2023/12/31
女神の石
本年もありがとうございました*
ご縁をいただくかたは素敵なかたばかり。
“あなたがあなたである”祝福にいつもあなたが、そしてわたし自身がありますよう祈っています。
一年の最後の日にやってきてくれた女神の石が、とても高いenergyを放っていたので、大晦日のご挨拶をともに。
瀬織津姫の一斉遠隔ヒーリングのご報告
今月ご縁をいただきましたかたへの瀬織津姫の一斉遠隔ヒーリングを無事に終了しております。
わたしたちの多くが“条件づけられた”習性のなかに、「“喜び”を“受けとること”を怖れる」ということがあるようです。
「自分のことはあとに置いておく。まずあのひとにとってよさそうなもの、ほかのひとにとって必要なものを」――それが素晴らしいことで、それが愛なのだ、と。それが愛なのだと“条件づけられてきた”、思いこまされてきたことで、そのように錯覚してきたこと。
そして自身をあとに置いてきたゆえに、「自分がなにを感じているのか」ということがわからなくなることがある。自分が嫌なことにはNOと表明しなさい、といわれても、自身が「“NO”だと思っている」ことすらわからないことが。
そのようなプログラムを自分のなかに発見するとき、わたしたちは、わたしたちの母や祖母、女親族のなかにもおなじものの片鱗を見ることがある。こういったことは現在にいたるまで、女性性のおおきな負の遺産として持ちこされているものである、といえるのだそうです。
受容、セクシャリティ。
そこに滋養をあたえていない状態であるとき、その傷が深いとき、わたしたちは幻想や錯覚のことを愛と呼んだり、支配やコントロールのことを愛と呼んだり、条件を愛と呼んだりしてしまうのだそうです。そしてそれは誰もがいつか通ってきた道であり、段階なのだと。
その傷ゆえに“操作”のことを愛と呼ぶことがある。わたしたちはその操作のエネルギーを自分の母親や祖母のなかに見ることがある。自分自身のなかにさえ、それを見ることもある。
「自分のことはあとまわし、ほかのひとたちを優先してください、わたしは大丈夫です」
その結果、不満や自己犠牲の蓄積されたものが“操作”になってゆくのを。
なにを感じているか、どのように思っているか。自分自身の内側を見つめる。自分に佳いものを、喜びをあたえてあげる。それをゆるしてゆくこと。それをおざなりにしているとき、わたしたちは物事を“操作”しようとしてしまう、自分ではそうと気づかなくても無自覚でしてしまうようになっているからこそ。
このたびのヒーリングはとくに女性性、受容というキイワードが強くあらわれていました。おなじようなメッセージを一部、いつかどなたかのリーディングでもおつたえしたような気がします。
2023年が終わるとき、またあらためてこのようなメッセージがおりてくるのも、意味のあることだと思います。
それは重要なことなのだと、再度あらためて意識してほしい、ということなのだと。
*
「すべてはうまくいっています。
すでに不要になっているプログラム、システム、データに惑わされないよう、足を引っ張られないように。
わたしたちの肉体や脳には過去のそれらが内蔵され、繰り返される事柄や停滞の引っかかりはそれと関係をもちます。それをみずからの意識に浮上させ気づくことは、クリアリングの第1事項です。そしてそれを自身の狭い視野に限定される主観ではなく、俯瞰まで昇らせて見てみるように。わたしにはこういうところがあるな、と深刻にならず、軽い気持ちで包んであげればいいのです。
自分自身に深刻になるとき、それは自責へとみずからの意識へと引っ張るように、そういうふうにできています。深刻と真剣は異なるものなのです。深刻になるほどに、自分にとって不要になっているプログラム、システム、データは発動するようにできています。
自分自身を背後から見つめるように、それらを距離を置いて見ること、それができないときはそこから意識を逸らすこと。
このエネルギーヒーリングは、それらのプログラム、システム、データに働きかけました。」
2023/12/20
「星降る夜に」後記
12月7日から10日まで、一橋学園駅にあるカフェノルンさんでの展示、「星降る夜に」展に参加していました。
すでに展示、そのあと1週間設けていただいた通販期間も終了しておりますが、この展示にさいして『天の花 地の星』という一冊の本を編みました。
わたしにたくさんの“贈り物”をあたえてくれた展示であり、言葉をかたちにする機会をあたえてくださったノルンさんと、この私家本に美しく緻密な挿絵を寄せてくださったharumieさん、近くから遠くからお心寄せてくださったかたがたに感謝しています。
