2024/04/29

豊玉姫の一斉遠隔ヒーリングのご報告





 今月、Luna somniumのセッションをお受けくださったかたへの豊玉姫の一斉遠隔ヒーリング、無事に終了しております。


 *浄化(水の浄め)

 *家族関係の癒し

 *自分のことに集中する。人を「助けてあげる」というふうに思わなくていい。あなたは「助けてあげる」という意識をもたなくても、自然に「助けている」――「助けてあげる」という意識をもつと、必要以上におおくのものを背負ってしまう。あなたが“軽く”あることで、あなたの周囲にも影響をもたらし、「助けてあげたい」と思うひとたちにも、それはよい作用をもたらす。自分がそういう存在であることを自覚すること。

 *“上”でも“下”でもない。

 *クリエイティヴ、創造性、自分の人生を生きる力は、「人とは違う」「自分はみんなと“おなじ”にはなれない」と思っていたところに宿る。自分のクリエイティヴ、創造性、力を受けいれる。受けいれることで、それは顕される。

 *「自分は人とは違う」「みんなと“おなじ”にはなれない」という孤独感、帰属感の癒し。



 というような部分にアプローチがあったようでした。


 今回は海の女神である豊玉姫の水の浄めと、孤独感や帰属感のクリアリングがおこなわれていたのを感じましたが、豊玉姫の神話にも「人とは違う」ことで味わった彼女の孤独という視点で読むこともたしかにできるな、とこのヒーリングを終えてから感じたりしました。


 だからこそ、そのような部分にも癒しをもたらしてくれるのかもしれない、とも。


 豊玉姫に感謝を、そしてお受けとりくださったかたがた、心よりありがとうございました*


 それではよき5月を!


 あなたがいつもあなたでありますように。



 

2024/04/27

Angel Roseのお手紙②








 カフェノルンさんの「Angel Rose」展に寄せて綴った、天使や薔薇にちなむお手紙を「Angel Roseのお手紙」と呼ぶことにしました。


 そのなかから1通、自分用に引いてみると、わたしにあらわれてくれた天使はArchangel Sandalphonでした。


 せっかくなので、そこからの引用として。





 自分のなかにどのような“音”が流れているか、ということに思いを馳せたことはありますか。


 わたしたちはみな、自身の奏でる“音”と共鳴しあうものを引き寄せたり、惹きつけられたりしているのではないか、と考えることはありませんか。


 そのとき抱いた感情、浮かんだ言葉、何気ない表情、そういうものが混ざりあって、みずからのなかに生まれる“音”が、場所や物、環境、他者のなかの“音”と重なったとき、自分だけでは届かなかった音域を知ったり、ふくらむ音色を感じたりする。


 たとえ耳には聴こえなくても。


 けれどもその「重なり」が、美しく平和なものばかりであるとはかぎらない。


 調和には調和が、その反対のものにはその反対のものが反響する。



 Archangel Sandalphonは音楽とかかわりの深い天使です。


 “音”はわたしたちが聴きとれていないだけで、あらゆるもののなかに宿っている。自分自身のなかにも。


 好ましいと思うもの、心地よいと感じる関係には、自身と対象のあいだにやさしい旋律が流れています。


 Sandalphonのことづてを受けとられたあなたの“音”は、あなたのまわりに癒しを運ぶ調べ。


 だからこそ心を澄まし、自分と調和する音をあなたのなかに招いてください。





 思えば“音”については去年、おととしくらいから幾度も人を変えて形を変えてつたえられているものがあるようで、自分でつくったこのような“ことづて”でもやはり似たようなことをいわれるのだな、と興味深かったです。


 お手紙は封筒に閉じてあるので、yukaneさんのカードも見ていただきたいと思い、こちらはサンプルとしてノルンさんに置いていただいています。





 ノルンさんの展示は29日の祝日月曜日からです。


 カードに使わせていただいた絵もふくめて数点、わたしも大好きなyukaneさんの作品も展示されています。そしてご一緒させていただく素敵な作家さんたちの作品をあらためて拝見できることを楽しみに。


 ご都合あいましたら*




 *カフェノルン*

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2024/04/22

Angel Roseのお手紙









 Angel Roseのお手紙。


 こちらでもお報せいたしましたが、今月29日からはじまるカフェノルンさんでの「Angel Rose」展で、天使や薔薇にちなんだお手紙をしたためます。


 このことづてを受けとられるかたそれぞれに宛てて、すべて異なる内容の言の葉をyukaneさんの繊細で優美な2枚の絵が添えられたカードに綴り、薔薇のリボンで封をしました。


