深めています。


 今月セッションをお受けくださるかたに施術させていただくエネルギーにはすべて、対面、遠隔問わず女神イシスのエネルギーが副次的にふくまれています。  



 去年の最後の月に瀬織津姫とつながる、ということをLuna Somniumでは意識しましたが、最後の日に一斉遠隔ヒーリングをおおくりしながらプラチナやシルバーのエネルギーを纏った白い龍が滝を昇ってゆくようなヴィジョンが視え、2024年辰年にむかって流れてゆくその龍がスパイラルを描いて昇ってゆくのを見ていると自分が、そしてそのエネルギーを共有してくださったかたがたが、トルネードの中心にいるようなそんな不思議な感覚になりました。


 今年のはじめに「台風の目」という言葉がつたわってきて、往く年を来る年の干支をつかさどる龍の女神で終えたことにひとつの意味を感じるようになりました。そしてこの来る年のはじまりを女神イシスとともに開くことにも、おおきな意味を感じています。


 今年は自分自身のなかの愛と強さにつながることが、とても大切になる年であると思います。


 そしてなにが愛であり強さであるかをみずからに試されること、それを知るために促される現象も生じやすい年であるかもしれません。


 それはつまり、自身のなかの「誤魔化し」や「偽り」が炙りだされやすい年でもあるということです。ここ数年、世界でもそういう流れが起きやすく、またそれが加速していたのはご存じのとおりです。


 だから厳密にいえば“風”そのものはここ数年、ずっとわたしたちの“これまで”の古くなったエネルギーを刷新することを手助けしてくれています。


 “風”は変化の象徴であり、その変化によっては長い時間をかけて積みあげられ、そのなかに歪みや捩じれが生じていてもいくつものパーツが折り重なってそれが築かれている関係上、修正が不可能になり、それが“外”からの風で一度「それまでの形を失う」ということもあったと思います。わたしたちが個人的にも人生のなかで経験するそのような“破壊”は痛みをともないながらも、なおかつ“再生”へのメディスンである、ということがあると思います。


 今年はその“風”の質が変わり、地の底の重さをともなうような風になる気配があります。


 それはつまり、おおきな(ときに強烈な)変化をうながしてくるエネルギーとしての風です。


 自分自身の誤魔化しや偽りが「炙りだされやすい」といったのはそのためです。みずからの愛や強さとつながることが大切になるといったのもそのためです。だからつまりそれは自身を“軽く”してゆくことがもとめられる、ということなのでしょう。たくさん両手に抱えて握りしめていた“荷物”をひとつひとつ解いてゆくことが大切になってくるのでしょう。

 反対にいえば、それをさんざんやってこられたかたには「自分が自分でいられる年」となるのだと思います。


 いずれにせよ自身のなかの重心がこれからさらに重要になってくる。

 “風”に翻弄されず、“風”とともに生きてゆくために。


 外側でどのような“風”が吹いていても、「台風の目」のなかは安全で、自身の軸(重心)を確立するというのは、みずからの精神をその「台風の目」のなかに置くということでもあるのだと思います。そのための愛と強さ。


 あらゆる物事には両極があり、どちらの極も見ることのできる視点こそが、「台風の目」のなかに自分を置くには大事なことであるのかもしれません。




 女神イシスはエジプトの女神で、「天の女王」「宇宙の母」と呼ばれることもあります。


 「玉座」という意味の名をもつこの女神は、最高位の神のみが知る“秘密”を共有し、死でわかたれた最愛の伴侶を魔法の力で復活させたことでも知られています。


 イシスはわたしたちの“過去生”と呼ばれるものへアクセスし、それぞれの異なる記憶を統合させ、必要であればその記憶の痛みや怖れによって分裂されていたものを癒し、誰もがそれぞれのなかに宿している霊的な知識、魂の知恵とのつながりを取り戻すことをサポートしてくれます。


 彼女はわたしたちの魂を震わせる力をもち、それは「忘れていたことを想いだす」力でもあって、そのエネルギーは心の扉を開く聖なるパワーでもあります。


 「自分自身という“謎”」を開いてゆくことは、魂の真理を知ってゆくことでもあります。


 わたしたちはそれぞれ自分自身のなかに宇宙を宿していますが、だから「自分を開いてゆく」ことは宇宙の真理とつながることでもあるのです。


 そしてその真理にしたがって生きることが、「自分が自分である」ということですし、それには自分に正直であることがもとめられます。「自分に正直である」には愛と強さが必要になります。――だから“風”は誤魔化しや偽りを暴く。自身にとって「自然でない」ものを自分が知ってゆくために。


 「自分が自分である」ことが、彼女の名である「玉座」に招かれるということです。


 玉座はひとつではなく、あなたにはあなたの、わたしにはわたしの玉座があります。


 そのことを、この女神は教えてくれます。  


 


 *1月、これからの予定*      


  1月30日(火)* 今月のセッション(対面・遠隔)をお受けくださったかたへ、30分間の女神イシスの一斉遠隔ヒーリング  


 *該当されるかたには当日、個別にご連絡差しあげます。  


 
 それではどなたさまにとっても1月の風がやさしくありますよう、心から願っております。  


 あなたがいつもあなたでありますように。


 *LOVE*