2023/08/01

かみなり




 なにかのはじまりを告げるような夏の日の雷鳴。


 その「はじまり」がなにを示すのかはひとによる。


 古来わたしたちは雷のなかに神を視て、稲妻をとおしてなにかが“下される”のを見た。


 祝福も罰も自分自身のなかにあるもの。内側にあるものが空に顕現されたとき、わたしたちはそこにおおきな存在の慈悲と冷酷を同時に感じていた。――畏れ。


 雷には光も音も畏れもそろっているのだから、そこに“最高”の力をもつ神々の姿を人間が視たのは当然のこと。自然のなかに宿るあらゆるものに、わたしたちはそれらを視た。


 かみなりは「神鳴り」


 8月のはじまりの午後、目に映ったいかづちがシヴァ神のトリシューラ(三又の鉾)みたいだな、と思いつつ、この魔法がかかった幕開けと予感の雷を感じている。


 あのシンボルがなぜ三又で示されているのかといえば、それぞれの穂が意志(愛)、行動、知恵を意味して、このみっつの力によってシヴァ神は悪と無知を打ち砕くことができるからだ、と聞いた。


 そしてこんなふうに想いを馳せているうちに、すぐそばで轟いていた雷鳴は遠雷になってゆく。特別な時間のなかでのこと。