 どのような言葉が届くか、楽しんでいただければ幸いです。







 *カフェノルン*

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2024/04/14

「Angel Rose」展 at カフェノルン








 一橋学園駅にあるカフェノルンさんで、4月29日(月・祝)からはじまる展示、「Angel Rose」展に参加いたします。


 今回、この展示のメインビジュアルとしてDMを担当されました画家のyukaneさんの絵が添えられたカードに、わたしが天使や薔薇にちなんだ言葉を記し、お手紙としてしたためます。


 メッセージはすべて異なる内容で、受けとってくださるかたのために綴りましたので、おみくじ的なものとして遊び心とともに楽しんでいただけたら嬉しいです。


 詳細はまたお日にち近づきましたら、あらためて。



 *Angel Rose*

 4月29日(月)‐5月3日(金)
 13時OPENー18時CLOSE

 西武多摩湖線「一橋学園駅」より徒歩2分

 (会期後に通販もございます。お手紙は数量限定となりますので通販に残せるかはわかりませんが、ご一緒させていただく作家さんたちの素敵な作品がたくさんありますので、遠方のかた、展示にご興味はあるもののお越しになれないかたは会期後、通販も覗いてみてください*)





 *カフェノルン*

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2024/04/10

アンク









 いただいたお手紙の便箋の片隅に描かれていたアンク。


 アンクは死のあとの再生を暗示する、エジプトの護りのしるし。


 それを持つ者は、現世と来世の境界を無事に超えることができるとつたわる、通行手形のようなもの。


 エジプトの神々の壁画に、このアンクを手にしている姿がよく描かれている。


 死と再生の象徴を、現世の命のおわり、来世の命のはじまりで示して、無事に“復活”できるようにという祈りをあらわしてもいる。


 でも、“死”は現実的な命のおわりだけを示すのではなく、わたしたちは生涯のあいだに幾度も死んで生まれ変わっている。わたしたちは一生のうちに何度も復活し、再生している。


 アンクは「生命」を意味し、死と再生の通過儀礼がつつがなく果たされるように、というシンボルのなかには、そのひとがそのひとの「生命」を生きることができるように、という護りが宿されている。






2024/04/01

4月、豊玉姫









 Luna Somniumの4月は、豊玉姫とのつながりを深めます。


 今月セッションをお受けくださるかたに施術させていただくエネルギーにはすべて、対面、遠隔問わず豊玉姫のエネルギーが副次的にふくまれます。


 豊玉姫は海神の娘で、その名にある「玉」は魂のことを意味し、豊かな魂の姫、霊力の豊かな持ち主、つまりは巫女であることを示しています。また、「豊か」とは美しさのこと、「玉」とは真珠のことであり、真珠のごとき美しい姫、と暗示されているともいわれています。わたしもいつからか、真珠を目にすると海の女神である豊玉姫を思うようになりました。


 この女神は地上から海に渡ってきた男神と恋をし、結ばれたのち、やがて故郷に戻った伴侶を追ってみずからも地上で暮らすことになり子を身籠りますが、出産にさいして夫に、「他界の者は子を生むとき、自分が生まれた世界の姿に戻るため、そのわたしを見ないでほしい」と頼みました。海の神の娘である彼女は、自身が愛する伴侶に自分の“ほんとう”の姿を見られたくなかった。


 夫は彼女の頼みを聞き、「見ない」と約束したものの、「見るな」と禁じられたその言葉が引き金となって誘導を生み、誓いを破ることになる、という流れと展開は、古今東西の枚挙にいとまがないように、豊玉姫の伴侶もまた、「見ない」という約束を反故にして、「子を生むときに本来の姿に戻る」という彼女の、“真実の姿”を密かに覗き見てしまいます。


 豊玉姫の“真実の姿”は、八尋和邇(ヤヒロワニ)という深海の生き物であったといわれており、その姿を夫に見られたことを知った彼女はそれを恥じ、伴侶と生まれたばかりの子を残して海へと還っていったということです。


 みずからの「醜」を見られたために(あるいはそれを見られないようにと望むがために)、愛するひとのもとから永遠に去ってゆく女、というイメージは伊邪那岐命(イザナギノミコト)と伊邪那美命(イザナミノミコト)の黄泉比良坂からはじまって、美と醜が象徴的に語られた磐長姫(イワナガヒメ)と木花之佐久夜毘売(コノハナノサクヤヒメ)の姉妹譚も、そしてその木花之佐久夜毘売の息子を伴侶とした豊玉姫の神話も、結局はおなじこと、共通のひとつのこと、「“醜”を見られたがために去っていった女」がテーマになっているように感じます。


