満月の日、その“時”が満ちるまえに湯津爪櫛をいただいてきた。今年のはじめからずっと示されていた土地で、櫛稲田姫命の櫛を。
“櫛”をキイワードに年明けから暗示されていた場所はふたつあり、ひとつは櫛稲田姫、ひとつは大物主にまつわる場所だった。
櫛稲田姫と須佐之男命。大物主と百襲姫。たぶんどちらもおなじ意味をわたしに示唆し、それはとても重要なことで、どちらの櫛がわたしの“櫛”なのかずっと迷っていた。どちらもおなじ意味をもつのだから、どちらを選んでもおなじ。でもそれは、おなじでありながらおなじではないこと。
そして今月に入りわたしのなかで収束してゆくものとともに内側からの声が、櫛稲田姫の“櫛”のほうだといった。
それにしたがうことにした。
その土地には奇遇にも(そしてそれはおそらく偶然ではなく)、弟橘媛にまつわる伝承をもつ場所もあり、お寄りすることができた。「海神の怒りを鎮めるために海に身を捧げ、そのとき海辺に流れついた櫛をおさめた」という弟橘媛という名にかならず添えられるあの神話が綴られてあるのを読みながら、「“櫛”」とわたしの心に感じるものがあり、やはりこれでよかったのだと思った。
櫛稲田姫の櫛、弟橘媛の櫛。
奇魂と書いて「“くし”みたま」
クシナダヒメは奇稲田姫と記されることもある。
自分の文を読みなおしながらふと、「奇遇」という言葉にも“奇”の字が入っているのだと感じたりする。