2025/04/30
ドゥルガーの一斉遠隔ヒーリングのご報告
4月にLuna Somniumのセッションをお受けになられたかたへのドゥルガーの一斉遠隔ヒーリング、無事に終了しております。
今回つたえられたキイワードは“変容”でした。
深い肉体的な癒し、精神的な癒し。
あなたが“喜び”とつながることの妨げとなっているもの、“外”や“内”に不調和を呼び起こすものの原因となっている傷や怖れ。
未解決の感情的問題、大地、地球に近いほうのチャクラ(レッド、オレンジ、イエローの問題、とくにイエロー――それは自尊心に関わるもの)の不調和を変容します。
イエローの問題は「自分を確立する」ということの困難を感じさせる現実を立ちあげて、自身のなかにあるものを見せてくれます。
たとえば誰かの言動に左右されやすい、ということがあげられると思います。
その「誰か」が自分のなかの不安を誘うにしろ、「羨ましい」「こうなりたい」というような羨望を誘うにしろ、自身のなかに生じる振り子がマイナスに感じられるものであれ、プラスに感じられるものであれ、「自分以外の者」によって“振り子”を「揺らされている」という点においてはおなじことです。
“振り子”は自分を見失い、迷い、的確な判断ができなくなる、という現実をわたしたちのまえに立ちあげることがあります。
それはわたしたちが“恋”と呼ぶものと似ているかもしれません。
相手の言動に一喜一憂したり(それは相手――“外”の反応によって自分の“気分”を決めているということ)、相手にどのように思われているか気になったり、ときに苦しみをともない、その苦しみが自分の心の多くを占めたとしてもそれを手放せないとき、そこにはその“振り子”に心揺さぶられて費やした時間が“固着”になっているからです。
そこには相手をとおして浮かびあがってくる自分のなかの“問題”があり、それが今回の下位のチャクラの不調和や傷、とくにここではイエローの問題に修復をおくったとありますので、それが起因する、そういうことはあると思います。
恋というふうに喩えましたが、人間関係におけるすべての“問題”に共通しているといえます。
「人の目が気になる」「自分を抑えてしまう」「自分がなにを感じているのかがわからない」などもそうですし、反対にそれが支配的な欲求としてあらわれ「自分が正しい」「相手より勝ちたい(上位に立ちたい)」「「正しくないものへの怒り」などを感じやすいということもあります。
どちらも「上か下か」の「支配と服従」の構図のなかに自分をおさめやすい、そういう人間関係が現実のなかで立ちあがりやすいという意味ではおなじ物事の表裏といえます。
わたしたちが“外”の現象に“振り子”が揺さぶられなくなることと、自身と“つながり”、自分を信じられている状態はイコールです。
そのようなとき、“幸せ”とは“外”に獲得した“条件”のことではなく、心のありかた、物事を見る視線の角度のことであると、わたしたちは気づくことができます。
今回はそのような部分における、それぞれの“歴史”にアクセスしてヒーリングをおくったとありました。
以上になります。
お受けとりありがとうございました*
あなたがいつもあなたでありますように。
どなたさまもよい5月をお迎えください。
2025/04/25
桜の諏訪①4月15日
雪の諏訪から桜の諏訪へ。
天の川をわたるように、御神渡りをつなぐように。
冬の旅から帰ってきたあと、春にまたおなじ場所に旅にゆくことになったのは、日記をふりかえると2月10日のことだったようです。
いまから思えば旅から戻ってすぐのことだったのだなと思いますし、それはやはりわたしの意志というよりもおおきな“流れ”にしたがったらそのようになった、としかいえず、自然にそう運ばれていったものでした。
雪の諏訪へはご縁あるかたたちと巡ったけれど、桜の諏訪は家族――両親と巡る必要があり、それも日にちははっきりと指定されて「4月15日」であるとのことでした。
4月15日はたぶんずっとわたしにとって特別な日であったのですが、ここ1年ほどでその意味がさらにおおきく深まりました。
それは個人的なもので諏訪とは無関係であるとひとり決めしていましたが、「4月15日に諏訪にいなければいけない」とこんなに強く入ってくるのだから、諏訪にとっても重要な日にちなのでは? と思い調べてみたところ、諏訪大社上社の例祭である「御頭祭」が毎年その日におこなわれているとのことでした。
