2024/06/30
瀬織津姫の一斉遠隔ヒーリングのご報告
今月、Luna somniumのセッションをお受けくださったかたへの瀬織津姫の一斉遠隔ヒーリング、無事に終了しております。
まず、今回はかなりはっきりとしたヴィジョンがあらわれてくれたので、そちらから。
はじめに純白のなかにシルバーの光沢がかかったようなエネルギー、場面があらわれ、その中心に神聖幾何学を思わせるおおきな花の紋が視えました。わたしはその花を桜だと感じましたが、通常桜であれば花びらは5枚のはずですけれども、その花には6枚の花びらがありました。
6枚の花びらをもつ桜はやはりシルバーホワイトの色をして、右まわりにくるくると回転していました。
幾度もそれを繰り返すうち、花のかたちをしていたそれは、円環に変化しました。そのおおきな環は、茅の輪でもあったのだと思います。
茅の輪くぐりでそうするみたいに、無限大(∞)を描くように環のなかを歩くと、無限大(∞)から蝶が生まれ、その翅で宙にむかって羽ばたきました。
わたしはいつも、黒い蝶に瀬織津姫の化身や使い、サインなどを感じるのですが、ヴィジョンにあらわれたそれは白い蝶で、シルバーホワイトが混ざったような神聖な炎のうえを飛んでいました。
火の浄化。
瀬織津姫といえば水の女神として語られることが多いですが、また同時に火をつかさどる側面もあります(女神=女火水)
今月はとくに陽としてのこの女神のエネルギーとつながることの大切さをつたえられていました。それは誰もが自分自身のなかにある陽とつながることとおなじことで、だからこの女神の名を知らずとも、みずからの内側とつながること、むきあうこと(俯瞰すること)、そうしようとする姿勢でそれを為しているのだと。
「自分の太陽を取り戻す」「病んだ太陽を回復させる」というのは、ここ数年、そしてこれからつづく年月のなかで、地球に生きるひとたちのひとつのおおきなテーマでもあるようなのですが、太陽と火はかなり深く、密接なつながりをもちます。
「病んだ太陽」とはそれぞれのなかで、やむをえず歪んでしまった火、制御できずに赤く黒く膨大した火、燻ぶった火、その火をみずからのなかでもてあましているひとを、ときに火傷させる火のことでもあり、その“火”の発生源は過去からくる痛み、悲しみ(すべての怒り、恨み、憎しみは悲しみがふくらんだもの)でもありますが、それとはべつに、ときに“受け継がれたもの”を「自分のもの」であると誤認していることもあります。
――そしてその“痛み”ゆえに痛みに執着し、固執してしまうこと、怖れのおおきさと変化への抵抗は比例するので、そこからエネルギーも滞り、それが疲労、停滞感、無気力、焦燥感、罪悪感、重さ、といった自分が自分にかける呪い(強い言葉ですが、あえて使います。すべての“呪い”はすべてのひとにとって自分自身を発生源としていること。なぜならわたしたちはみなそれぞれ“力”をもっているからです。それが負の力であっても、力はちから。プラスになるものだけが力なのではなく、プラスもマイナスも両極あっての力。そしてわたしたちにもその両極の力が誰のなかにもあり、だからこそ“外”側で起きるあらゆる現象より、“あなた”のほうが強い。それを心から、芯から信じられたとき、“呪い”は解かれていきます。幾重にもかかった、自分が自分に施してきた“呪い”はそれだけ幾重もの解きを必要としているものでしょう。それはわたし自身もまたそうでした。)となり、自分自身のなかで滞ったエネルギーが歪んだ“火”をおおきくさせてゆく、ということがあります。
“太陽”とは西洋占星術でいえば、わたしたちの“表”をあらわす顔です。
それと同時にわたしたちが本来のわたしたち自身を生きているときでなければ(それはわたしたちが“自然”な状態である、ということです)、その“太陽”を体現すること、輝かせることはできない、といわれたりもします。
「自分自身の“太陽”を生きるには、わたしたちが浄められ、癒されている必要がある」
わたしは黒い蝶に瀬織津姫を感じるという話をしました。
それは彼女の陰の女神としての片翅をあらわしてもいるのかもしれない、と今回の白い蝶と火を視ながら感じていました。
白い蝶と火と太陽。
黒い蝶と水と月。
うまくつたえられるかわかりませんが、太陽がもっとも強い力を宿す夏至があったこの月の、大祓の日の浄めとして重要だったのは“火”であったようでした。
このエネルギーヒーリングは、第3チャクラ、無条件の愛、というキイワードにちなんだそれぞれに必要とする部分にも浄めと癒しをもたらした、とあります。
お受けとりくださったかたがたに感謝を。ありがとうございました。
よい7月をお迎えになりますように、そしてあなたがいつもあなたでありますように。
2024/06/21
2024/06/20
海と黄泉、太陽の花
赤いひと粒の宝石のような木苺を摘みとっていただくと、夏がはじまった合図みたいに口のなかでほんのりと甘く酸っぱい香りがひろがった日。
その庭の主が帰りにわけてくださった自家製の梅のジャムをパンにつけて食べればやっぱり夏の味がして、季節が移ろったのを朝ごとに味覚で感じているこのごろ。
「あの木苺でも食べながら待っていて。たくさん実っているから、ぜんぶ摘んでもいいから」という庭の主の言葉に喜んでひと粒いただこうと指を差しのばしたとき、そのまえに彼女と“龍宮”にまつわるお茶を飲み、海の下の世界の話を繰りひろげたことが脳裏に浮かんできた。
彼岸を主題とした神話や物語では、そちらの世界の食べ物を摂り入れると帰れなくなる、などといったりする。