『天の花 地の星』は、誰もが自分自身の内側とつながることで開く花と戴く星がある、という祈りを、“ふたりのマリア”の面影に重ねて綴ったものです。
表紙には星を、裏表紙には薔薇と百合をそれぞれ箔押ししていただき、あえて日本語で題名を入れず、ラテン語で「flores caeli,stellae terrestres」――天の花 地の星と刻印いたしました。そして秘められたちいさな「M」
いま思うことは、わたしは自分自身の“お守り”として、あの一冊をなによりもまずみずからに捧げるために書きたかったのかもしれない、ということ。
本のサイズは経典を意識したのですが、それはそこに綴る言葉が“祈り”のためのものであったからでした。
今回の“言葉”をあらわすために経験しなければならなかった一連の出来事があり、多くの“贈り物”をあたえてくれたこの展示は、ある意味ではわたしにとってわかりやすくひとつの試練の象徴でもありました。
展示にいらしてくださった友人にその話をしながら、しかしこの本を書くために起きたそれらの出来事、それにまつわるあらゆる蛇の足を自分は体験しなければいけなかったのだ、と気づきました。そうでないと“言葉”は宙に浮き、地に根づかない。
天の花、地の星。
それを理解したとき、「そうだったのね」と自分自身に対して深く感じられ、これも他者に“語りかける”ということをとおして得られた気づきであり、とてもありがたいことでした。
わたしは人に“語りかける”ことで、自分でも知らなかったことを知ることがよくあるのですが(反対に相手の話を“聞く”ことで相手が意識していなかったことを引きだすこと、それによって相手自身の“答えあわせ”となることもおなじくらいにあり、そちらの能力は基本的に境界線を設けてお仕事――Luna somniumのsession内、遠隔の場合はmessageのなかで完結、発揮させるようにしています。そうでなければ自分と相手の“神聖な距離”を崩してしまう、ということが過去に多々あり、それは結局どちらのためにもならない方向にスパイラルして望んでいなかった終わりを迎える、これもまた過去の“経験”によって知っているからです。)
“対話”が生まれるとき、相手を成熟した“聞き手”だと信頼しているからこそ、自身の奥深くに隠れていた言葉があらわれてくる、ということ。“言葉”は信頼があってあらわれるものである、ということ。
それをあらためて教えてくれたように感じ、わたしもみずからの純度をあげてゆきたいと心から感じたものでした。
このことにかぎらず、この展示をとおして「信頼できる“聞き手“」であってくれたかたがたへの感謝を深くすることもあり、『星降る夜に』のことを想いだすとき、そのあたたかさとぬくもりを同時に想起するのだと思います。
最後は展示と関係のない話になってしまいましたが、わたしにとってとても意味深く、より深く“感謝”につながることを教えてくれた展示でもありました。
昨日くらいから通販のほうでお求めいただいたかたからも「届いたよ」のお声をつづけていただき、とても嬉しいです。
本を手にとってくださったかたのお心に、すこしでも触れる“言葉”があれば幸いに思います。
ありがとうございました。
2023/12/19
12月、瀬織津姫
Luna Somniumの12月は、瀬織津姫とのつながりを深めてきました。
今月セッションをお受けくださったかたに施術させていただきますエネルギーにはすべて、対面、遠隔問わず瀬織津姫のエネルギーが副次的にふくまれています。
もっとはやくこの女神のことを言葉にして綴りたかったのですが、今年最後のこの月を迎えると光の速さで時間は過ぎ去ってゆき、言葉に対しても注意力が散漫になることがあって留意が必要であることを感じていました(意識が散漫になりやすい空気は先月からあったので、それ自体はここのところずっと注意が必要な流れを感じていたのですが)
そのため瀬織津姫についてようやく綴りはじめたとき、今年も残すところあとわずか、といった日数になっていましたが、こうして心落ち着ける時間のなかでわたしはかの女神のことを言葉にしたかったのでしょう。
今月の女神が瀬織津姫になることは、先月が天宇受売命になることに定まったときから決まっていました。そしてそのように決まったとき、それは当然で自然な流れであるとも感じました。
12月は1年の最後の月であり、冬至があり大晦日があります。
冬至は1年でもっとも昼が短い日(だからもっとも夜が長い日)。1年のなかで陰がもっとも深い日で、そのあとにつづく大晦日は古来、追儺――災いをもたらす疫をあたらしい年に持ちこさないように大祓いをする日でもあります。