その神事のことはひとまず置いておくとしても、「やはり諏訪にとってもこの日は大切な日なのだ」と感じたとき、自分のなかからあふれてくるものとの答えあわせをいただいたような気持ちになりました。
「なぜ桜の諏訪へ」という問いかけに対して、そのあとどんどん判明していったこと、それをおおやけにむけて開いている場所で記すことのできる範囲で綴ると、
自分自身の家系、先祖、過去生の浄め、癒し、解放
ある女神の解放と復活
そして武田勝頼公とその関係者の鎮魂
それがすべて連動しあっていること、これまでひたすらに自分自身を浄め癒してきたことのひとつは「それをするためであった」ことを理解しました。
それも桜の季節の4月15日に。
その日でなければならなかったのです。
2025/04/24
母なる“マリア”の3(three)アクティベーション、完了
母なる“マリア”の3(three)アクティベーション
2月15日のヌナカワヒメとタケミナカタ
3月20日春分のイシスとホルス
4月20日イースターのマザー・メアリーとイエス
すべて無事に終了しております。
雪の諏訪から受けとったものが、自分の誕生日をはさみ(1度目のヌナカワヒメは誕生日前夜、午前0時をまたぐ瞬間に終了するようにつたえられていました)桜の諏訪のあとの復活祭で完了したことに、とても深い意味を感じています。
いまから思うと、はじめからそのようにさだめられていた流れがあり、わたしが“わたし”にしたがうことで、その“流れ”に沿えるように配置されていたのであろう数々のこと。
“流れ”のままにしがたえたこと、つまりはわたしが“わたし”にしたがえたことがほんとうに嬉しく、心の底からほっとしています。
冬の諏訪の旅が終わったあと、ふたたび春に諏訪を訪うことになるとは思ってもいませんでした。
春の桜の諏訪でおこなったこと、そこで起きた“解放”が内にも外にもあまりにもおおきく、言葉でしたためるには自身のなかでそれを熟す時間を必要としていたようです。
それだけわたしにとっては、おおげさでなくこれまでの人生の象徴でもあるような特別で大切な旅でしたが、雪と桜を天の川みたいに、そして御神渡りみたいにつなぐ儀式のようなものとしてこの「母なる“マリア”の3(three)アクティベーションもありました。
その3(three)が無事に完了できたことも、“流れ”のおおきなひとつでした。
雪から桜をつなぐ、3度にわたる“マリア”のエネルギー伝達について、そのたびいろいろなかたからさまざまなご感想や反応をいただき、とてもありがたく、嬉しく感じました。
わたしとしましても、こんなに大規模な一斉遠隔ヒーリングをするのははじめてで、よい経験になりましたし、個人の意志というよりも天からのオーダーにしたがっておこなったヒーリングでしたが、なによりもわたしのためにもなったもののように感じます。
3度目を終えたあとは、去年の11月から顕れた“流れ”として配置されたものを、すべてつつがなく終えられたことに解放感と安堵の気持ちでいっぱいになりました。
受けとってくださったかたがたに、あらためて感謝を捧げます。
ありがとうございました***
冬と雪の諏訪の八剱神社で仰いだ聖なる太陽と十字の写真とともに。
――この場所は諏訪湖とともに、かなり深い部分でふたつの旅と3(three)アクティベーションをサポートしてくれたひとつであると感じています。
2025/04/19
4月、ドゥルガー
Luna Somniumの4月の女神はドゥルガーです。
Luna Somniumでは毎月、その月にとくに必要なエネルギーを宿す女神を許可を得ておひとりさだめ、その「月の女神」とし、つながりを深め、セッションを受けられるかたに施術いたしますエネルギーにもすべて、対面、遠隔問わずその女神のエネルギーが副次的にふくまれる、ということをしています。
そのためこの4月は女神ドゥルガーとのつながりを深めてきましたし、施術のエネルギーにもこの女神の息吹が副次的にふくまれます。
こちらでもすこし触れたのですが、先月のラクシュミ、今月のサラスヴァティ、来月のドゥルガーという流れに、個人的にとても意味を感じています。
この三女神のならびは、オリオンのみっつの星がひとつのラインにならんでいるように、過去、現在、未来というならびを感じさせます。
現在の自分に浄めや癒しをおくることは、過去の自分に浄めや癒しをおくることであり、そして未来の自分に浄めや癒しをおくることでもあります。
