2025/08/31

silence voice - 声の試み







 〈silence voice - 声の試み〉――silent music


 それぞれの内から溢れ、放たれ、流れてゆく声。


 そこから立ちあがる感覚的なものをつたえるとき、「空間を浮遊しているようだった」と言葉にしようとして、口に出す直前、とっさに「空間を」という部分を削っていた。


 目を閉じて音に漂うとき、“空間”という枠組みからも離れ、肉体から抜けだして遊ぶ魂の道すじが、歌となって高く昇ってゆくようだったから。


 声を解き放つことは、我と枠組みから解放されることでもある。


 だからそのとき、わたしたちは制限をこえて、“浮遊”している。








2025/08/09

プロテクトのお知らせ







 お知らせがいろいろとどこおっているのですが、暑いなかセッションにお運びくださったかたになにかお返しができたら…という思いから、7月から今月いっぱいにかけて、セッション後にそのかた自身へのプロテクト、それからご自宅へのプロテクト、ということをしています。


 (ご自宅へのプロテクトは、外観やお部屋の写真、あるいはご住所が必要です)


 プロテクトは“護り”ですが、その効力を持続させるにはその“なか”にあるもの(そのひと自身、空間)が「どのようなエネルギーをもっているか」に左右されます。


 そのため、プロテクトの効力、持続力はそれぞれの個人、空間によって差があります。


 7月はクライアントさんへのプロテクトをセッション直後に、ご自宅へのプロテクトをセッションから1週間毎日施していましたが、8月は状況を鑑みてクライアントさんへのプロテクトも1週間施すようにしています。


 プロテクトの効力や持続力には個人、空間によって差があると記しましたが、効力、持続力を長く保てる状態である場合(エネルギーがある程度調っている場合)は何重にもかけることでより強力になります。


 オーラ体と呼ばれるものの“外”との境目が弱く、自分以外のものとエネルギーとつながりやすかったり、エンパス的な性質のためにやはり“外”のエネルギーをキャッチしやすいかたが、セッションをお受けになられるかたの特徴として多くあげられること、わたし自身もそのことにとても深く悩んできた過去があるために、8月いうとくに境界が曖昧になりやすいこの時期にこれをすると決めました。


 なお、「暑いなかセッションにお運びくださったかたに」とありますが、対面、遠隔セッションともにこのサービスは今月いっぱいまで提供しております。


 ほんとうは常時のサービスにとも思ったのですが、タスクが増えることで、それは「違う」、「サービスとしてするなら、期間限定だからできるものだ」と自分から警告がきたので、もしご好評でしたらまた折をみて*





2025/08/04

リフレイン





 「龍宮」「海」「人魚」「黄泉」は、繰り返し還ってくるテーマ。


 寄せて返す波のように。





2025/08/01

8月、アテナ







 Luna Somniumの8月の女神はアテナです。


 Luna Somniumでは毎月、その月にとくに必要なエネルギーを宿す女神を許可を得ておひとりさだめ、その「月の女神」とし、つながりを深め、セッションを受けられるかたに施術いたしますエネルギーにもすべて、対面、遠隔問わずその女神のエネルギーが副次的にふくまれる、ということをしています。


 この8月はアテナとのつながりを深め、施術にもこの女神のエネルギーが副次的にふくまれます。


 以前にもこの女神に「月の女神」を担っていただいたことがあり、アテナはギリシアの最高神ゼウスの娘であって父神の頭のなかから生まれた女神であると神話は語りますが、それは彼女を知るうえで非常に重要な教えであると感じています。


 おなじくギリシア神話になかに登場する、メドゥーサという名をご存じのかたもいらっしゃるかもしれません。


 メドゥーサは美しい娘でしたが、アテナの怒りを買ったことで醜い異形に変えられ、その姿を目にした者は恐怖から硬直し、石になってしまうといいつたえられました。


 このメドゥーサが、女神アテナの陰、闇、彼女が「見たくなかった自分」をあらわしているのだということを、今年になってわたしは理解するようになりました。


 アテナは「見たくなかった自分」を罰し、醜く貶め排斥し、苦しめて、「それは“わたし”ではない」と「なかったこと」にした。


 そのようにしてみずからの“内側”から拒絶されることで“外側”にかたちをあたえられたのがメドゥーサという異形である、ということなのだと。


 それではアテナが「なかったことにした“わたし”」は、どのような顔をもっていたのでしょうか。


 父神の頭から生まれた彼女は、誕生時、すでに父の頭のなかで成長していて兜をかぶりマントをはおった武装した姿であらわれた、と神話にはあります。


 父親という“男”の“頭”から“武装”して生まれた、というエピソードのとおり、アテナは理性的で知性的で男性的で戦士で、そして“女性”である、という女神です。


 女性でありながら彼女は女性的な自分の側面を意図的に切り離し、当然の帰結として処女神でもあります。


 自身の頭のなか、マインドを乱すものを自分から隔てることが“神聖さ”であると判断し、女性的なもの、セクシャルや喜びや柔らかさを近づけないことで禁欲的に自分を守っている(鎧をまとっている)。