木苺を口のなかに入れるとき、ペルセポネの柘榴のことを思い出しながら、ここが“龍宮”だったら“地上”に帰還できないかもしれないところね、とすこし悪戯めいた気持ちで思った。
そしてそのあと海へと出かけたのだから、たしかにそういう一日だったのかもしれない。
歌を取り戻した人魚のようなひとと。
薄紅色に染まる空のなか、太陽を中心とした大輪の花が出現するみたいに雲が花びらのかたちにひろがって、そのまんなかにあるおひさまを真珠のようだと感じた。
月を真珠のようだと思ったことは幾度もあるけど、太陽にそれを感じたのははじめてだ、という話をし、そんなふうに泡のような会話をかわしているうちに日は沈み、夜の海に浮かんでは消えるマーメイドの鱗みたいな光を眺めていた。頭上を仰ぐと弓のかたちをした月。
それは上弦前夜のこと。
海と黄泉はおなじもので、扱いかたを誤らなければ怖ろしいものではない。それは夜ともおなじ。
でも、それを知るために自分のなかに隠されていた“ストーリー”が立ちあがることがある。
それが“立ちあがる”のにふさわしい時機と断層を、みずからが選びながら。
庭に一歩入ったとき、樹のかげで囀る鳥がより高らかに鳴いて歓迎してくれた。
その下に咲いていた祝福の花。太陽の花。
2024/06/05
6月、瀬織津姫(陽)
Luna Somniumの6月は、瀬織津姫とのつながりを深めます。
今月セッションをお受けくださるかたに施術させていただくエネルギーにはすべて、対面、遠隔問わず瀬織津姫のエネルギーが副次的にふくまれます。
これはさきの話になりますが、今年の12月もまた瀬織津姫が「月の女神」を担ってくださるそうで、この6月は太陽、12月は月の女神としての片面ずつをそれぞれの月の柱としてくださる、ということです。
夏至のある今月は太陽で陽、冬至のある師走は月で陰。陰陽。そしてそのふたつの月は瀬織津姫とも深く関わりをもつ大祓がある月でもあります。
大祓は知らず知らずのうちに犯した罪や穢れを祓い浄めるために執りおこなわれる神事で、自分自身のなかに蓄積された負を流し、災厄を退けるためのものです。
「自分を調える」ことで大難を小難に、小難を無難に、というふうに“災厄”を退けるということはたしかにありますが、わたしたちはほとんどの場合、自分自身のなかにそのような“負”が蓄積されていることを意識することはなく、自分がどのようなエネルギーを放っているか、ということも無自覚であることが多いです。
わたしたちの肉体は、ひとつの神殿です。
お部屋、空間もお掃除をすることによって埃が払われ清められるように、わたしたちの“神殿”のなかも日々のさまざまなこと、他者との関係や置かれた環境、あるいは自分自身の思考や感情が“埃”や穢れとなって、気づかぬうちにそれが溜まり蓄積されることで、みずからを重くしていることがあります。
さかのぼれば遠い過去までつながる記憶の痛みや悲しみが現在の自分の言動に影響をあたえ、選択や視野に制限をもたらしていたり、肉体の不調と関係していたり、たくさんのものを自身のなかに抱え込み、それをどのように紐解き、身動きをとればいいのかわからなくなってしまった、というようなことも。わたしもかつてはそうだったので、その経緯や苦しみといったものは、よく理解できるつもりです。
瀬織津姫は水の女神でもあり、水はわたしたちの命の源であって、そして穢れを祓い、浄めてくれます。
心身の浄めは自分が自分であることの軸のために大切なものであり、自身に必要なものを見極め、そうでないものを愛をもって手放すためにも重要なものです。
「自分を調える」とは「自分をクリアにする」ということ。
みずからの“神殿”に溜まった“埃”――穢れを水で浄めること、そして太陽の光によって燃焼させること。
この6月は、そういった月であるようです。
*
余談ですが、先月の聖母マリアの一斉遠隔ヒーリングのあと、お受け取りくださったかたのなかで「エネルギーを受けとっているあいだ、白い和服姿の女のひとが視えました。キイワードに白百合と書かれてありましたが、白百合がわたしになにかを訴えかけてくれていたのかもしれない」というようなことをおっしゃっていたかたがいらして、とても印象的でした。わたしはそれは瀬織津姫だったのかもしれない、というようなことをおつたえしました。
聖母マリアと瀬織津姫はある“意識”――ひとつの意識というのでしょうか、共通するものがあって、聖母マリアに感じる白百合を、わたしは瀬織津姫のなかにも感じることがあり、瀬織津姫のことを日本のマリア、などと呼ぶかたもいるとのことです。
5月から6月に移り変わるときにおおくりした一斉遠隔のエネルギーは、たしかにわたしにとっても聖母マリアとともに瀬織津姫のエネルギーを同時に感じる時間でした。
それと同時にそのかたがヴィジョンで視られた「白い和服姿の女性」とは、そのかたが巫女の魂をもっていることをそのかたご自身に教えていたのかもしれない、とも感じます。
わたしは巫女の魂をもつかたとご縁があるようで、これもまたいつか機会があれば文章として記してみたいことでもあります。
*
*6月、これからの予定*
6月30日(日・夜)* 今月のセッション(対面・遠隔)をお受けくださったかたへ、30分間の瀬織津姫の一斉遠隔ヒーリング
*該当されるかたには当日、個別にご連絡差しあげます。
それではどなたさまも佳き6月をお過ごしになりますように。
あなたがいつもあなたでありますように。
*LOVE*
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