現在の自分がクリアリングされヒーリングされ、クリーニングされてゆく段階で、自分のものだと思ってきた価値観、偏っていた物の見方、固まっていた思考がほどけて、過去に対する見方、感じかたが変化してゆくことがあります。
それは“現在”から“過去”に光をおくるということであり、もう一度「過去を生きなおし、完了させる」ということでもある。
そしてそのようにして過去に対する認識が変わると、“現在”のタイムラインも変化し、選択する未来が変わってきます。それは、クリーニングされてゆくごとに、自分が“選ぶ”ものが変わってくるからです。未来は幾重にも枝分かれしていて、いくつものタイムラインがあります。
わたしたちは生まれたとき、人生の青写真というものを持っています。
だいたいこういう出来事を経験し、こういう学びを経て、このような人と出逢い、こういうことを為す、という地図のようなものです。しかしそれがかならずしも「計画どおり」にいくとはかぎりません。
日ごろどこかに出かけるとき、はじめての場所に足を運ぶとき、地図を見ていても迷ったり、交通機関が予定どおりに進まなかったりすることがありますが、人生にもおなじことがいえます。
自分のなかにある詰まり、滞り、つまりはクリーニングされていないもの、それらのものが自分自身の“地図”を見えなくしている、ということは誰にとってもよくあることです。
“現在”の自分に浄めと癒しをおくることは、同時に過去と未来の自分に光をおくることであり、そのようにしてみっつの星の輝きを回復させてゆくものであるということを、わたしたちは知っている必要があります。
――これは先月の女神サラスヴァティの一斉遠隔ヒーリングのご案内のときにおりてきた言葉で、そのときご案内をおおくりしたかたには繰り返しのメッセージとなりますが、そのときもなぜだかわからないけれど気がつけば綴っていた言葉を大切なものであると感じたため、きっといまそれをあらためて心にとめておくことが大切であるのかもしれないと感じ、ここにシェアいたします。
また私事となりますが、今月に予定していたとても重要な旅、わたしの人生におけるおおきな旅のひとつとなるであろう旅から帰ってきたばかりで、その旅のひとつはやはり、「過去、現在、未来に光をおくり、タイムラインを変化させる」ということが目的でもありました。
そしてラクシュミ、サラスヴァティ、ドゥルガーのこのみっつのならび、今月の女神がドゥルガーであったことを、心から理解することができました。このことはあらためて機会をもうけて綴ろうと思います。
女神ドゥルガーは、わたしたちに“強さ”というものを教えてくれる女神です。
そして自分が自分の人生の王や女王であること、自分には力があることを想いださせてくれる女神です。
ラクシュミの豊かさ、サラスヴァティの循環、ドゥルガーの強さ、そのみっつをみずからの内側にもっていること、それをもっていたことを“想いだす”こと、そしてそれを自身がつくりだしてゆけることを知っていることは、自分自身がどれだけクリーニングされているか、ということとイコールで結ばれています。
ドゥルガーはネガティヴなものへのクリアリングにもサポートをあたえてくれる女神です。
わたしたちが神聖な“境界線”を取り戻すこと。
また先祖や家系が受け継いできたブロック、パターンのなかで自分自身の可能性を妨げているもの、それに到達することを眠らせている領域の目覚めをうながしてくれること。
“呪縛”となっているものを光をあてほどくこと。
そういったものへも深く助力をあたえてくれるのは、この女神が“強さ”――自分自身のパワーを取り戻すことを教えてくれる女神だからなのです。
*以前に母なるマリアの3アクティヴェーションのときにもお知らせしたのですが、今月から対面のセッション形態に変更がありますので、ご注意ください*
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*4月の予定*
4月20日(日)イースター*母なる“マリア”の3(Three)アクティベーション・マザー・メアリー
4月29日(火・夜)* 今月のセッション(対面・遠隔)をお受けくださったかたへ、30分間のドゥルガーの一斉遠隔ヒーリング
*該当されるかたには事前に個別にご連絡差しあげます。
それではどなたさまもひきつづきよき4月をお過ごしください。
いつもあなたがあなたでありますように。
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