2022/07/01
サティーが“還って”こなければ
「サティーが“還って”こなければ、シヴァ神の憎しみのフォースは消えない」
遠い昔、ふと強くそう感じたことを覚えている。そのとき自分がなにを思ってそのように感じたのかも。
インドの神さまであるシヴァには幾人もの妃がいて、彼女たちを総称して“シャクティ”と呼ぶことがある。そしてそのシャクティはみな、シヴァ神の最初の妻であるサティーの生まれ変わりの姿でもあった。
サティーが非業の死を遂げ、彼女を失ったシヴァは悲しみから狂気におちいり、その亡骸を抱きながら世界を破壊しはじめた。それを見かねたほかの神がサティーの亡骸をかれから引き離し、そして亡骸を破片にすると、シヴァは長い悪夢から覚めるように正気に戻った。
ばらばらになった破片が落ちた場所は聖地となり、その破片のひとつずつはその土地の女神として再生された。
死の眠りに就いたサティーはそのようにして、それぞれの女神をとおして戻ってきた。それが“シャクティ”。
シャクティのなかには白い面と黒い面がある。
美しく貞淑な女、穏やかでやさしい慈母。
鋭い刃に自らの怒りを解き放ち、荒れ狂う心がときに獰猛さをともなう側面。
そしてそのどちらもがおなじひとりの女性のなかに内在する白と黒でもあること。
シヴァ神のシャクティがひとりのおおきな女神のなかのさまざまな面をかたちにした存在であることを知ったとき、それはまるでそのひとりのおおきな女神が魂を回収する旅をしているようだと感じた。ばらばらに砕け散った自身の魂を癒し、ひとつに復元してゆく旅の途中のようだと。
そしてその回収の旅は、おそらく黒い面からはじまったのだろうこと。それが修復するまえに、まず女神は“砕け散る”ほどに衝撃と痛みをともなった分断によってもたらされた怒りや悲しみを回復させなければいけない。示される黒は、回復の必要性を暗示している。
シヴァ神の威力はシャクティをとおしてあらわされるので、彼女たちはかれの力の象徴でもある。
彼女たちの力がかれにパワーをあたえる。それが負のほうに傾けば、サティーを失ったときにかれがそれをしようとしたような世界を破壊してしまうほどの力を。
破壊に傾く力はパワーではなく負のフォースなので、かれのパワーがパワーとして真の意味で発露すること、正のフォースとして具現化することとシャクティの状態はつながっている。
彼女が散らばったパズルのピース、魂の破片を回収する旅を終えたとき、シヴァ神もまたみずからの最高のパワーを取り戻す。この神話に秘められた伝言はそういうことなのだと、わたしは理解している。
失われたものは、どのように修復しようとも失うまえとまったくおなじかたちとしては還ってはこない。
けれども再生の力はときに、喪失以前よりあたらしい息吹を宿すことがある。
そうした息吹を宿したサティーが“還って”きたとき、彼女の修復の旅が終わったとき、はじめてシヴァ神の彼女を“失った”痛みは癒える。癒えたものがパワーとなって増幅される。
そのように感じたとき、これはあらゆることに共通する手がかりなのではないかと思った。そしていま、その気持ちは漠然とそう思っていた当初よりますます強くなっている。
よく地球の状態はそこに住む女性たちの状態をあらわしているとつたえられる。
嘆き、疲れ、悲しみ、抑圧された女性たちの姿の反映だと。女性たちがみずからを癒すことを許可し受容すること、それを深部にまでいきわたらせることが、地球全体を窒息しそうなほどに覆った負の男性的なフォースの呪縛をほどき、この星の癒しともなるのだと。
昨夜、シヴァ神の“シャクティ”の一面であるドゥルガー女神に想いを馳せながら、そんなことを思い出したり感じたりした。