疫とは「疫病」の“疫”でもありますが、それが「伝染する流行り病」のことであることを思えば、人々の集合意識のなかにある「怖れ」のことを示してもいるのだと思います。不安や恐怖は“伝染”する。
冬至のとき柚子湯に入るという昔からの習わしは、陰がもっとも極まる日の禊としておこなわれてきたものでした。
湯(水)で自分自身を清潔にし、柚子によってみずからの周りに結界をつくる(“浄め”をアンカーさせる)。
この“結界”は自分の“外”に対しても“内”に対しても、ということです。
節分で“鬼”を“外”へと追い出すための豆まきがありますが、旧暦では節分が現在の「大晦日」にあたるため、あれもやはり追儺の習わしなのです。
冬至から節分までのこの流れは、自分を浄めて軸を中心に戻すということをわたしたちにつたえてきますし、それがずれているなら「ずれている」ということを教えてくれる出来事や現象も生じやすいときであると思います。
とくに今年はその陰の深まりを感じる今月でもあったので、混乱や焦り、不安など覚えやすいときであるかもしれません。体調不良がデトックスとして生じているのだろう、と感じるケースも多々見受けられます。物事の渦中にいるときは、「混乱している」ということもわからないまま、目のまえのことに手いっぱいで、自分が疲れている、ということに目をむける余白もない、ということがあるかもしれません。
動きまわっているときは疲れを感じないけれど、ふと立ちどまると疲労がおおきかったことがわかる。だからずっと動きまわっていたほうがいい、などというひとがいます。
それはそれだけみずからの心身に無理をさせている、負荷をかけている、ということを、自分では気づいていないだけなので、そのように「なかったこと」にしてきたことを、あとから清算する必要が生じてきます。それが文字どおりお金で解決できる「清算」ならまだよいのかもしれない。
肉体も心も機械ではなく、わたしたちの“器”であるということ。
コップに飲み物を注ごうとしても、そのコップが割れてしまったら、もうそこに飲み物を注ぐことはできない。
「自分のコップのなかにどれだけ飲み物が注がれるか」ということにわたしたちは注視しがちですが、コップが割れてしまったらその飲み物を味わうこともできない、ということは忘れてしまうことがあります。
割れたコップをたとえば金継ぎなどで修正するのも大変なことですし、完全に元通りにすることはむつかしいことです。
12月はなにかと多忙な月ではありますが、陰がもっとも深まる月に自分自身を清潔にすること、そして節分までの流れのなかで、みずからを内省することも大切なことであると感じます。
だから今月の女神は瀬織津姫です。
瀬織津姫は祓い浄めの女神。それは過剰になった陰を浄めてくれる女神である、ということです。
この女神のことは別の場所でも書きましたが
(https://lunasomnium02169999.hatenablog.jp/entry/2023/06/19/121158)
ヒーリングメニューの「seoritsu」は、この女神の名からいただきました。
わたしにとってとても大切な女神で、「セオリツ」とその名を心で呼ぶだけで彼女の水の気配を近く感じるような、いつでもわたしたちを見守ってくださっている女神でもあることを感じています。
余談ですが、以前にお迎えしたyukaneさんの絵に「瀬織津姫を感じる」といってくださるかたが多くいらっしゃいます。
「メニューをどれにするか迷っていたら、白い滝のヴィジョンが視え、この絵が浮かんできてセオリツヒーリングをお願いした」とおっしゃってくださったかたがいたり、「この絵が数日脳裏から離れなくて由芽さんのところに行かなければと思った」というかたがいたり。
実はわたしもこの絵に瀬織津姫を感じています。それからマグダラのマリア、アリアドネ、とつづくキイワードを秘めているかた。わたしにとって重要で大事な絵です。
今月お運びくださったかたには、セッションまえにこの絵を感じてみてください、とお話したりもしています*
*12月これからの予定*
12月31日(日)* 今月のセッション(対面・遠隔)をお受けくださったかたへ、30分間の瀬織津姫の一斉遠隔ヒーリング
*該当されるかたには当日、個別にご連絡差しあげます。
それではどなたさまも、ひきつづきよき12月をお過ごしください。
そしてよい年をお迎えになられてくださいね。
あなたがいつもあなたでありますように。
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