2022/06/08

矢車菊


 この春、矢車菊の青い花を幾度手わたされ、幾度見かけただろう。

 今年になってから、矢車菊に女神イシスの気配を感じるようになった。あくまで自分のなかだけで感じることでもあるから、それを誰かにつたえるために言葉というかたちあるものにはしてこなかったけれど、なぜそう感じるのかという理由のひとつに若きツタンカーメン王の妃、アンケセナーメンが関係しているようだと、わたし自身のなかで点と点が結びつくようなひらめきがあった。

 あるときクレオパトラ、古代エジプトと終焉をともにしたクレオパトラ7世のことがわたしの意識に入ってきて、この美の化身として語り継がれる女王のことは自分でも不思議なくらいにこれまでまったく興味をもったことはなく、エジプトとその王朝に心惹かれた子供時代からむしろ、その名を避けてきたところがあった。

 エジプトといえばクレオパトラというような発想を、あまりよしとしていなかったのかもしれない。我ながらあまのじゃくなところがなきにしもあらずな性分だとは思うから(そのわりにはツタンカーメンという名にはなんらかの反応を自身のなかに感じたりもして、かの王も“エジプト”というキイワードから思い浮かべやすい名ではあるから、矛盾しているといえば矛盾してはいる。まあ、その矛盾自体はあまり深追いするものでもない)。

 そのためクレオパトラ7世のことが意識に入ってきたとき、いささか驚きを覚えた。

 『クレオパトラは女神イシスの後継者、イシスの魔術的な力の後継者としての教育を受けた女王であり、真の王や女王はみずからの国を統べる者でありながら同時に最高位の神官としての力をもつため、クレオパトラはイシスの女神官でもあった』

 そのときわたしのなかで「ではアンケセナーメンは?」という問いが浮かんだ。なぜその瞬間、それが浮かんだのかはわからない。

 なぜだか幼いころからアンケセナーメンには特別な思い入れが自分のなかにあるようにも感じるし、だからそれがとっさに出たのだろうと思う。

 『アンケセナーメンもハトシュプストも、すべての王の娘(姉であり妹)たちはイシスの後継者であるといえる』

 ツタンカーメンが死を迎えたとき、王妃アンケセナーメンがその棺に矢車菊の花束を捧げたという伝説がある。それはあくまで伝説の領域にとどまるひとつの逸話ではあるけれど、それを思い浮かべるとき、若き王の棺に矢車菊を捧げたアンケセナーメンに、オシリスと分かたれたときおなじようにその花を捧げたイシスが感じられるように思った。

 イシスのエネルギーは青い色をしていて、それはあの花とおなじ色。もっといえば、アンケセナーメンが“イシスの後継者”ならば、オシリスを失ったイシスの姿に自分自身を重ねて、そののちの長い旅路のあとに伴侶を“復活”させた女神の姿に自身の愛を重ねるように、その棺に女神の青を捧げたのかもしれない。そのアンケセナーメンの気高さが、感じられるような気がした。

 子供時代からかの王妃に思い入れがあったのは、その気高さをどこかで感じたがゆえ、あくまでも「わたしから感じられる視点」としての話ではあるけれど、それゆえだったのかもしれないと思ったりして。

 この春、何度あの花をこの目に映し指先で触れただろう。

 いくつか巡った古墳のそばにはいつも矢車菊が咲いていた。いにしえからの空気を色濃く残した場所に咲いている青い花を眺めながら、古い記憶とつながっている花であることを強く感じた。エジプトに咲いていた、あの花とこの花は結びついている。

 そして矢車菊を目に映し指先で触れるたび、わたしの古い記憶にも働きかけてくれているような、そんな気がした。