 そののち日本の物語や民話のなか、竹取物語や夕鶴や雪女のなかにもおなじテーマは繰り返し紡がれ、王朝文学においても引き継がれて、この国の「物語」をものがたるとき、それは呼吸のように息づいている系譜ともいえることを、わたしは昔から思ったりします。そしてだからそれは、この国の女性のなかに宿るひとつの主題であるともいえるのかもしれないと。


 浦島太郎という昔話で描かれる竜宮城の乙姫は、この豊玉姫がモデルであるといわれたりします。もともと乙姫は浦島太郎が助けた亀が化身した姿で、乙姫の“真実の姿”は亀であった、という話もあり、これも“異類”である女の悲恋物語としての側面を秘めているといえるのかもしれません。


 “異類”とは、わたしたちが自分のなかにあると思っている“醜”のことでもあるのだと思います。


 絶対に知られたくない、そういうものが自身のなかにあることを愛するひとに知られた(見られた)とき、拒絶の力によって去っていった彼女たち自身のなかにこそ、みずからの“醜さ”がゆるせないという気持ちがあった。


 しかし誰もがもつ“醜”のなかにこそ、“美”に反転されるものが秘められ、隠されているのだと、豊玉姫はつたえてきます。


 自身のなかにあるその“醜”を、みずからがゆるせていないとき、わたしたちの対人関係、とりわけもっとも重要な関係にも影を落とすことがあるのだと。


 自分が自分をゆるせず、内部にあるものを拒絶しているとき、自分を取りまく関係もその“拒絶”の反転があらわれることがある、と。


 わたしたちは親密な相手には「自分のすべてを受けいれてほしい」という願望をもっています。


 そして最初からそれが不可能であるという諦めを無意識にでももっているとき、“拒絶”によって親密な関係そのものを自身の人生に招き寄せないようにしている、ということは多いです。自分ではそうとは知らずに、それをしているのです。


 けれどもその“醜”は、誰かによって“受けいれられた”からといって溶けるものではなく、自分が自分と和解することによってのみ昇華させることのできるものです。


 そしてそのとき、わたしたちが“醜”と闇だと思ってきたものは“美”と光の一部であったことを知ります。


 影のない者は太陽の下にはいない。生きているからこそ影はかたちをつくる。


 だからこそ「美しい真珠の姫」である豊玉姫は、わたしたちがわたしたち自身の“醜”であると思うものに光をあててくれます。癒し、とはそれまで見えなかった部分に光をあてることでもあります。


 彼女が縁結びの女神であるのも、わたしたちがわたしたち自身と“和解”することで、自身の“外”との関係も良好に、円満につながってゆくものだから。


 豊玉姫はわたしたちがわたしたち自身であるほどに、豊かさや美しさとのつながりを深めてゆくことを教えてくれ、そのための自信、勇気、そして“巫女”としての力――わたしたちがよりわたしたち自身と“つながる”力をあたえてくれる女神です。





 余談ですが、わたしは豊玉姫の像として人魚の絵を飾っています。


 豊玉姫と人魚を結びつけて考えるひとはわたしだけではないようで、よく人魚の姿で描かれる豊玉姫を見ることがあります。


 アンデルセンの『人魚姫』では、自分の“真実”の姿を隠して人間となり、愛するひとに“受けいれられる”ことがなければ泡となって消えてしまう人魚の物語が綴られていますが、ここでも深海の王の姫である人魚姫は自身を“醜い”と思い、地上の人間の王子の“美しさ”に恋をして、人間になりたい(美しくなりたい)と望むのでした。自分自身を“拒絶”している彼女の物語は、王子との恋、という部分だけにフォーカスすれば悲恋に終わります。


 しかしこの物語は「自分は醜い」と思っていた人魚の姫が、みずからの醜と美を統合してゆく話でもあったのだと思います。


 拒絶から受容に、そして昇華されてゆくお話だったのだと。









 *4月、これからの予定*    


  4月29日(月・夜)* 今月のセッション(対面・遠隔)をお受けくださったかたへ、30分間の豊玉姫の一斉遠隔ヒーリング

 *該当されるかたには当日、個別にご連絡差しあげます。





 それではどなたさまも佳き4月をお過ごしになりますように。


 あなたがいつもあなたでありますように。




 *LOVE*