 彼女がメドゥーサにはげしく怒りをむけたのは、メドゥーサがアテナの「見たくない自分」――自身のなかから拒絶して追いだし、分離させた女性的なものを否応なく突きつけた存在だったからです。


 男性のようにふるまってはいても、あくまで「自分は女である」ということを知らしめたメドゥーサをゆるせず、アテナは醜悪な異形に変えた。


 これはアテナの女性性、女性的な側面の癒されていなかった闇をあらわしてもいました。


 つねに理性的であること、頭のなかに知恵はあり、乱れないマインドのなかにこそ“正しさ”がある。しかしそれは、“ハート”を拒絶し、閉じたありかたでもあったのです。


 知識が知恵に、そして叡智にまで高まるには、マインドとハートが統合されている必要があります。


 異形に変えられたメドゥーサの目は、彼女と目があった者を石にしてしまう力がありました。


 ここでの“石”は固められたマインドを、だから眠らされ封印された女性性(ハート)を示唆しています。


 メドゥーサの邪眼のみなもとにあるのは悲しみや怒りといった怨嗟の嘆きですが、それはそのままアテナが「なかったことにした」女性としての自分が発していた“真実の声”でした。


 アテナの知が叡智に昇華されるために、つまりは“女神”になるために、彼女は自身の拒絶してきた自分、“真実の声”に耳を澄ませ、心を傾けなくてはいけなかった。


 メドゥーサが生んだ純白のペガサスは、荒々しくも神聖な男性性の象徴。


 そしてメドゥーサの血から生まれた珊瑚は海という女性的なもののあらわれ(“血”というのは月経という女性的なものも連想させます)。


 その血には死者を蘇生させる力が宿り、それは「固まっていたもの」を“復活”させること、“石”として「封じられたもの」の呪いを解くことを暗示して、メドゥーサにまつわる一連の神話は、アテナがみずからにかけていた「女性であること」の“呪い”とその“解除”が記されていたのです。


 そしてメドゥーサはアテナの“盾”になりました。文字どおり彼女の“守護”として。それは聖なるものをみずからのなかに目覚めさせたアテナ自身であったということ。


 「自分が“拒絶していた”自分を“受けいれられた”とき、自分によって自分が“守られる”」


 アテナのように男性性だけで生きようとする女性は現代においてとても多く、それはわたしたちが暮らす社会の仕組みにあわせてそのようにせざるをえなかった、子供時代からそのように教育されてきた、という根の深いものでもあります。


 それは女性だけでなく、男性にとってもおなじことがいえるのではないでしょうか。男性性だけで生きていこうとすると、わたしたちは枯渇してしまいます。


 だからこそアテナは左脳優位のマインドというものを浄め、癒してくれる女神でもあります。




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 冬の寒い時期は肉体が固まりやすいですが、夏の暑い時期は頭のなかが固まりやすく、オーバーヒートやフリーズを起こしやすいと感じています。


 8月の女神は去年おととしと2年つづけて観音だったのですが、それはとくにこの国において8月は、暑さをとおして自分のなかに閉じこめてきた、抑えてきたものが表出しやすい、良くも悪くも“封印”してきたものが解けやすい時期であり、だから“なかったこと”にしてきたものが炙りだしやすい時期であって、「なかったこと」にしてきたことと、それが「ない」というのはイコールではないので、停滞や不足の根源となるネガティヴティとつながりやすく、疲れや怠さによってそれが表出しやすい時期であったからのようでした。


 今年の8月がアテナであるのも、もとを辿ればおなじ理由にゆきつくものですが、いま地球が加速しながら“上昇”しているこのタイミングのなかで、個人においても全体においても“低いもの”が炙りだされやすいです。


 それは「なかったこと」にしてきたこと、怖れや不安に紐づくものを表出させることによって、“軽く”するという働きのために。


 それぞれが自分自身の頭のなか、思考をクリアにすることが今後ますます重要になり、大切になるのではないかと思います。




 松岡美術館の大理石でできたミネルヴァ像。


 ローマにおけるミネルヴァは、ギリシアのアテナと同一神とされています。


 人々を恐怖によって黒い石にしてしまうのがメドゥーサであるなら、白い石からなるミネルヴァ(アテナ)像には個人的に感じるものがあります。


 アリス・パイク・バーニー『メドゥーサ』




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 *8月の予定*    


 8月31日(日・夜)* 今月のセッション(対面・遠隔)をお受けくださったかたへ、30分間のアテナの一斉遠隔ヒーリング


  *該当されるかたには事前に個別にご連絡差しあげます。





 それではどなたさまもよき8月をお過ごしください。

 いつもあなたがあなたでありますように。